第6章
東京に戻って、普通の生活が再開した。石垣の出張報告をすると、部長は喜んでくれ、早速インドネシアでの庁舎建設のプロジェクトチームも立ち上がり、その責任者として、今度はインドネシアへの出張予定を組むことも出来た。石垣島をはるかに飛び越えることになってしまった。仕事は益々忙しさを増し、もうあの日本最南西端の島々に行くことはないだろうと思った。
娘ともみの元担任の盗撮騒ぎもすぐ収まり、日常は、以前のままだった。石垣島での出来事は、既に過去の思い出となっていたと思った。
しかし時々、歌舞伎町の沖縄居酒屋には足を運んだ。
以前石垣島の話で盛り上がった三人組の女の子たちとも時々一緒になり、ここで話をすることで、既に思い出となっている石垣島との唯一の接点を保ち続けようとしていたのかもしれない。
彼女達が話しかけてきた。
「今度また、みんなで石垣島に行くことになったんです」
一番年上の女の子が嬉しそうに言う。
オリオンビールのジョッキをカウンターテーブルに置いてから「そりゃいいな。どれくらいで?」
と応じた。
「三泊四日です。仕事していたら、これくらいが限界ですよね」
「まあそうだろうね」
「で、今度、初めてダイビングに挑戦することにしたんです」
一番年下の女の子が言う。彼女たちは同じ会社の同僚だということだった。
「スキューバ?」
「ええ、体験だけですけれども」
「羨ましいな」
私はスパークリンクワインをフルボトルで注文し、マスターに「彼女達にグラスを」と注文する。
「いや、ダイビング挑戦を祝してということで」
「わっ、嬉しい」
彼女たちははしゃいでくれる。ごくごく普通の女の子なんだろう。島に移住してきた彩子とは全然違う。
「ダイビングの経験があるっておっしゃっていましたよね」
一番年上の女の子が尋ねる。
「ええ、伊豆でライセンスを取って、石垣でも何カ所か潜りましたよ」
「わあすごい」
「それで、どんなでした?」
私はグラスのスパークリンクワインを飲み干してから答えた。
「伊豆で最初に潜ったときも感動しましたが、やっぱり石垣の海とは全然違いますよね。とにかく明るい。海底まで透けて見えるし、魚がものすごく泳いでいる」
「きゃっ」
女の子たちは盛り上がる。
「どんな魚なんですか」
「サンゴ礁にはカクレクマノミとかいった小さな熱帯魚から、刺身にしてもおいしい中型の魚とか、それにウミガメとかマンタとかもいましたね」
私は得意げに答えた。
「ウミガメも見られるんだ」
一人の女の子が驚く。
「ビーチ近くのサンゴ礁近辺では、結構見つけられますよ」
「すごーい」
女の子たちは感心し、自分たちの体験ダイビングに、益々期待を深めているようだった。
「ところでマンタって?」
女の子の一人が尋ねる。
「大型のエイです。海の中を飛ぶように泳いでいるんですよ」
「まあ素敵」
女の子たちは盛り上がる。
「マンタも見られるでしょうか?」
マスターが継ぎ足してくれた二杯目のスパークリングワインを一口飲んでから答えた。
「マンタが良く見られるのは、ヨナラ水道という、西表島と小浜島の間の水域でね、でも流れが速いから、中上級者向きのダイビングスポットなんだけれどもね」
「だったら無理か」
女の子たちは落胆する。
「でもマンタは無理かもしれないけれども、良いとこいっぱいあるから」
私は彼女達をフォローする。
「だったら、どこがお勧めですか?」
彼女達が尋ねてくる。
「まあ体験ということだからビーチからエントリーだとすれば、米原かな」
私は自身のダイビング体験から「米原」という地名を思い付いて口に出した。それと同時に、彩子との出来 事を思い出してしまい、私はスパークリングワインを一気に飲み干した。
「米原?」
女の子の一人が尋ねる。私はその場所にもう触れたくはなかったが、仕方なく答える。
「川平湾のもう少し北。ビーチかすぐにサンゴ礁が見られるポイントだよ」
「へー素敵。調べてみよ」
彼女らの一人が、インスタで検索した。
「すごくきれい」
「どれどれ」
彼女たちはスマホの画面に釘付けとなる。
「ありがとうございました。私たち米原にします」
「おいおい、もっと調べてみた方がいいんじゃないか」
「いいえ、三人ともものすごく気に入ったので」
「まあ良いところだよ」
私は彩子と不思議な時間を過ごしたあの米原の海岸の夜景を思い出してしまった。その海岸でごくごく普通の彼女達が波打ち際ではしゃいでいる姿を思い浮かべた。
もう私の「お遊びは」止めだ。
「ところで泊まるところは決めたの?」
「これからです。でも米原でダイビングするならば、そのあたりで一泊するのも良いかも」
「そうそう」
「そのあたりにホテルってあるんですか?」
一番年下の女の子が尋ねる。
「ペンションが三件くらいあるって聞いたけれども」
私はタクシー運転手から聞いた話を伝えた。
「本当だ」
歳が真ん中の子が旅行サイトから米原のペンションを探し出した。
私は、彩子がどのペンションに勤めているのかは聞いていない。それに、数日で千ベロの居酒屋を辞めたぐらいだから、千ベロ居酒屋の女性店員は「男と一緒だ」と言っていたが、あの米原海岸での振舞を思うと、そこもすぐに辞めてしまっているかもしれない。
でももしまだいるのならば、もう一度石垣に行ってみたいと思ってしまっている自分に気づく。もうお遊びは止めにしたはずなのに。
私は彼女達に言ってしまった。
「前に千ベロ居酒屋にいた女性店員の話をしてたじゃない」
「ええ、あの素敵な方よね」
「その千ベロ居酒屋で聴いたんだけれども、彼女は今、米原のペンションで働いているんだってよ」
「えっ、うそー」
「でも素敵じゃない?」
「もう一度会いたいよね。でもどのペンションかしら」
「そこまで聞いていないよ」
「でもさすがに石垣情報には詳しいですよね。こんなローカルな情報を新宿で話し合っているなんて」
一番年上の女の子が驚いたように言う。確かにそうだと、私自身思った。
女の子たちがわっと笑う。私も苦笑せざるをえなかった。しかしもし彼女達が石垣に行って彩子と会ってくれるならば、何らかのその後の情報を得られるのではないかと思った。
「お遊び」は止めにしたはずなのに、私は何を期待しているのだろうか。
まだ夏が始まることを期待しているのだろうか。