旅人④
小さな看板が吊された一軒の酒場に、橙色の明かりが静かに滲んでいる。看板には銀の筆致で《三日月の皿》と描かれていた。
中に入ると、奥の暖炉にはゆらゆらと小さな火が灯り、漆喰の壁に淡い影を踊らせていた。木とスパイスが香り、粗末だが清潔な店内。常連たちの笑い声と、酒を注ぐ陶器の音が心地よい。
サラはよくここを利用していた。闘技場の戦いの後は必ず訪れ、羊乳のシチューとライ麦パンを注文する。そこに蜂蜜酒も一緒に味わうのがたまらない。それが彼女のささやかな楽しみだったが、今回は普段と違い同行者がいた。
目の前に座る2人組。
一人は大通りで出会った少女 リア。
もう一人は闘技場で戦った男 ジェド。
二人はどうやら揃って行動しているらしい。何故か3人で食事をする事になり、サラは行きつけの店を紹介した。
リアは物珍しそうに酒場の中を見回していたが、料理が来ると再び大きな瞳を輝かせていた。全ての反応が新鮮で見ていて飽きない。リアの前にはサラがいつも注文しているものと同じ、シチューとパンが並ぶ。先程もパイを食べていたが、どうやら相当お腹が空いていたらしい。対するジェドはというと落ち着いた様子を崩さない。
なんだか正反対で不釣り合いな二人だと感じた。
「これ、食べていいの?」
「もちろん。遠慮なんていらないわ。さ、召し上がれ。」
サラが促すと、リアは嬉しそうに笑って、小さなひとくちを口に運ぶ。その瞬間、ほっこりとした香ばしい香りが口の中に広がり、思わず目を細める。
「リアを助けてくれたみたいだな。礼を言う。」
ジェドが無愛想に言葉を発する。
「気にしないで。
ところで、あなた闘技場に出場してたわよね。」
「それがどうした。」
「どうしてあんなに強いの?どこで剣を?」
思わず身を乗り出してしまっていた。
どうしても気になってしまう。今まで自分を打ち負かした人間など数える程もいなかったのだ。その強さの秘訣を知りたいと思うのは当然だ。
ジェドは少し考えてから、サラの腰に据えた剣を見て思い当たったかのように答えた。
「……あんた、あの女剣士か。」
「そうよ…。覚えられてすらいなかったのね。」
「ただ金の為に出場しただけだ。相手なんて覚えない。」
そう言いながらジェドは酒を口に含む。
なんだかムカつく奴だ。サラは心の中で思った。
出場した目的や対戦相手への考えが同じな上に、そしてサラの事など眼中にすら無いことに少し腹が立つ。
自分でも無意識に、発する言葉の語気が強くなっていた。
「私は今まで剣の腕で負けたことなんてなかったの。それをあなたはあんなにも簡単に打ち破ってくれた。あなた、一体どこで剣を習ったの。どこかの国の衛士とか?」
「そこまで教える必要があるか。」
終始無表情だったジェドが鬱陶しそうな様子を見せるが、サラは引き下がらなかった。
その様子に食事をしていたリアがふふっと笑いを漏らした。
「2人とも仲が良いんだね。
ジェドに友達が出来たみたい。」
「お前は黙ってろ。」
「ジェドは強かったでしょ。」
まるで自分の事のように自慢げにそう言うリア。
「ええ、強かったわ。今まで頼りにしていた私の剣が、こんなにも無力だと思い知らされた。これから先、生き延びていくのが困難に思える程にね。」
サラは普段剣を握っている自分の掌を見つめながら、思い詰めるように呟いた。
「生き延びる、か。
それにしてはあんたの剣は正直すぎる。」
そう告げるジェドの瞳は真っ直ぐにこちらを見つめ、まるで全て見透かされているような感覚を覚えた。
「……どういう意味よ?」
「国の騎士団にでも入っていたんだろ。あんたの剣はあくまで突き詰めたような正統派だ。
護る為の剣は、いくら鍛錬してもそれまでのものだ。」
サラは堪えるように握った拳を震わせた。ジェドの言っていることが間違いではなかったからだ。
しかし今日出会ったばかりの人間に、ここまで言い当てられてしまう自分の浅はかさが身に染みてしまう。
少し落ちた雰囲気を感じ取ってか、リアが慌てて言葉を発する。
「まあまあ2人とも…!せっかくだし明るい話をしようよ!」
「……そうね。あなた達の話ももっと聞きたいわ。
2人はどういった関係なの?」
「私達は、旅をしているの。」
「旅?珍しいわね。どこか向かうところでも?」
するとリアは目を伏せて、静かに告げた。
「今はもう滅んだ国。私の故郷だよ。」