43話 呼び捨て
休み明けの月曜日。だるいけど、いつもの日課をこなし家を出る。
「おはよう、そーま!」
羽依さんは今日もにっこにこの笑顔で、元気よく挨拶をしてきた。
「おはよう、羽依さん。真桜さんとのお泊まり会、随分と盛り上がったみたいだね」
「うん! すっごく楽しかった~! 今度はそーまと3人でお泊まりしようね!」
……この子は朝から何を言い出すんだか。
めっちゃドキッとした。
「そうだね……羽依さんが大人しく寝てくれるなら……いいかな」
冗談めかして返すと、羽依さんは一瞬きょとんとした後、ふっと頬を赤らめた。
「え? あれ? 真桜、何か言ってた……?」
伏し目がちに、少し挙動不審になる羽依さん。
その仕草がまた、妙に可愛い。
「ううん、楽しかったって言ってたよ。美咲さんとおじいさんの話もね。聞いてびっくりしたよ」
「そうそう! 私もすっごいびっくりしたよ。お母さんさ、お店の再建のときにすごくお世話になったんだって! 真桜は我が家ではVIP待遇だね~」
親友との意外な繋がりに興奮している羽依さん。
真桜のおじいさんと美咲さん、師弟関係以上に深い縁があったんだな……。
***
学校に着くと、真桜がすでに来ていた。
「おはよう、蒼真」
「おはよう、真桜さん……じゃなくて、真桜」
「……え? あ、おはよう、真桜」
俺が呼び捨てにすると、一瞬固まる羽依さん。
少し引っかかるものがあるのか、微妙な表情をしていた。
いつものように、3人で朝の勉強を始める。
「蒼真、この一文、主語と述語が噛み合ってないわ。ちゃんと対応を考えて読まないと、解釈を間違えるわよ」
「え、そうなの? えーっと……『彼が語った言葉は、私の心を揺さぶるものだった』だから……?」
「“彼”が語ったのは『言葉』であって、『私の心を揺さぶる』のは『言葉』よ。つまり、文章の構造を意識しなさいってこと」
「なるほど、ありがとう、真桜」
そのやり取りをじっと見つめる羽依さん。
「なんか二人、仲良くなったね。距離感が近い感じ」
「そうかな?」
「そんなことないわよ。距離感とか、羽依に言われたくないわね……」
俺と真桜は、ほんの少しだけ気まずくなった。
なんとも微妙な空気のまま、朝の勉強が終わる。
***
放課後。なんか今日一日ずっと羽依さんにじーっと見られてた気がした。
「そーま! 帰ろう!」
「帰ろうか、今日もバイト頑張ろうね」
「うん!」
羽依はニコニコしながら、いつものように俺と手を繋ごうと――
……しない?
「……そーま。昨日そーまのアパートに真桜行ったんだよね……」
「うん、服をあずかっていたからね」
「……何かあったの?」
「えっと……真桜がね、呼び捨てで呼んでほしいって……」
「ふーん」
羽依が、ぽつりと短く呟く。
次の瞬間、すっと足を速めた。
「あ、ちょっと待って……」
「羽依」
ぴたっと足を止めて振り返る。
彼女は少し張り詰めたような表情をしていた。
「え? あ……羽依?」
「そーま」
「羽依」
満面の笑みで俺の腕を取ると、いつも通り歩き出す。
幸い、昨日のことはそれ以上聞いてこなかった。
俺もお泊まりのことは、あまり突っ込まないようにしよう……。
「そーま、アパート寄っても良い?」
「うん、良いよ。時間まで一緒に勉強でもする?」
「うん!」
そう言って俺の腕にぎゅっとしがみつく羽依。
今日の彼女はいつもよりもさらに距離感が近いな。
俺も中間試験も近いので少しでも勉強しておきたい。
一応1週間前から学校の通達でバイト禁止となる。
美咲さんもそれは知っていて、羽依と俺もバイトをさせない予定だ。
あの忙しさで美咲さん一人だと大丈夫なのかな、とは思うけど、あのお店の客層みる限りはきっと大丈夫なんだろうな。みんな美咲さん大好きすぎるだろう。
アパートに着くなり羽依が俺に抱きつく。なんか部屋に入ると微妙に気分が高揚するような、そんな気がする。
なかなか離れたがらない羽依をゆっくりなだめるように体を離す。
「コーヒー入れるね。プリンもあるよ!」
「やった! めっちゃ美味しいもんね。うちの店で“そーまプリン”として売りに出したらどうかな?人気出るよ!」
「そこそこ手間かかるからね、本業にするなら良いかも」
パティシエか……。
将来の選択肢の一つとしては、面白いのかもしれない。
やりたいことが少しずつ増えていくのは、きっと良いことなんだろうな。
ただ――悩ましい。
***
結構集中して勉強した。
羽依は真剣そのもの。
この集中力こそ、俺が見習うべき点なんだろうな。
「そろそろバイトだね。行こうか」
「そーま……」
「ん?」
「キスして」
――やっぱり、疲れた羽依は甘えたがりだ。
俺は羽依の体を抱き寄せ、優しく口付けを交わした。
……俺の距離感も、きっとバグってきてる。




