いくつもの眠れぬ夜を超えて
「弁償してくれるなら別にいいってよ」
ランディは部屋に戻ってくるなりそう言った。
壊れた窓の件で宿の主人に話を付けてくれたのだ。
「んで、どうしたもンかねぇ……」と、ランディはこちらに歩み寄り椅子に腰かける。
そして、オフィーリアを見た。
俺も椅子に座ったままベッドに横たわる彼女を見下ろす。
ほんの微かに胸が上下している。
ちゃんと呼吸はしているらしい。
クレアが窓から飛び出していくと、ほとんど同時にオフィーリアは気を失ってしまった。
仕方なくこちらの部屋に運んだが、これ以上はどうしようもない。
クレアが帰って来るのを待つしかない。
「俺のした話覚えてるよな」
「引き際を弁えること」と俺は答える。
「そうだ。 今この瞬間に襲撃されてもおかしくねェ。 ここまでしてやる義理はないんだぜ。 もう限界だ」
俺は目をつぶって考えてみた。
クレアのことを、オフィーリアのことを、ランディのことを。
こんなに深く悩んだのは久しぶりだった。
しかし、やはり結論は変わらない。
「なぁ、俺はオフィーリアたちに付き合うからさ。 お前はここまでにしとけよ」
「ハ、ハァ? 何言ってんだ?」
ランディは思わず椅子から立ち上がった。
「このまま放っておいて、はい、さようならってのは何か違う気がするんだよな。 事情も気になるし。 手伝えることがあるなら手伝いたい。 何かしらできることはあるだろう」
「そりゃ死にたいってことか? お前、このあいだ生き残れたのは運が良かっただけだぜ。 次はねェ」
俺は頷いた。
それは自分でも分かっている。
「だから俺だけ行くよ。 ランディはここまでにしておきたいんだろ? そうすればいい。 お互いやりたいようにやろうぜ」
ランディは何かを言おうとして口を動かしたが、結局は諦めて頭を抱えた。
部屋がノックされる。
「私だ」
クレアの声だった。
「そうか……、バレていたんだな」
そう言うとクレアはため息をついた。
まるで隣の部屋にまで聞こえそうな深いため息だった。
俺たちはクレアから今夜起きたことの一部始終を聞いた。
そしてこちらもまた気付いていたことを開示した。
「お前たちの言う通り、オフィーリア様はこのレオーネ王国の王女だ。 私はプリンセスガードをしている」
「何で偽名を使わなかったんだ?」
尋ねるとクレアは苦々しい顔になった。
「とっさに嘘がつけなかった……、偽の名前など思いつかないし、演技もできん」
「正直なのは美徳だぜ。 好感が持てる。 でも、王女の護衛にしちゃちょいと不器用すぎたかな」とランディが皮肉を込めて言った。
「返す言葉もないな。 我ながら情けない」
クレアはかぶりを振って話を続けた。
「襲撃者の男はハンターだと名乗った。 実際にハンターが暗殺を請け負うなんてことがあるのか?」
俺とランディは眉根を寄せてお互いの表情を見た。
「普通はないな。 反社会的な依頼はギルドではじかれる。 でも、そういう非合法な依頼を斡旋する裏のギルドがあるって噂は聞いたことがある。 俺たちが関われるようなレベルの話じゃないけど」
「そうか……、正直かなり手ごわかった」
クレアは俯いて再びため息をついた。
とても疲れている。
一日置きに襲撃などされては無理もない。
「とにかく感謝する、二人とも。 オフィーリア様を起こしてすぐに引き上げるよ。 すまなかったな」
そう言って立ち上がると、クレアはオフィーリアの元に歩く。
初めてこの剣士に会った時はあまりの強さに驚いたものだ。
しかし今、その背中は随分と小さく見えた。
「なぁ、クレア。 俺も国境を超えるまで付き合うよ」
クレアはこちらを振り向き、俺の顔を見る。
俺もその顔を見返す。
ランディは何かを言いたそうにしていたが口は挟まなかった。
「俺は別に強いわけじゃないけどさ、人数がいるってのはやっぱ意味があると思うんだ」
クレアは目をつぶって何度か深呼吸をする。
眉をきつく寄せ、深く思考をめぐらせている。
俺たちは一言も発さずに、彼女の意思が固まるのを待った。
「……危険すぎる。 だから、これ以上巻き込むまいとは思っていた。 しかし……、本当のことを言うと誰かの助けが欲しい」
クレアはやっとのことでその言葉を吐き出した。
それだけでも彼女が多くのエネルギーを消耗したことが見て分かった。
苦渋の決断なのだろう。
「他に人を雇うってわけにゃいかねェのか? 自慢じゃないが俺たちゃシケた魔獣狩ってるだけのザコハンターだ。 もっと強いやつなんてそこら中にいるぜ」とランディが尋ねる。
「敵の手がどこまで伸びているか分からない。 国内で護衛の依頼をするのはリスクが高すぎる。 本当は宿泊施設も危険なんだ。 宿を取るのも今日を最後にする予定だった。 しかし、それすらも甘かった」
「だから俺たちに馬車を手配させたのか……。 じゃあ俺たちは何で平気なんだ? 俺たちが敵の刺客じゃないって保証もないじゃねェか」
「お前たちはただ偶然に通りかかったというだけで私たちを助けてくれた。 これ以上の信頼はあるまい」
沈黙。
面と向かって信頼などと言われるのも何だか妙なものだった。
「もういいよ」とランディは心の底からうんざりしたような表情で言った。
「付き合おう。 別に戦争しようってンじゃねぇ。 要は国境を越えてアクアリオまでたどり着けりゃいいんだろ?」
「いいのか? ランディ」
「よくねぇけど、もう諦めたよ。 お前は何言っても聞きゃしねェし」
三人とも頷き合う。
俺はなぜか急に昔を思い出していた。
農地で働いていた時のことだ。
その頃とはまるで違う世界に紛れ込んでしまった。
しかし、俺は正しい場所にいるのだという不思議な感覚があった。
自分と世界が僅かなズレもなくピタりとハマっている、そういう感じだ。
死ぬかもしれないが、これでいい。
長く生きるよりも重要なことがあるのかもしれない。
今はこの流れにどこまでも身を任せてみようと思った。
それがどこにたどり着くにしろ。




