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そして最後はゼロになる(2)

街には思いのほか早く着いた。

最も体力のなさそうなオフィーリアが健気に休みなく歩き続けたおかげだ。

とはいえ、命を狙われているともなれば当たり前だったかもしれない。


途中で一人の旅人とすれ違う時にクレアとオフィーリアから強い緊張の空気を感じたが、結局は何事もなく通り過ぎただけだった。


クレアの希望通り俺とランディで馬車を手配しに行き、明日までには馬やら何やら全ての準備を整えてもらえることになった。

あとはこれをクレアに引き継げば俺たちの仕事は終わりだ。


「集合は陽が落ちてからだ。 まだ時間があるけど、どうする?」

「さすがに俺も疲れたぜ。 宿に戻って時間まで寝る。 集合時間に来なかったら勝手にやっててくれ」


ランディはそう言うとさっさと引き上げてしまった。




斜陽が緋色に染める街をぶらぶらと歩く。

日中、歩き詰めで火照った体を夕暮れの風が心地よく撫でてくれた。


この時間でも人の通りは多く、賑わっている。

もうすぐ食堂や酒場に流れていくのだろう。


静けさを求め奥まった広場の方へ行くと、そこには噴水と小さなベンチがあった。

そしてベンチには一人でオフィーリアが座っていた。

膝の上に黒猫を乗せている。


こうやって見ていると、とても一国の王女には見えなかった。

ただの少女だ。


俺はゆっくりとそちらの方に近付いていった。


「こんなところで何をやってるんだ?」

「猫が……」

「うん」

「上に乗って……、動けない」

「ああ……」


そういえば彼女の声を聞いたのはこれが初めてだった。


「横に座ってもいいか?」

彼女は頷いた。


俺は少し距離を置いて腰を下ろす。

そして沈黙。


オフィーリアは遠慮がちに猫の頭を撫でている。

時折、猫の耳が跳ねるように動いて、低く喉の奥を鳴らした。

こうしている間は最初に見た時の暗さはずいぶん薄れているように見える。


「クレアは?」と俺は聞いてみた。

「明日の準備のために色々動いてるみたい」


彼女なら「自分が戻るまで宿から一歩も出るな」とオフィーリアに言うだろう。

つまり、勝手に外に出てきたのだ。 何らかの理由があって。

でも、それについてはひとまず聞かないことにした。


「そういや王女なんだってな」


オフィーリアは変わらず猫を撫で続けている。

向こうの通りで子供がはしゃぐ声を上げているのが微かに聞こえた。

街のざわめきがほんの少しだけ大きくなった気がした。


「気付いてたんだ」と彼女は何でもなさそうに答えた。

「まぁね。 でも、別にだからどうだっていうわけでもないんだ」


俺はベンチに寄りかかって夕空を見上げる。

「ただ、気付いてるのに気付いてない振りをするのも面倒だからさ」

「そう」


猫はむくりと起き上がると、オフィーリアの肩の辺りに寄りかかって伸びをした。

彼女が顔を近付けると猫も鼻先を近付けて匂いを確かめている。


「そういえば、王女さまに対してこんな喋り方はまずいのかな?」

「別に気にしない」


猫は誰かに呼ばれたみたいにするりと地に降りると、そのまま一度も振り返らずどこかへ行ってしまった。


「どうだっていいの……、王女なんて」

「どうだっていい?」

「国とか王位とか権力とか……、そんなことよ。 あなたは興味が持てる?」

「いや、全然」

「私もそうだっていうだけ」

「なるほど、同じだ。 でも、俺は王子じゃないし、君は王女だ」

「どう生まれるかは選べないものね」

「それぞれの環境で何とかやっていくしかない」

「何とか……」


そう言うと彼女は首を振った。

どういう意味かは分からない。


オフィーリアは猫の去ってしまった方をずっと見ていた。

まるで猫が現状を変えてくれる唯一の救いであるみたいに。




「君を狙ってるのは身内なのか?」

暗殺者に襲われているのに、わざわざ国外に脱出しようとしている。

そうとしか思えなかった。


オフィーリアはこちらに顔を向けてじっと俺の目を見る。

その姿は何故か俺を悲しい気持ちにさせた。

彼女の後ろで逆光になった夕日が眩しく、目を細める。


「聞かない方がいいと思う」

「言った方がいい」

「どうして?」

「言えば少しは楽になる」

「口に出した方が辛いということもあるかもしれない」

「そうかもしれない。 それなら言わなくていい」


俺は眩しかったので彼女から目を逸らした。


この後クレアと合流したらどうなるだろうか。

馬車の話をして……、それで終わりだ。

オフィーリアと話すことは二度とないかもしれない。

でも、だからどうだっていうんだ?


自分にも自分の気持ちの置き場所が分からなかった。




「お兄様」と突然オフィーリアは言った。

「ん?」

「お兄様よ……、私を殺したがっているのは」

「ということは……、王子ってことか?」

「違う。 お父様はもういないわ。 お兄様が王位を継承している」


つまりこの国の王ということだ。


「ずいぶん兄弟仲が悪いんだ」

「暗殺しようとするくらいにはね。 でも、昔はそうじゃなかった。 本当に優しい人だったの。 お父様がいた頃は……。 小さい頃は余計なことなんて何も考えなくてよかった。 ただ大好きなお父様やお兄様と一緒に笑って暮らしていればよかった」


オフィーリアは立ち上がった。

そろそろ行かなければならない時間だった。


「でも、仕方がないわよね」

「仕方がない?」


「別に私だけじゃない。 みんなそう。 何かを失いながら生きていくしかないのよ。 誰もがね」




待ち合わせの場所に向かい二人で並んで歩くあいだ、ずっと考えていた。

俺がこれまでの人生で失ってきたものを一つ一つ思い出してみる。


しかし、そんなものはいくら上げてもキリがなかった。

そして、これから先もきっと失い続けるのだ。

生きている限り。

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