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東京の「穴」

短編で、ネタバレをしないようにしたら、あらすじが短くなりました。すみません。

それでも読んでいただけたら、幸いです。





 ある日、東京に「穴」ができた。

どこにあるかは分からない。誰も見た人はいない。

でも、東京に「穴」ができたことは、皆が知っている。


 「穴」ができて以降、社会は止まってしまった。

東京を中心とする物流は途絶え、テレビやSNSの情報発信は無くなり、産業は衰退した。そして、インフラまでも、崩壊をした。


 電気や水、ガスの通らない生活を、東京の人々は送っていた。

そのせいなのだろう、彼らは本能に抗うことを止めた。太陽とともに起き、太陽とともに寝た。

食料と水は支給されるものを使った。誰かが配っている。おそらく、東京の外の人だろう。

彼らも「穴」ができたことを知っている。でも、「穴」の影響を受けているのは、東京にいる人だけだ。だから、東京の外には、食料と水がある。

でも、足りていない。物資が不足しているわけではない。人手が足りないのだ。

外の人では、東京の人を支えられない。必要な人材も、人数も、確保できない。

その結果、東京の人は、何人も死んだ。

そのうち、東京の外の人は、東京を捨てるだろう。いつまでも無駄な浪費はできない。


 東京の人は、なにもしない。ショッピングセンターも、学校も、飲食店も、どこも、開いていないから。スマホをつけても、電波はない。充電もできない。

人は、食事をするか、寝るか、歩くか、用を足すか、だけで一日を過ごすようになった。

もちろん、排泄物を流す水はない。

東京は、次第に、悪臭がするようになった。

一部は、外の人が掃除をしている。でも、一部、なのだ。全部では、ない。

そして、臭くなったところに、人は行かない。また別のところで、彼らは用を足す。

いつの日か、東京は排泄物に埋もれるかもしれない。


 東京の人は、食事をする。でも、ゴミの収集はない。

彼らは、ゴミを捨てない。いや、ゴミという概念がない。ただ、そこにある、と感じるだけだ。でも、邪魔ではあるらしい。

家がゴミに埋もれれば、そこから出ていく。

そのまま、屋外で暮らす人もいれば、他の家に住み着く人もいる。

でも、そのうち、東京の全ての家がゴミで埋もれるだろう。そうなれば、彼らは、みな、屋外で暮らすことになる。

現代日本人に、この猛暑と、この極寒を、耐えられるのだろうか。


 東京に「穴」ができても、時間は過ぎていく。

空の雲も、過ぎていく。

摂理と自然だけは、人間が変わっても、変わらない。

同じように、機能している。でも、社会は、機能していない。

そのせいなのか、そのおかげなのか、東京の人は生きている。

もし、東京がコンクリートの上ではなく、大地の上にあったなら、排泄物とゴミに

埋もれることはなかったのかもしれない。

きれいな水も手に入ったのかもしれない。

けれど、東京は、コンクリートで覆われている。

そのせいなのか、そのおかげなのか、東京の人は死んだ。


時間が経つにつれ、東京の人は減っている。

時間が経つにつれ、東京に死体は増えている。

外の人が死体を燃やすが、それでも死体は増えている。日に日に、増えている。

人間は、案外、脆い生き物なのかもしれない。

いや、ゴキブリ以外は、東京では生きていけないかもしれない。

光合成をする植物はいない。植物を食べる動物もいない。それを食べる捕食者もいない。排泄物と死体を分解する微生物もいない。そして、母なる大地もいない。

東京には、生き物に必要なものが、何もない。

あるのは、頑丈な地面と壁だけだ。

でも、頑丈だから、壊れると元に戻らない。

東京は、地獄のようだ。


 「穴」ができてから、さらに時間が経過した。

外の人は、食料と水を持ってくるのを、止めた。

東京には、悪臭と、感染症と、腐った有機物が蔓延している。

こんなところに、外の人は入ってこない。

いよいよ、東京は、捨てられる。


 人間は雑食だ。色々なものを食べる。

東京の人は、雑草を食べだした。排泄物に集まったハエを食べだした。道路に溜まった雨水を飲みだした。

でも、現代日本人の胃袋は、受けいれなかった。

東京のいたるところで、呻いている人がいる。その傍には、嘔吐物が散っている。


 生物は、本能に従って生きている。

生きるも死ぬも、その選択は本能が決める。

自分の遺伝子を後世に残すために、最善の行動をする。

でも、人間は違うかもしれない。

自分の意思や、他人の命令で、自分の行動を決めている。

たとえ、その行動が子孫を残すことに無意味だったとしても。

いや、現代の人間は、むしろ、子孫を残すことに悪影響を与える行動をする。

不倫、暴力、虐待、タバコ、労働、自然破壊、etc。

東京の人は、本能に従って生きている、のではなかった。そもそも、人間は、本能に従っていないから。

彼らは、ただ、漠然と生きているだけだった。死ぬ理由がなかったから。

でも、今は違う。外の人が食料と水を与えてくれなくなった。苦しい生活を送ることになった。

だから、彼らは、生きることをやめた。

彼らにとって、生と死の選択とは、テレビのチャンネルを変えるか変えないと同じだ。つまらなければ、変える。それだけだ。

東京から、人の姿は消えていった。


人間は、唯一、「心」をもつ。

人間と他の動物の違いは、「欲望」があるか、ないか、だ。

ゆえに、「心」とは「欲望」だ。

そうであるならば、「心」に「穴」ができた人間は、人間なのだろうか。


東京にできた「穴」は、人がいなくなると、なくなった。


はじめての短編です。

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