第9章
十年前の軌跡? それが実際どうだったかなんて、正直言って既に忘れている。
私は記憶力には自信があったが、不思議なことにこの十年に何があったのかを思い出そうとすると、年表にまとめなければ、はっきりとした記憶には残っていない。この十年とは何だったのだろうか。私は不思議に思った。
開発部次長に昇進し、子どもも中学生から高校生、そして大学生へと成長し、長女は大学も卒業して就職も果たし、もうすぐ結婚してしまうのだろう。
私は役員までは届かなかったが、部長まで昇り詰め、老後の心配を特にすることもなく「余生」を過ごすことが出来そうだ。
「余生」
その言葉を思いついて、私は身震いした。私は既に抜け殻なのか。
「私の夏はまだ始まっていない」
夏、私が少年のころから最も好きだった季節。何があるのか分からないが、何かが起こりそうな季節。しかし今まで、何も起こりはしなかった。ただ淡々と、夏休みの宿題を片づけるとかいった、するべきことをしていただけだった。
船は桟橋を離れ、防波堤を超えてから一気に加速して行く。薄っぺぺれらい竹富島を横に見ながら、本当にこれから何かが始まっていくのだろうかと思うが、その確信は持てなかった。
西表の大原に着き、以前も泊まった月が浜のホテルに予約を入れてから、前にも体験したピナイサーラという滝までのカヤックツアーに参加した。最初にオールの使い方を教えてくれるなどは、十年前と変わらない。
しかし前と異なり、一日の参加人数は、厳しく制限されているようだ。西表が世界自然遺産になったということから、入域者について、何らかの基準が設けられたとのことだった。しかし観光のトップシーズンでもない、平日である。私は当日の申し込みでも参加することが出来た。
前と同じ、ピナイ川の支流からカヤックを漕ぎだした。
マングローブに囲まれた狭い川をゆっくりと進むと、視界が一気に広がり、湖のような本流との合流点にたどり着く。そこの三角州に上陸して、しばし休憩する。
シオマネキが無数に這う光景を眺めながら、ペットボトルのミネラルウォーターをのどに流し込む。梅雨に入る前とはいえ、気温は三十度を超える真夏日が続いていた。
再びカヤックに乗り込み、ピナイサーラを目指す。前に来たとき、私は何を思っていたんだったろう。
私は瞬時に彩子の姿を思い出し、それをすぐに振り払おうとした。
幻想的なあの入り江での出来事。そして石垣の米原ビーチでのふれあい。
ひょっとすると、私のこの十年は、あの出来事に支配されていたから、それ以外の本来の生活が、記憶から霞んでしまっていたのではないのだろうか。
カヤックを船着き場に係留し、山道を滝に向かって歩く。ガイドが道端の珍しい植物の解説をするが、以前も聞いた話なので、うわの空で通り過ぎる。最後の岩場を上ると、見覚えのある滝が現れた。
以前訪れた時より水量が少なく、迫力はそれほど感じられなかった。しかし前は水量が多すぎて滝の上までは行けなかったが、今回は滝を昇ることが出来そうだ。
滝つぼで少し休憩してから、ガイドの先導で、滝の横手から上へと昇っていく。
一般観光客でも無理はないが、もう退職年齢に達している私にとってはきつい行程である。十年前だったらどうだったんだろうと考えてしまう。
しかし四十分ほどで滝の上にたどり着き、船浦湾をまたぐ橋と、その先に続く紺碧の海の風景が広がる。
「これが、夏の風景と言うやつじゃないのか」
私は少し手ごたえを感じた。今からじゃないか、と。
そこで沖縄そばのランチをいただき、来た道をつぼを目指して降りていく。
同行者はガイドの他は、新婚旅行で八重山を訪れた若い夫婦と、東京から観光で訪れた会社勤めの三人連れの女性だった。そう言えば、前に石垣に通っていたころ、新宿で出会った若い三人組の女性がいたのを思い出した。
石垣でも偶然遭遇し、随分と盛り上がったのを思い出したが、その後、何らつながりはない。部署を移動してからは、新宿の沖縄居酒屋にも行かなくなった。本当にこの十年とは、一体何だったんだろう。
滝つぼからカヤックまで戻り、再び川ゆっくりと下って出発点まで戻る。
「お疲れさまでした」
ガイドさんが元気な声を張り上げる。
皆がライフジャケットを脱いでガイドさんに渡し、バンに乗り込む。
「ご宿泊先はどこですか?」
ホテルまで送ってくれるようだったが、結局全員、私と同じホテルだった。
「皆さんが同じホテルで、こっちとしてめちゃ楽ですね」
ガイドの言葉に皆が笑った。
桟橋に預けていた荷物を取り、ホテルにチェックインしてからシャワーを浴びて着替えてからラウンジに寄る。するとツアーで一緒だった女性三人組がいた。
「良かったですよね」
私は声をかけてから、別の席に向かおうとした。
「良かったら、ご一緒できませんか」
女の子の一人が、自分の隣の席を指さす。十年前の女の子たちを思い出した。しかし思えば、あの時の彼女たちは、まあ私を「おじさん」と認識していたのだろうが、今の彼女たちにとって私は「お父さん」の年代なんだろう。だって、うちの娘がこの女性たちと同じ年ごろなんだから。
「どこから来たの?」
「東京です」
「僕も東京からなんだけれども、石垣に移住しようと思ってね」
「移住?」
「会社を退職したんで、これからは自由にしたいと思ってね」
「すごいわ、それ」
三人の女の子は、その話で盛り上がる。
「私も会社辞めて、石垣で何か雇ってくれないかな」
「私は西表で仕事を探そうかな。だって、ホテルのスタッフ募集って、貼紙あったじゃない」
彼女たちは、多分本気じゃないだろうけれども、興味を引かれたのだろう。昔も今も、若い人たちの思いは同じだ。しかし私のようにいい歳をとった初老の人間には、不向きかもしれない。もうおとなしく「余生」を過ごせばよいものの。
「まあ、よく考えてからにしてください」
私は笑いながら応えたが、よく考えたのかどうか分からなかったから、結局普通の人生を過ごしていたのだろう。
「普通の」人生というものがどういうものかは定義できないが、恐らく退屈でつまらないものなのだろう。でも安全で、確実なものであるのは間違いない。
女の子三人は盛り上がっていたが、私は辞してホテルを出た。前に彩子と行ったイタリアンレストランがまだあるのかと気になっていた。
確かあの時は夜で、真っ暗な道を真っ直ぐ歩いていると、温かい光が目に飛び込んできたはずだった。今はまだ日も高く、周囲も見渡せる。
私はホテルから少し歩いたところで、低い灌木の茂みに足を踏み入れた。そこは、イタリアンレストランからの帰りに、彩子とひと時を過ごした入り江である。
台風が、まだフィリピンの東側であるが、徐々に沖縄に近づいているという予報だった。そのせいで、海は少し苛立っていたようで、あの日の夜のような静けさは無かった。だが晴れ渡った空が、徐々に夕日に染まっていく気配を感じた。
私はビーチに腰を下ろし、日没までこの風景を眺め続けようと決めた。多分、この十年の自分の生活を省りみようと思ったからかもしれない。
陽は徐々に傾き、やがて水平線に達する。こんな日没の風景を見られる場所は、人生でも限られている。それを今、私は遭遇することが出来ているのだ。
私は水平線に沈む太陽を見届けてから、道に戻って大原集落の方へと歩いた。しかし目当てのイタリアンレストランはすでになくなっていて、仕方なく、タクシーを呼んでホテルに戻り、夕食を取った。
翌日朝食時に、ピナイサーラツアーで一緒になった若い三人組の女の子たちと一緒になり、テーブルを共にする。
「今日はどちらに行かれるんですか?」
私は何も考えていないことに気づき「さあ、どうしましょうかね」と曖昧に笑った。
「素敵ですね。私たちなんて、今日何をするかなんて、一か月前から決まっているんですから」
「まあそうよね。旅行なんだから」
女の子たちは笑った。
「それが普通でしょう。僕の方が少し間違っている」
私が言うと、三人はきょとんとした表情を浮かべた。
「今まで考えて行動してきたと思っていたけれども、成り行きで行動してきたんですよね、実際は」
女の子たちはきょとんとする。
「いやごめん。今日は舟浮まで行ってみようと思っています」
私は無理に笑顔を作った。
「舟浮って、陸の孤島とか呼ばれているところですか?」
「そう、船でしか行けない集落だからね」
「すごい、私たちも行ってみたいな」
「でも今日は由布島だったでしょ」
女の子たちが相談を始める。
一番年長らしき女の子が言う。
「ご一緒していいですか?」
「いや、それは良いけれども、計画があったんじゃなかったの?」
「計画通りには行かないことも多々ありますので」
女の子三人は声を上げて笑い出した。私も愉快な気持ちになった。
「僕は舟浮に泊まるけれども、君たちはどうする?」
「折角ですから、一泊はしたいんですけれども、泊まれるんでしょうか」
「多分大丈夫だと思うけれども、今聞いてみたらいい」
私は彼女達に民宿の電話番号を教えた。
「大丈夫みたいです」
彼女達ははしゃいでいる。
私たちはホテルをチェックアウトしてロビーに集合して、ホテルの玄関までやって来たバスに乗り込んだ。私にとって思わぬ同行者との舟浮行である。
バスは田舎道を進み、トンネルを抜けると、そこが陸路の終点である白浜集落だ。そこでバスを降り、待合所で舟浮行の便の時刻を確かめるが、一時間は待たなければならなかった。
桟橋からは、内離島や外離島といった無人島が眺められる。それらの島にもいずれは訪れたいと思いながら、バス停近くの商店で買い求めたビールを口にする。女の子たちもその商店で、コーラやスナック菓子を買い求め、船の待合所でおしゃべりしながら楽しそうに過ごしている。
私は十年前に新宿で出会い、石垣の居酒屋で偶然再会した、やはり三人組の女の子たちを思い出した。彼女達も同じような三人組だったが、今どうしているのであろうか。
数年ぶりに訪ねた新宿の沖縄居酒屋のマスターが、皆結婚してお子さんが出来たとか言っていた。十年たてば、人の生活など、大きく変わってしまうのは当たり前だ。彼女達の十年後何て、想像できない。それこそ自分自身の十年後だって、生きているのかどうかも不確かである。
船がやって来た。船を操る船長は、十年前とは異なり、民宿の若主人だった。
「お父さんは?」
「五年前に亡くなりました。以前来られたのは、もう十年前になりますよね」
音楽活動をしていると言っていた民宿の主は、私のことを覚えてくれていたようだった。
三人の女の子も船に乗り込む。船はその四人だけを乗せて、舟浮に向かった。
「わあ、すごい」
船は無人島の横を通り、大きな川の河口を通り、すぐに舟浮の集落が見えてきた。懐かしい景色だった。
船を降りてから、歩いてすぐの民宿に向かう。
女の子三人は、二階の少し広めの部屋に決まったようだ。私は前に泊まったときと同じ、一階の四畳半の部屋である。窓のカーテンを開けると、裏庭の軒先に置かれた洗濯機が見える。
私は荷物を部屋に置いてから、すぐに食堂に入り、冷蔵庫の上に置かれた箱に料金を入れてから、冷蔵庫からビールを取り出して開けた。十年前と変わらないやり方だった。船に乗る前にも飲んだから、まだ陽は高かったが、本日二缶目である。
女の子たちが食堂にやって来て、出かけると声をかけてきた。
「お勧めの場所はありますか?」
女の子の一人が尋ねる。
「反対側にイダの浜という、静かなビーチがあるよ。小学校の横から山道に入ると、ニ十分ほど歩いたら着くから」
「行ってみます」
三人は出かけ、民宿はひっそりと静まった。主人も出かけていて、私一人だけが取り残されていた。
私は一人でビールを飲みながら、これから石垣でどう暮らしていこうかと思った。楽しみであるはずなのに、不安の方が徐々に深まっていく。
経済的に上手くやっていけるかと言った不安ではなく、このまま精神を正常に働かせていけるのかという、漠然とした不安と言うしかない不安だった。
民宿の主人が戻って来た。
「すみませんね、ちょっと寄り合いがあったもので」
主人は冷蔵庫から冷えた麦茶をグラスに注ぎ、私の向かいに座った。
「あの女の子たちとご同行ですか? 夕食を同じテーブルにするかどうかでお聞きするんですので、気にしないでください」
主人は笑って話しかけてくる。確かにもう六十を過ぎた男と彼女達が同行者であるはずはない。
「ピナイサーラのツアーで知り合ったんだけれども、私が舟浮に行くと言ったら、行ってみたいということでね。それで一緒に来たというわけです」
私も笑いながら頭を掻いた。
「でも若いって良いですよね」
「ご主人だってまだまだ若いじゃないですか」
「いえいえ、十年前ならばまだ自信はありましたけれどもね」
「音楽はまだやっておられるんでしょ?」
私は数年前に彼の名前をどこかで聞いた覚えがあったので、尋ねてみた。
「まあ時々はね。でも若い頃ほどはやっていないんですよね。やっぱり限界っていうものを感じてしまって」
「そんなことはない」
私は本心からそう言ったつもりだったが、主人は恥かし気に笑った。
「釣りにでも行かれますか? 確か前に来られた時も、親父の船でいかれたと覚えていますが」
十年前に一度きり来た客なのに、本当によく覚えている。
「よく覚えておられますよね、十年も前なのに」
「この集落では十年前なんて、つい最近のことですよ」
主人はそう言って笑った。