40話 クールダウン
日曜日。
今日は気合を入れてジョギングに出た。普段の倍、10km。 さすがにキツい……まだまだ鍛えが足りないと実感する。
朝食を済ませ、昨日の片付けの続きを終わらせる。洗濯もしながら、夜干ししておいた真桜さんの服を取り込んだ。
「うん、乾いてるな」
同級生の女の子の服に触るのは、なんだか意識してしまう。真桜さん、嫌じゃなかったかな……。
洗濯タグを確認してアイロンをかける。
今日は久々にフリーな日。昼過ぎには真桜さんが来る予定だから、その後は買い物に行くか、ゲームでもするか。
日曜最高!
午前中はまだ時間があるし、昨日の勉強会の復習でもするか。
仲のいい友人たちが秀才ぞろいだと、勉強について行けなくなるの辛すぎる……。
身の丈に合わない進学校を選んでしまった、なんて絶対に思いたくない。 だから、勉強も頑張らないと。
***
勉強を終えた後は筋トレ。
隼の考案したメニュー、せっかくだから全部やってみよう!
スクワット、プランク、腕立て、腹筋……。どのメニューもキツい。
でも、最後までやり切るん……だ……!
「はぁっ……はぁっ……し、しぬ……」
全身が燃えるように熱い。シャツは汗でぐっしょり。
足はガクガク震えて、一歩でも動けば崩れそうだ。
息が乱れすぎて、まともに喋るのもキツい……。
ピンポーン
「えっ、うそ……?」
玄関のチャイムが鳴った。いや、待て待て、まだ動けない……!
両手を床につき、膝を折りながらどうにか立ち上がる。
ふらつく足で玄関に向かい、ドアを開けると――そこには昨日貸したTシャツとハーフパンツのままの真桜さん。
「こんにちは、蒼真。あら……どうしたの?そんなに息を切らせて……お取り込み中……だったかしら。ごめんなさい。男の人のそういうの、わからなくて」
真桜さんが顔を赤らめてそんなことを言ってくる。
「違う、そうじゃない! 筋トレしてたんだよ!」
何を想像したんだ、怖いから聞けない……。
真桜さんはじっと俺を見つめ、心配そうに眉をひそめた。
「すごい汗ね。どのくらいやったの?」
隼の筋トレメニューを見せると、目を見開いた。
「……すごいわね。アスリートでも目指してるの?」
「どのくらいキツいか試してみたくて……」
足がガクッと崩れそうになる。やばい、これは限界かも。
「上がらせてもらうわね。蒼真、横になりなさい」
言われるがまま、俺は床に横たわった。
ふと見上げると、真桜さんはすでに膝をつき、俺の隣にいた。
そのまま、筋トレ後のマッサージを始めてくれた。
汗でベタベタなのに、嫌な顔ひとつせずに……。
「ちゃんとストレッチやクールダウンしてる? ケアを怠ると怪我するわよ」
「うん、一応やってるけど……ああ、真桜さん、すごく上手だ……。さすが、氷の何とかさん」
ペチンとお尻を叩かれる。
「氷刃の姫よ。言わせないで、恥ずかしいんだから」
「すみません……」
マッサージが終わるころには、息も整い、体が軽くなった気がした。
「ありがとう、真桜さん。そういや、来るの早かったね」
「ライン送ったのよ? 羽依が美咲さんと買い出しに行くから、私も早めにこっちに行くって」
スマホを確認すると、羽依さんと真桜さんからのメッセージが大量に届いていた。
羽依さん、スタ連すごい……即返信しておこう。
時計を見ると、ちょうどお昼時だった。
「気づかなくてごめん。マッサージのお礼に、お昼ご飯どう? ちょうどパスタを茹でようと思ってたんだ」
「え……でも……」
真桜さんが少し戸惑っている。ここは、もう一押ししてみるか。
「今日はカルボナーラかな。温玉も乗せるつもり。
一人で食べるのも寂しいし、食べていってくれると嬉しいな」
「……言い方がずるいわよ、蒼真」
「すみません……」
そう言いながらも、結局食べていってくれることになった。
やっぱり、真桜さんは優しいな。
さて、さっそく作ろう!
フライパンでベーコンをカリッと炒める。
ジュワッと脂が溶け出し、香ばしい匂いが広がる。
その間に、ボウルで卵黄と粉チーズを混ぜ、黒胡椒を振る。
茹で上がったパスタを湯切りし、フライパンへ投入。
余熱を活かしながら、卵を絡める。
ツヤのある黄金色のソースが、パスタにしっかり馴染んだ。
皿に盛り、仕上げに黒胡椒をひと振り。
待ちきれない様子の真桜さんが、身を乗り出してくる。
「できたよ~! さあ召し上がれ~」
「美味しそうね! いただきます」
カルボナーラを一口食べた瞬間、真桜さんの顔が蕩ける。
「おいしー! 私、カルボナーラ大好きなの。これは……プロの味みたいね」
真桜さんから、最大級の褒め言葉をもらった。
「ありがとう。真桜さんに美味しいって言ってもらえるの、すごく嬉しい!」
真桜さんは終始ニコニコしながら、完食した。
いつもはクールビューティーな彼女も、美味しいものを食べているときは本当に可愛らしい。
「そういやさ、お泊り会はどうだった? 羽依さん、はしゃいでなかった?」
食べ終えて満足そうだった真桜さんの表情が、途端に引きつったような笑みに変わる。
「……羽依の距離感がね……すごかったわよ……」
顔が一気に赤くなる。いったい何があったんだ……?
「まあ……何となく想像できるけど……」
「蒼真の想像を、きっと遥かに超えてるわよ。距離感0というより……マイナス?」
「まいなすぅ!?」
一体何をしたんだ羽依さん……。
「まあ、色々と楽しかったわよ。色んな話も聞けたし」
「色んな……俺も含まれてる?」
「蒼真の話もね」
俺を見つめ、ふっと微笑む真桜さん。
見透かされてる気がして、ちょっとドキッとする。
「羽依のお母様の美咲さん、素敵な方ね」
「美咲さん、すごい人だよ。優しくて厳しくて、ちょっとやんちゃで」
真桜さんも美咲さんの洗礼を受けたんだろうな……。想像すると、少しおかしくなる。
「美咲さんとうちのお祖父様、意外な接点があったの。実はね……美咲さん、お祖父様の道場の門下生だったんだって」
「ええええ~!?」
俺の驚きに、真桜さんは得意げに微笑む。
とびっきりの秘密を打ち明ける小さい子のように。
「お祖父様は結城天真正流の宗主で、剣術や古武術の道場を開いているの」
「ああ、確か……美咲さん、古武術だか剣道だかやってたって話だったけど……」
「そうね。私から見たら、姉弟子ね」
美咲さんと真桜さんにそんな接点があったなんて……。運命を感じるな。
「じゃあ、真桜さんが強いのも、お祖父様に習っていたから?」
真桜さんは少し懐かしそうな表情になる。
「ええ。でも、私は勉強の方が好きだったから、剣道の全国大会で優勝することを条件に辞めさせてもらったの」
「……辞めるための条件が全国優勝って、難易度高すぎない?」
真桜さんは、クスッと微笑む。
「でも、今も練習は続けてるのよ。そりゃ、以前ほどじゃないけどね」
そう言って、少し距離を近づけ、すっと手を開く。
華奢に見えるけど、鍛えられた証がしっかり残っている。
思わず指先をそっと触れる。
ふにふにふにふに。
「ちょっと……。あまり揉まないで」
おっと、いけない。
つい、ふにふにと触り続けてしまった。
真桜さんは自分の手をさすりながら、俺の方をじっと見つめる。
ジト目から優しい眼差しに変化する。
その視線に、ふと艶かしさを感じてしまう。
「……貴方と、こうして二人でゆっくり話をしたかったのよね」
真桜さんの頬が、ほんのり赤らんでいる気がした。
「俺も真桜さんとは二人で話したいなっておもっていたよ」
意外なことを聞いたかのように。真桜さんがちょこんと首を傾げる。
「何か聞きたいことでもあったのかしら」
そう言う真桜さんは少ししっとりとした雰囲気を帯びていた。
俺は、以前より気になっていたことを聞いてみた。
「いつも勉強教えてくれてありがとうね。ただ、真桜さんの親切に甘えてばかりで、良いのかなってつい思っちゃうんだよね」
真桜さんと一緒に勉強することが真桜さん自身にメリット有るのかなと。羽依さんと仲良くなれたのはとても良かったとは思うけど、真桜さんの率直な言葉も聞いてみたかった。
俺の言葉に、真桜さんは少し考えるように目を伏せる。
そして、やがて決心したかのように、静かに俺へ向き直った。
「そっか……中学の時の話なんだけどね。私……貴方のこと気になってたの」
「え……? どういうこと?」
真桜さんは、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せ、それでもどこか懐かしむように語り始める。
「図書館で勉強する貴方の姿を、よく見かけたの。神凪学院を受けるって話を聞いて、どんな子なんだろうって思って……」
ふと、彼女の表情がわずかに曇る。
思い出を辿るように、言葉を慎重に選んでいるようだった。
「……でも、受かるのは厳しいって周りは言ってた。そんな中で、必死に頑張ってる貴方の姿が、とても印象に残って……。たまに泣きそうな顔をしてたこともあったわね」
小さく息をつく真桜さん。
「本当はね、声をかけたかったの。『大丈夫?』って、勉強を手伝ってあげたかった……」
「そうだったんだ……」
あの頃のことが、頭の中で蘇る。
夢のため、家を出るため。
誰もが納得するような学校なら、家を出ることを認めてもらえるんじゃないかと。
実力テストでは「絶対無理」と言われ、それでも泣きながら勉強した日々。
辛かった。でも、結果は出せた。
そんな姿を、誰かに見られていたんだな……。
「でもね、私は生徒会長だったから。誰かを贔屓するのは、立場上できなかったの。
……いいえ、きっと、勇気がなかったんだと思う」
「真桜さんの立場なら仕方ないし、その申し出は、たとえあっても断っていたと思うよ」
俺の言葉に、真桜さんは少し寂しそうに微笑む。
「貴方が、私と同じ高校に入ったって聞いて……嬉しかったの。今度こそ、一緒に勉強できるって思えたから」
「それで、朝一緒に勉強してくれるようになったんだ。本当にありがとう」
俺の言葉に、真桜さんが微かに笑顔を見せる。
でも、その瞳の奥に、どこか切なさが滲んでいた。
「同じクラスになった時、ちょっとだけ運命感じちゃったんだ」
真桜さんの瞳が、潤んでいる。
そして、そっと俺の手を取った。
彼女の目から、一筋の涙がこぼれる。
「でもね……貴方には、すでに好きな人ができてたようね。私の親友が、ちょっとだけ羨ましい」




