魂の火を熾せ
俺は剣を抜き魔族と対峙していた。
しかし、この状況でなお頭の中の98%はオフィーリアのことを考えていた。
彼女の人生のこれまでを思う。
そしてもう彼女にこれから先はないのだ。
そうしながら、残りの2%は冷静に戦闘のための行動を取っていた。
ゆっくりと魔族に歩み寄り、5m手前で止まる。
俺の剣と奴の手の刃はほとんど同じ長さだった。
だが、尻尾はその倍近いリーチを持っている。
恐らく、あと一歩踏み込めば射程圏内に入ることになる。
魔族は自分から動かずに完全に待ちの構えだ。
しかしそれは、相手に攻めさせる強者の余裕というものではなかった。
俺の初動を読み取るべく驚異的な集中力をそこに注ぎ込んでいる。
この魔族は完全に俺に本気になっている。
俺はそれを自覚したうえで一歩を踏み出した。
耳に風を切る音が聞こえるのと、尾の刃が俺の喉に到達するのはほとんど同時だった。
首を切られ痛みが走る。
出血が宙に舞う。
しかし、重要な血管には届いていない。
皮膚を切り裂いただけだ。
何とかスウェーバックが間に合った。
騎士たちの死体を見ていたおかげだ。
その一撃はほとんど読み通りであったのに、完全にかわすことはできなかった。
尻尾の速度は俺の予想をはるかに超えていた。
そして、独特のうねるような動きは今までに経験したどんな攻撃とも違っていた。
そのせいで軌道がまるで見えない。
首の傷に軽く触れる。
指に付いた血の量は思ったより多かった。
俺は――、自分でもよく分からなかったのだが。
その血を見て笑っていた。
ほとんど唐突にもう一度踏み込む。
先ほどよりも深くだ。
そして同時にその場に這うようにしゃがみこんだ。
軌道が見えないなら体全体でかわすまでだ。
それが縦に振り降ろすような一撃であれば俺は死んでいただろう。
しかし、魔族の尻尾は俺の頭上をまっすぐに貫いていった。
読みを通した。 回避成功。
魔族は屈みこんでいる俺に渾身の力で腕の刃を振り下ろす。
俺はそれを確認してから、立ち上がる勢いでそのまま体当たりをするように剣を突いた。
そこで奴は気が付いた。
俺には刃を受ける気がない。
完全な相打ち狙いだ。
魔族は刃を振り下ろす動作を途中で変更し、身をよじって俺の突きをかわした。
上腕の辺りをわずかに剣が掠める。
魔族に傷を付けてやった。
しかしその代償に、俺は右肩に深く刃を受けることになった。
動作を途中で止めた中途半端な振り下ろしでも、魔族の腕力は簡単に俺の肉を抉っていった。
だが、なかなか悪くない。
まだ生きている。
魔族は蛇のように尻尾を地に這わせ、俺の足首を狙って横薙ぎに振り払った。
高速で足を切り飛ばす一撃。
だが俺はその一撃が来るよりも先に、すでに空中へ飛んでいた。
これだけ長く自由に動く武器を持っているのだ。
どこかで足は狙ってくると思っていた。
もちろんこれが足元以外を狙った攻撃なら、俺は刃をもろに食らっていただろう。
二度も読みを通せたのはほとんど奇跡だった。
百回戦ってこの結果に持ち込めるのは一度か二度くらいのものだろう。
その一回を最初に引き寄せたこの天運を活かす。
俺はジャンプした勢いで大きく振りかぶった剣を魔族の脳天にめがけて全体重を乗せ振り下ろした。
相手の攻撃はまったく考慮していない。
殺すなら殺せばいい。
だが代わりに俺もお前の命を貰っていく。
魔族は両の手を交差するようにして俺の剣を受けた。
お互いの刃同士が軋み合う。
しかし、まるで届かない。
人間の腕力で魔族の力を押し切るのは不可能だ。
魔族はガラ空きになった俺の右脇腹に蹴りを放つ。
俺は後先考えずに剣を振り下ろしたのだ。
避けることなどできない。
それは俺の人生でかつて受けたことのないほどの衝撃だった。
骨が複雑に砕ける音がして、視界がブラックアウトする。
しかし、気を失っていたのはほんの一瞬だ。
勢いで吹き飛ばされ、地面を転がる衝撃ですぐに目を覚ました。
気が付いた瞬間に転がりながら跳ね起きて剣を構える。
痛みはその後に来た。
脇腹の肉を内蔵ごとねじり取られたのかと思うほどの激痛。
俺はちらりと視線を送り確認する。
ちゃんと腹はある。 なくなってはいない。
それから強烈な頭痛と吐き気がこみ上げてきた。
脇腹に攻撃を受けたのに頭痛?
胃からせり上がってきたものを吐き出すと、それは血の塊だった。
いつの間にか鼻からも血液が垂れてきている。
やれやれと俺は思った。
まったく悪くない。
まだ生きている。
俺は痛みを完全に無視することに決めた。
それはやってみると案外簡単にできた。
壮絶な痛みがどこか遠くの出来事みたいに感じられる。
あとは体だけを動かせばいい。
走るように魔族との距離を詰める。
4m。 ここだ。
俺の読みは――、初撃と同じ首を狙う切り払い。
再び攻撃をかわさんと身を沈める。
しかし、実際に来たのは左から斜めに振り下ろす袈裟切りの一振りだった。
読みは外れだ。
そう都合のいいことは続かない。
それでも体勢を低くした分だけ刃の到達は遅れ、時間が生まれた。
俺は振り下ろされる尻尾に対し、斜め下から振り上げるように剣を合わせた。
相手の胴を狙い交差するようなカウンター。
奴は腕にも刃がある。
こんなものは簡単に受け止められてしまうだろう。
だが、今の状況で他に出来ることがなかった。
それならできることをやるだけだ。
かくして想像通り、俺の一撃を魔族は受け止めた。
そして尻尾の斬撃は俺の左肩を大きく切り裂いた。
たぶん致命傷だろう。
しかし、俺が俺の想像を超えたのはここからだった。
俺は無意識で魔族の尻尾をわし掴みにし、倒れることを拒否していた。
そのまま力任せに尻尾を引き寄せながら片腕で突きを放つ。
俺は声にならない声で叫びながら最後の一撃に全てを乗せる。
頭では何も考えてはいなかった。
全ての行動は本能で行われた。
そして魔族は、やはりその突きを簡単に受け流すと――。
そのまま尾を振り回して俺を壁へと叩きつけた。
意識が闇に落ちるその最後の瞬間もずっと。
俺はオフィーリアのことを考え続けていた。
「未熟」
魔族はそう言った。
刃を元の手に戻しながら腕を組む。
「技術も経験も浅すぎる。 だが、気迫だけは良かった。 悪くない戦いだったぞ」
ちょうど部屋の入口にランディとペトラがやってくるところだった。




