旅人①
イースタニア王国は、大陸の東に広がる広大な王政国家だ。
高い山脈と濃い霧の森に囲まれた土地には古くから魔術と剣技が根付き、王都を中心とした貴族の支配と、地方ごとの文化が絡み合っていた。
此処、エスペラントはイースタニア南部で最も賑わう交易都市だ。広場には人々と馬車の音が混じりあって、空気はいつもせわしなく揺れている。
大通りから外れた郊外に建てられた闘技場では、日々強者達が自らの腕を競い合っている。街唯一の合法的な暴力の舞台である。
石造りの円形闘技場は、地面よりも一段深く掘り下げられた設計になっており、観客たちは石階段をぐるりと囲んで上から見下ろす形で試合を眺める。
観客は身分を問わない。武器商人、盗賊崩れの傭兵、市井の労働者に、暇を持て余した貴族の若者たち。
今日もまた、剣戟を肴にした酔客たちの野次と叫びが天蓋に響く。
中央の闘技場は、乾いた砂が撒かれ、血と汗が染みついて褪せた土色をしている。
しかしそこに立っているのは、闘技場という場所に似つかわしくないような人物だった。
顔こそフードで隠されているものの、体格の線は細く華奢で、誰がどう見ても男の物ではないと判断できる。無名枠で参戦している挑戦者として、腰に剣を据えた彼女は静かにアリーナに立っていた。
対するは、大斧を担いだ男。三戦無敗の巨体剣士。
闘技場では“断砕の熊”とあだ名される存在だ。
あの体格差では到底かなう筈もないと思うのが普通だが、観客達は普通の試合では満足できない。
闘技場では日常的に賭博が行われている。彼らが求めているのは、当然を打ち砕く番狂わせだ。彼女に賭け金を出している者も勿論少なくない。
試合開始の合図の鐘が鳴ると同時に、男が地面を蹴り砕いて突進する。
____遅い。
女は呼吸一つ乱さず一歩で懐に入り込むと、一閃。
鍔鳴りの音と同時に、大斧の柄が斬られ、男の手から武器がこぼれ落ちる。観客がどよめく。
「チッ、小娘がァ……ッ!」
怒声と共に拳が振り上げられるが、それさえも彼女は見切っていた。身をひねって回避し、地を這うように抜けたかと思えば_____
ドスッ!
鞘ごと叩き込まれた剣が、男の鳩尾を突き上げる。重い音と共に、巨体が砂塵の中に沈む。歓声が巻き起こった。
女の被るフードが風によって捲れる。
栗色の髪を後ろで1つに結び、その凛とした風貌はまるで風を切る剣のようであった。
彼女の名前はサラ・エリュシオン。
男性はおろか、王国の騎士でさえ顔負けの剣技の腕前を持ち、彼女はそれに圧倒的な自信を持っていた。