30話 美咲
蒼真視点に戻ります。
トントン
ノックがした。美咲さんかな?
「どうぞ~」
「入るよ。まだ電気ついてたようだったからね。どうだい?何か不自由はないか?」
寝る前に心配して見に来てくれた美咲さん。
彼女はラフな部屋着姿で現れた。部屋にいるときはいつもこんな感じだが、こうやって間近で向かい合うと、なんだか目のやり場に困る。
そんな薄着を特に気にすることもなくしてるあたり、美咲さんぽいなって思っちゃう。
テーブルにコーヒーを2つ置くと、美咲さんは椅子に腰掛けた。少し話がある様子だ。
俺は布団からでてそのまま腰掛けた。
「コーヒー飲んだら眠れなくなるかな?ちょっと薄めにはしたけどね。暖まるだろう」
「いつも飲んでるから大丈夫だと思いますよ。」
コーヒーを一口。温かさがじんわりと体に染みる。
美咲さんのこだわりなのか、ほんのりと甘さが感じられて、落ち着く味だった。
「ご両親のことは残念だったね。羽依からもちょっと聞いたけどさ、どっちも蒼真を引き取らないみたいじゃないか」
「親権は父のほうになってるんですけどね、俺も新しい家とか家族とか正直困るんで。お互い納得のことですよ」
「だったら良いんだけどね。もし、蒼真が嫌じゃなければさ、うちにこのまま住み込みで働きながら学校ってのも有りだと思うんだ」
真剣な表情で美咲さんが言う。しかしかなり無茶な話だ。その話に乗れるほどの関係性をまだ築き上げている自信はない。
「そんな事できませんよ……」
そう言うことを見透かしたかのように美咲さんは続ける。
「そうかい?うちは見ての通り女しかいない母子家庭だ。男がいれば何かと助かることも多い」
「ありがとうございます。お気持ちは嬉しいです。まだ知り合ってそんなに経ってないのに……家に上げてくれたことだけでも感謝します」
「ふふ、固いねえ。さっきも言ったよ。家族だって。」
美咲さんが俺の隣に座ると、軽く肩を抱く。
美咲さんの温もりは、とても抗いがたい。
「すぐになんて言わないよ。ただ、こういうのはどうだい?バイトの日は泊まっていくってのは」
「それって週の大半じゃないですか……」
「妥協点だよ蒼真。私は蒼真が気に入ったんだよ。お父ちゃんに似てるってのもあるけどね。あんたの優しさとか好きなんだよ。私に気に入られるって早々ないんだよ」
「それはとても嬉しいです…けど」
「羽依がそれを望んでるのも解るよね。あの子はあんたにお父ちゃんの面影を重ねてるんだ」
「それはなんとなく感じてます。知り合って間もない、あんなに可愛い子が俺のことを気に入るには理由があるだろうし」
「そうだね、まだ引きずってる部分があるのも確か。蒼真のこと気に入ってるのも事実だ。両方あって今二人の関係が成り立ってるんだね」
「そうなん……ですよね」
羽依さんが俺に寄せてくれる好意の多くはお父さんの面影。
俺自身のことも好きと言ってくれているのも確かだ。
「お父さんってどんな方だったんですか?」
「お父ちゃんはねえ、学校の先生だったんだよ。私の担任だね」
先生だったのはこの部屋の本棚を見て、なんとなく想像はついていた。でも美咲さんの担任だったとは。
「羽依からも聞いただろうけどさ、あたしゃ問題児でね。16でここらへんシメてたよ」
シメてたって……そんな漫画みたいな……
「この店は元々はお父ちゃんの実家の店だったんだ。お父ちゃんが先生になるころには店閉めちゃったんだけどね。事故で親が二人とも死んじゃってさ」
「そうだったんですか……」
「そんな失意の中、学校の先生になって早々に、あたしみたいな問題児抱えてね」
美咲さんが、ふっと自嘲気味に笑う。
「……。」
「一生懸命だった。あたしに怒鳴られたり蹴られたりしてもね、家に迎えに来たりご飯作ってくれたりさ」
はにかむ美咲さんは俺と同年代ぐらいの少女のようにも見えた。
「そんなことされたら惚れちゃうだろ?でね」
美咲さんがそっと俺に囁くように……。
「家に泊めてくれたときにね、寝てる間に襲ってやったんだよ」
その吐息のような囁きにびくっとしてしまう。
「あはは!そのリアクションもなんだか似てるねえ」
「いやそれ洒落にならないんじゃないですか?」
「うん、洒落にならなかった。羽依が出来たんだよ。そしてお父ちゃんは事実上のクビ。あたしに関わったおかげで何もかも失っちゃった」
笑いながら語る美咲さん。
でも、その表情はどこか寂しげだった。
「そこからだね。あたしも学校は退学。世間から見捨てられた二人でこの店を始めたってわけさ」
なんだか壮絶な人生だなあ……
「お父ちゃんは先代の残してくれたレシピで人気店だったここのメニューを再現するのに、とても苦労してたよ」
「お店はまた元通りの人気店になったんだ。お父ちゃんは料理の才能もあったみたい。二人でお店を頑張ったんだ。けどね」
美咲さんが思い出してうつむき加減で話を続ける。
「風邪でね、あっさり死んじゃったんだ。あの人らしいっちゃあの人らしいね。」
美咲さんの目から、ぽつんと涙がこぼれ落ちる。
「……あのとき病院に連れてっておけばとかね。私が不幸にしたとか、色々考えちゃうんだよ。」
肩を震わせながら美咲さんは話を続ける。
「……だから蒼真。あたしを頼って。もう後悔させないでおくれ……」
美咲さんの声がかすかに震えていた。
俺はそっと、美咲さんを胸に抱き寄せる。
いつも強くて明るい彼女とは思えない、儚げな姿だった。
「……いつも頼りにしてます。これからも、困った時はすぐに相談させてください」
「そうだよ蒼真。子どもはね、大人に頼ることを恥ずかしいなんて思っちゃ駄目だよ。それが子どもの特権であり、大人の責務だ」
肩越しに感じる美咲さんの温もりは、どこか心細げだった。
俺が思っていたより、ずっと繊細な人なのかもしれない。
俺はまだ、何もわかってないのかもしれない。
もう少し色々考えないと駄目なのかも。
俺はまだ子どもだ。




