旅人⑤
「今はもう滅んだ国。私の故郷だよ。」
彼女__リアは物寂しい様子でそう告げた。
そこに只ならぬ事情があることを察したサラは思わず口をつぐんでしまった。
「滅んだ国…。国があった場所を目指しているということ?」
「そう。国が亡くなったのは随分前の話だから、どこにあるのかまだ調べている途中だけどね。
でも、それが私が何者なのか知る手がかりになるの。」
自分のルーツを探している、ということなのだろうか。確かに常にフードで頭部を覆い隠しているリアも、その隣のジェドもイースタニア人の風貌には見えない。
「なるほど…。私と似てるわね。
私もある出来事がきっかけで帰る場所を失ったわ。」
サラは机の上で握った拳を見つめる。
あの日のことは忘れない。サラ自身の全てが崩れ去った日。以前の幸せだった日常はもう元には戻らない。
だから前に進むしかない。
「目的」の為に絶えず剣を振るい、生き残ってきた。
「サラ……。」
その様子を見たリアが不安げな表情を浮かべた。
「全てを失ったからこそ、自分があるべき姿を探している。自分探しってやつね。」
リアの不安を感じ取ったサラは、心配いらないとでも言うように目を細めて笑った。
「それにしても、リア。あなたがお金の存在すら知らないことには驚いたわ。一体どんな生活を送ってきたの?」
もっともな疑問だった。
通貨の概念なんてものは、当たり前のように世界中の全ての人間に定着しているものだと思っていた。
歴史を遡れば、完全に追うことはできないほど長く深いものだろう。
イースタニア王国で流通している通貨はセルンと呼ばれるコインだ。国によって違いはあれど、物を買うために必要な資本といった在り方は統一されたものとなっている。
それを彼女は、存在そのものを知らないと来た。
一体これまで何を見て生きてきたのか、知りたいと思うのが当然だ。
「私は……ずっと塔の中にいたの。塔の中の何も無い部屋。星がいつも綺麗だったことは覚えてる。
_____でもそれだけ。どうして部屋の中に居たのか、何も覚えてないの。」
この時のリアの瞳が何を写しているのか、サラには分からなかった。ただ彼女が自身の過去をどう抱えれば良いのか分かっていない事だけは感じることが出来た。
「でもジェドが連れ出してくれた。初めて外に出て、世界はこんなにも輝いているんだって知ったの。
風は気持ちよくて、水は冷たい。私には初めてのことばかりだった。
この間はね、初めて動物を見たの!ウサギってあんなにふわふわしてるんだね!」
まるで幼い子供のように、見たものを語る姿は微笑ましかった。彼女の出自は謎が多いが、穢れなく美しい世界をありのままに映すその瞳はとても美しい。
サラにとってその眩しさは痛くもあった。自分がすでに失ったものを彼女はまだ持っている。
「私、もっと世界を見たいの!自分の国を探すのはもちろんだけど、色んな場所に行ってみたい!」
「素敵ね。しばらくこの国に滞在するなら案内するわよ。イースタニアの地理にはそこそこ詳しいの。」
「本当!?」
「もちろん。私だって旅をしているようなものだもの。この生活を始めてから色んな場所に行ったわ。
私が一番好きな場所はね……。」
リアはさらに瞳を輝かせた。
サラがイースタニア王国の観光に適した場所や自然などの話をすると、リアはそれをとても興味深い様子で聞き入っていた。本当に何もかもが新鮮なのだろう。
王都イースタンや湖水都市、北部の寒冷地帯。また国内に生息する動物や魔獣の類の話まで、多様な話をした。サラ自身もリアに話を聞かせるのが楽しく感じて、気づけば長い時間が過ぎていた。
一方ずっと黙って二人の会話を聞いて食事をしていたジェドの方をちらりと覗き見ると、無表情な顔を崩すことはないものの、リアを見る瞳は温かみを帯びていた。
彼らがどういった理由で共に旅をすることとなったのかはサラの思い及ぶ所ではないが、彼らなりの確かな絆があるのだろう。
「長くなっちゃったわね。そろそろ出ましょうか。」
食事を終え、店を出ることになった。
席を立つ際ジェドが机に三人分の食事代金を無言で差し出したので、サラは自分が出すと言ったが、
「リアを助けた礼だ。」
と固辞した。
食事に誘ったのは自分だった為、少し申し訳ない気持ちになったが、ジェドは全く気にしていないようだ。むしろ「優勝したのは俺だしな。」と余計な一言も付け加えていた。
やはりジェドはいけ好かない男だ。しかしどこか憎めない。態度には棘があるが、リアに対してはそうではない。義理堅い一面もあり筋の通った人間。それが彼に対するサラの評価だ。
リアとの話は弾んだものの、彼らは情報が集まり次第エスペラントを出発するらしい。サラも元より長居するつもりはなかった。彼らともこれきりになるかもしれない。
「楽しかったわ、リア。またどこかで会えたらいいわね。」
「私も、すごく楽しかった。またサラの話を聞きたいな。」
「また」
この言葉をサラは聞き飽きていた。サラの交友関係は常に一度切りのもの。二度会うことは今まで無かった。別れの言葉はすべて世辞に過ぎない
関係を切り捨てること。それは彼女が望んでしていることで、そこに善意も悪意も無い。
彼女は「目的」の為に、不要なものは切り捨てていた。相手もサラには深く踏み込まない。その距離感がサラには都合がよかったのだ。
だから今回も___。
「サラ!」
去ろうとしたサラの背中を鈴の音のような声が呼び止める。振り返ると、歩み寄ったリアが顔を覆っていたフードを外した。
街の喧騒に紛れたそれは、ひときわ異質な存在だった。
月光を編んだような銀の髪が風に揺れ、瞳には熟れた果実のような紅が灯る。
まるで、この現世の理に縛られぬ、どこか別の世界から迷い込んできたような。
「サラ、私と友達になってよ。」
「え……。」
「またサラとお話ししたいの。友達になれば、いつでも会えるでしょ。」
彼女の笑顔が夜の闇をも照らす、星のように見えた。
サラの心でさえも彼女の虜になっていた。
「ええ。私もリアと友達になりたい。」
これが、サラの運命を大きく変える一人の少女との出会いだった。