28話 セキュリティーホール
羽依さんのお父さんの部屋を借りることになった。長年使われていなかったはずだが、掃除は行き届いていて、埃っぽさはまるでない。
本棚には、ちょっと難しそうな本が並んでいる。教育関連の本や心理学の本、雑学や海外文学まで幅広い。
「教育関連の本が多いってことは……もしかして、学校の先生だったとか?」
独りになったので、最近の出来事を振り返ってみる。しかし考えれば考えるほど、落ち込む気分になってしまった。
確かに美咲さんの言う通り、一人で抱えるには辛い状況だった。
――トントン。
「そーま、起きてる?」
羽依さんだ。ピンクのちょっとフリルの入ったパジャマに髪はシュシュで止めてある。お風呂上がりで少し赤みがかった頬がなんとなく艶めかしい。
「まだ起きてるよ。でも、美咲さんと約束したよね?」
「うん、だから私の部屋に来て。それならお母さんも許可してくれたよ」
「……どういうこと?」
「セキュリティーホールだよ」
ドヤ顔の羽依さん。
「いや意味がわからん!」
「お父さんの部屋だとね、もしそーまと私がイチャイチャしたら、お父さんに見られてる気がして嫌なんだよ」
「……あー……うん? そうかも……?」
変に言いくるめられた気がするけど、まあそういうものなのかもしれない。
「大丈夫だよ。何にもしないから」
「それ、女の子が言うセリフじゃないよね!?」
なんだかんだで羽依さんの部屋に行くことになった。
「どうぞ~、ちょっと恥ずかしいけど、初公開~」
羽依さんの部屋は8畳ほどの広さで、ゆったりしている。
床はフローリングにふわふわのラグが敷かれ、壁紙はアイボリー。ところどころに写真やポストカードが可愛らしく貼られている。
机周りにはコスメや可愛い雑貨、本棚には漫画や少し難しそうな本も並び、わりと読書家な感じだ。
ベッドにはクッションと、カピバラのぬいぐるみが鎮座している。
「可愛らしい部屋だね。なんか、羽依さんの香りがすごいね」
「その言い方はどうかと思うよ!?」
一気に顔を真っ赤にする羽依さん。
ラグの上に座ると、羽依さんはベッドの上に腰掛け、ちょっと照れくさそうにしている。
今日の動物園の話で盛り上がる。羽依さんのベッドのぬいぐるみを見る限り、以前からカピバラ好きだったんだな~。
「カピバラのぬいぐるみ可愛いね!」
「でしょ!あの動物園で昔買ってもらったんだよ~。思い出の品だね」
「お父さんに買ってもらったの?そりゃ大切にしないとね」
「そーまと知り合ってからかな、余計にお父さんのこと大好きだったなって思えてね」
「そうだったんだ」
ちょっと嬉しいようなむずかゆいような、そんな気分になる。
「それにしてもさ、そーまってお母さんにすごく気に入られてるよね。やっぱり、お父さんに似てるからなのかな。でも、それだけじゃない気がする……」
「え、それってどういう……?」
「下手したら、パクって食べられちゃいそう」
「いやまさか、そんなことは……ないよね?」
「そーまは私の胸とお母さんの胸、どっちが泣きやすかった?」
まじまじと聞いてくる羽依さん。その表情は真剣そのもの。
「それ、聞いちゃうんだ……そんなの比べられないよ……」
羽依さんはすっと立ち上がり、俺のそばへ来る。
そして、そのまま俺の頭を抱えるように抱きしめる。
柔らかい感触、お風呂上がりの温もり、ボディーソープの香り。俺と同じボディーソープを使ってるはずなのに、やっぱり女の子特有の甘い香りが混ざってるんだよな。
「さあそーま、泣いていいよ。ほら、泣け」
「ちょおおお! そんな雑に泣けるかあ!」
羽依さんはぶーっと頬を膨らませている。なぜそんなに泣かせたいのか。
「そーまが私の胸で泣いてるときね、母性ってこういうことなんだろうなって思った。なんだか、すっごく愛おしくなってさ……」
そう言って、羽依さんは顔を真っ赤に染める。
「それをお母さんに取られちゃった気がして……だから、もう一回。もう一回泣け」
再び頭を抱えようとするので、手で顔を押さえる。むにゅーっと潰れる羽依さんの顔。
「そーま、ひどい……抱いた女を雑に扱うタイプなんだね……」
「人聞き悪すぎる!? まだ抱いてもいないし!」
どうも羽依さんの様子がおかしい。美咲さんに取られると思ってる……? いや、まさか……。
「そうだ、そーまのご両親の話って、秘密にしておいたほうがいいよね?」
「ううん、学校にも報告しなきゃいけないし、秘密にする必要もないかな。今どき片親なんて珍しくないし」
言ってから、失敗したと思った。配慮がなかったかもしれない。しかし羽依さんは気にする様子もなく。
「そっかあ。うちも片親だし。そーまの親権はお母さんになるの?」
「いや、父親のほう。でも二人とも新しい家庭を持つ予定で、俺が入る場所はないんだ。ただ、大学卒業まで面倒を見てくれるって。それだけはありがたいかな」
「そんな……そーま、大丈夫なの?」
「うん。大丈夫。……でも、いろいろ溜まってたものは、二人のおかげで吐き出せた気がするよ」
「そーま、こんなに可愛いのにね……なんでそんなことができるんだろう」
今度は羽依さんが落ち込んでしまった。
俺は、そっと彼女の頭を撫でた。
「あ……そーまとお父さんが、またダブった。そーまは、お父さんの生まれ変わりなの?」
甘えたような表情で俺の顔を覗き込む羽依さん。
そんなふうに見つめられると、胸がぎゅっと締め付けられるようだ。
「いや、それはないと思うけど……」
「だよね。そんなはずないのは、わかってる。それに、お父さんとじゃ恋愛にはならないよね……」
撫でていた俺の手をそっと取ると、羽依さんは自分の頬にあてがった。
ほんのり赤くなった頬は、微かに熱を持っていて暖かい。
「そーまの手、冷たいね……気持ちいい」
指先に伝わるぬくもり。
このまま、いつまでも感じていたい——そう思ったけれど、そろそろ時間だ。
美咲さんもお風呂を出るころだし、俺も部屋に戻らないと。
「そろそろ、戻るね」
俺がそう言うと、羽依さんはちょっと名残惜しそうに、部屋の前までついてきた。
「そーま……おやすみのキスをして」
少し伏せられた瞳。薄く開いた唇。
その一言に、心臓が跳ねる。
俺は羽依さんに、そっと口づけを落とした。
「おやすみ、羽依さん」
「……おやすみ、そーま」
名残惜しそうに俺を見つめながら、羽依さんは静かに部屋へと戻っていった。




