42話 事故物件
「……殺して……。」
シャワーを浴びて着替え、風呂場から出ると、真桜さんが ぐったりとテーブルに突っ伏してなにやら物騒なことをつぶやいていた。
すでに自分の服に着替えたあとのようで、俺があげたTシャツとハーフパンツは綺麗にたたまれていた。
「おはよう……真桜さん大丈夫?」
「……」
あの後真桜さんは、さらに乱れたあとに、急に電池が切れたようにバタッと寝てしまった。昨日の睡眠不足で限界が来たようだった。
あれから2時間ほど寝ていたので、俺は一旦シャワーを浴びてきた。
……俺を恨めしそうに見つめる真桜さん。
「その……気にしないでね?」
「……蒼真。何か感想はある?」
「……腹筋がとてもきれいでした……ってちょっと痛い!やめて!もの投げないで!」
次々に本やら座布団やら飛んでくる。
どうやら、彼女に黒歴史が爆誕してしまったようだった。
今日の真桜さん、ジェットコースターのような感情の浮き沈みだなあ……
「蒼真、さっきのことは忘れてね。私、昨日からずっと変なの。羽依の悪戯だって、いつもなら軽くかわせるはずが全受けしてしまったし……」
「大丈夫だよ。その……中学の時の話も、忘れたほうが良いのかな……」
「……もう勝手にしなさいよ」
ムスッとしながらも頬が赤い真桜さん。さっきはあんなに自分に素直で可愛らしかったのに。
怒ってるような顔もそれはそれでとても綺麗なんだけど。
「そうだ、プリン食べる?」
「……食べる」
「ホイップクリームのせる?」
「……のせて頂戴」
冷蔵庫にストックしてあるプリンを取り出し、ホイップクリームをちょいと乗せて完成!
「甘いの食べて、元気だしてね」
「……ありがとう蒼真。本当に自分でもわからないの。なんであんなに乱れたんだか」
よくわからないけど、お泊りイベントと睡眠不足でハイ状態だったのかな……。ただ、なかなか自分でも認められないのか、何か理由が欲しいんだろうな……
「あ~……このアパート事故物件だから……かな?」
「え……?そうなの?……じゃあそれが原因ってことにしておきましょう……」
なんでもいいから、落とし所がほしいらしい。
プリンを口に運ぶと、ほんの少しだけ表情が和らいだ。
「蒼真、ごめんなさい。貴方を困らせてしまったわね」
「困ってないよ。大丈夫。真桜さんにはいつも助けられてるんだしね! それに役得な部分もあったし」
「役得って……でも、それなら良かったわ。嫌な思いさせてしまっていたら、と思うとね……」
ようやく、微笑みが戻った真桜さん。
やっぱり、彼女には笑顔でいてほしいな。
「それよりも蒼真、いつまで私を ‘さん’ づけで呼ぶつもり?」
「え? いや、だって真桜さんが ‘呼び捨てはダメって……」
「じゃあ許可するわ。呼び捨てで呼んで」
「……真桜」
呼んでみると、なんだかむずがゆい。
でも、当の真桜のほうも、 耳まで真っ赤になっていた。
***
「なんか、やっと落ち着いて話が出来る気がするわ」
「それはよかった。昨日の話も、もうちょっと聞きたかったからね。」
「……羽依が話していた貴方の話。ね」
そう言って、真桜は少しだけためらいながら言葉を続ける。
「今更聞くまでも無いとは思うけど、好きなんでしょ?羽依のこと」
伏し目がちに、静かに。
まるで、最初から答えが分かっているような問いかけだった。
「うん……一目惚れだったと思う」
「そっか」
短く、それだけ。
けれど、その「そっか」に込められたものは多くて――
計り知れない想いがそこにあった。
「貴方の話と同じくらい、お父様の話が多かったのは蒼真の影響なんでしょうね」
「……」
「貴方、大変ね。ライバルがこの世にいない ‘肉親’ だなんて」
心臓を鷲掴みにされたような感覚がする。
俺は言葉を失った。
真桜は、核心を突く。
羽依さんは、お父さんの面影を俺に重ねている。
それがどれだけ危ういことか――
もし俺に、お父さんとの違いを感じてしまったら?
そのとき、彼女はどうするのか。
考えたくもない未来が、頭をよぎる。
そんな俺の動揺を察してか、真桜がそっと手を取った。
氷刃の姫の手は、驚くほど暖かかった。
包み込むような温もりを帯びながら、彼女は静かに語りかける。
「蒼真の今頑張っている事。それが一番効果的かも知れないわね。」
「……自分を鍛えて磨き上げること。彼女が、お父さん以外の男を好きになるように……」
声に出してみると、やけに現実味を帯びた。
結局、あのまま付き合ったとしても、良い結果にはならなかったのかもしれない。
そもそも――
彼女からは、「付き合いたい」なんて言われていない。
ただ、距離が近いだけだ。
そんな曖昧な関係だからこそ、不安がつきまとう。
それは、俺自身の問題でもある。
ずっと心のどこかで、壊れることへの怖さがあった。
両親の離婚を経験して、"永遠"なんてものが存在しないことを思い知らされた。
だから、好きになればなるほど、もし離れてしまったときのことを考えてしまう。
それが、俺の弱さだ。
真桜は、そんな俺の迷いも全部知っているように、優しく微笑んだ。
「貴方の抱えてるものは、すぐには消えないかもしれない。でも、時間とともに少しずつ和らいでいくはずよ」
「……」
「だから、それまでに自分を磨いて、もっと魅力的にならないとね」
「……うん」
「それと、羽依とは離れちゃダメ。今の距離感を大切にしてあげて」
「え?」
「そうじゃないと、羽依は貴方の手をすり抜けていくわよ」
ふふっと微笑みながら、真桜はそっと手を離した。
彼女の言葉は、いつだって優しく、温かい。
***
帰宅の連絡を済ませた真桜。
どうやら迎えが来たらしい。
「お祖父様が来たみたい。そろそろ帰るわね」
「真桜、Tシャツとハーフパンツは持って行く?」
畳まれたTシャツとハーフパンツを持ち上げると、 なんだか湿ってる?
「……なんか湿ってるけど? こっちで洗っておこうか」
「っ!?!」
一瞬で、真桜の顔が火を吹いたように真っ赤になる。
次の瞬間、俺の手から Tシャツとハーフパンツを奪い取った。
「あ、ありがとう蒼真! これは私がいただいていくわ!」
早口でまくし立てると、 逃げるように玄関へと向かう。
「じゃあ、また学校でね!!」
バタン!
玄関の扉が勢いよく閉まる。
そのまま、車が走り去る音が聞こえた。
「…………」
ああ……
考えちゃダメだ、俺……。




