第13章
石垣から向かった先は京都だった。関西空港に着いて、すぐにJRの特急に乗って京都駅に着く。私が大学時代を過ごした街である。
三条河原町のホテルにチェックインしてから、すぐに街に繰り出す。木屋町を四条に向かって歩いた。
店は変わっているんだろうが、懐かしい風景である。
学生時代、友人と飲み歩いた通りである。私の記憶の原点は、ここなのかもしれない。でもそれは、封印された記憶の原点ではない。
私は木屋町から路地を抜け、先斗町に分け入る。一本筋違いなだけで、木屋町の雑然とした風景とは違う、京都らしい落ち着いた雰囲気となる。この移り変わりの激しさは、京都以外ではまずないだろう。
私は鴨川縁の店に入って、床と呼ばれる川沿いのテラス席に座った。まだ陽は高く、鴨川が太陽に照らされて、キラキラときらめいていた。
ビールを二杯のみ、天ぷらを食べ、石垣の千ベロとは違った酔いを味わい、それで店を出て、町に向かって鴨川沿いを北に向かって出町まで歩いた。
出町は鴨川に平行して南北に続く河原町通りと、東西に走る今出川通りとの交差点で、叡電という、更に京都の北に繋がる電車のターミナルでもある。
私はその叡電に乗り込み、一乗寺へと向かった。一乗寺は比叡山のふもとにあり、当時学生たちが多数下宿しているエリアで、私も二年間、ここで暮らしていた街だった。
一乗寺駅を降りて東に歩き出し、東山通を超え、宮本武蔵と吉岡一門の決闘で知られる「一乗寺下り松」の史跡を通り過ぎ、詩仙堂へ向かう路地を歩く。
封印していた記憶が徐々に蘇ってくる。
私はこの先から比叡山山頂へと続く山道を、四十年前に歩いていた。その道は比叡山の僧侶が千日回峰と呼ばれる苦行で上り下りする雲母坂という山道である。私は日が暮れかけているのもお構いなく、その道へと踏み出していた。
汗が額から滴り落ちるのも気にせず、私は坂を上り続けた。段々と周囲は暗くなっていき、そのうち、足元も見えなくなってきた。 しかし私は躊躇なく、坂道を上り続けた。
一時間ほど歩いて、市街地が見下ろせる開けた場所に出る。そこは、まさしく四十年前に私がいた場所であった。
私はその場所から数十メートル茂みをかき分けて進み、目印としていた一本の松の木を探し当てる。
当時に比べ、かなり大きくなっていた。
もうあたりは真っ暗となっていたが、携帯の画面で照らしながら、その松の木から歩いてニ十歩のところにある岩を見つけることができた。確かに四十年前と、同じ場所だった。
私はそれを確認すると、来た道を引き返し始めた。
真っ暗な山道だったが、あの時と同じように、進むべき方角へと、自然に歩いて行ける。一時間もかからないで一乗寺まで下り、叡電で出町まで戻ってから三条河原町のホテルまでたどり着いた。
その夜は若い女の子のいる木屋町のスナックで、酔いつぶれるまで飲んだ。