花に吹く嵐のように(2)
骨の折れる鈍い音がした。
リチャードの体が二、三度わずかに痙攣する。
そして全身から一切の力が抜け、だらりと垂れ下がった。
伸ばした手は行き場をなくし空を掴む。
静かだった。
開かれた窓から入ってくる風だけが、時折小さく音を鳴らす。
ややあって、魔族は尾から力を抜き、リチャードは地面に崩れ落ちた。
奇妙な姿勢で重力のままに伏せた王はもう動かない。
死んでいる。
目からは涙が一筋だけ頬を伝っていった。
それだけで十分だった。
心のどこかできっと自分の兄は死ぬことになるだろうと思っていた。
この涙は覚悟していた心で支え切れなかった最後のひとしずくだ。
むしろ悲しみよりもはるかに強かったのは喪失感だった。
体の中身を無理やり抜き取られたような強い空洞の感覚と、鈍く緩やかな痛み。
それを和らげるように息を大きく吸って、吐く。
すると、喪失感と共にもう一つの感情が急激に湧き上がってきた。
怒りだ。
それはこの魔族に対する怒りではなかった。
この世にある、あらゆる理不尽さに対する怒りだった。
焼けるような思いが腹の底から湧き上がってくる。
「どうして……、こんなことにならなくちゃいけなかったの……? おかしいじゃない……。 間違っている……! こんなの……!」
オフィーリアは力に任せて両の手で地面を叩いた。
「お前、よく見たら酒蔵で潜んでいた女か」
ずっと動かずにいた魔族はそう言った。
オフィーリアを上からじっと見下ろしている。
その目には見おぼえがあった。
それは司教が部屋を出ていく時にオフィーリアを見ていたのと同じ目だった。
どうしてそんな風に感じるのかは彼女自身にも分からなかった。
「気付いていたのに殺さなかったのね……。 なぜ……」
魔族は少し首をひねって怪訝そうな顔をする。
「お前は魔族のことがよく分かっていないようだな。 まぁ俺も人間のことはよく知らないのだからお互い様というところだが」
「どういうこと? なぜお兄様とあなたは協力していたの? 人間と魔族は戦争をしているんでしょう?」
「戦争? 何のことだ?」
魔族が嘘をついていないことがオフィーリアには肌で感じ取れた。
こいつは本当に困惑し、頭をひねっている。
リチャードが以前言った「人間と魔族の戦争はでっち上げだ」という言葉が脳裏に浮かんだ。
「あなたが……、お兄様を争いの道へと引き込んだのではないの?」
「違うな。 魔族はそんな謀りごとに興味は持たん。 俺の方が引き込まれたのだ。 もっとも仲介人がいなければこいつに出会うこともなかっただろうが」
「仲介人?」
「アクトゥス教団とか言ったか。 奴らどうやってか知らんが俺たちの大陸とこの南の大陸を繋ぐすべを持っているようだな。 しかし、まぁ今となってはどうでもいい」
魔族はリチャードを見下ろしてつまらなそうに言った。
「結局こいつは戦争を起こすのに失敗した。 俺も協力などと気まぐれを起こすべきではなかった。 強き人間と戦う手筈をすべて任せてしまった。 人間のことをまるで知らん以上そうするのが手っ取り早いと思っていたが……、おかげで随分と面倒なことに付き合わされたよ」
「じゃあ、あなたの目的って……」
魔族は腕組みを解き強く拳を握り締めた。
「闘争だ。 強者との戦い。 魔族の興味はそれ以外にない」
「そんなことのために……」
それ以上は言葉も出なかった。
様々な感情がオフィーリアの中で渦を巻くように激しく暴れ狂った。
何が正しくて、何が間違っているのか。
もうオフィーリアには何も分からなかった。
しかし、この魔族は一つだけ確かなことを言った。
強き者は弱き者をどのようにでも扱うことができる。
結局はそれがこの世界のルールであり、純然たる事実だった。
倫理や道徳、法というより強い力に守られて立っていたのは仮初の足場に過ぎない。
そんなものは状況次第で簡単に吹き飛んでしまう。
そしてひとたびそうなってしまえば、あとは暴力が絶対の力を持つ真理の世界があるだけだ。
「さて、もういいだろう」
魔族はオフィーリアの正面に向き直り、尻尾をゆらりと振った。
「お兄様と言っていたな。 お前も王族なのだろう? もう一人くらい殺しておくとしよう。 その方が確実に人間と敵対できるかもしれんからな」
「オフィーリア様!」
クレアとノエルが部屋に駆け込んでくる。
二人がそこにある光景を飲み込み、理解するのに少しの時間が必要だった。
魔族はそれを意に介さず、力を貯めるように尻尾を後ろに振りかぶる。
そして一切の躊躇なく、先端に付いた刃でオフィーリアの体の中心を貫いた。
二人にはオフィーリアの背中を突き破り、黒い刃が出てくるところがよく見えた。
尾は力強くそのまま彼女を空中まで持ち上げる。
吊るされた人形のようにオフィーリアの体が勢いでゆらゆらと揺れた。
魔族はその成果を確認するようにしばらく宙吊りのオフィーリアを見届けると、やがて刺した時と同じ勢いで尻尾を引き抜いた。




