第9話 卒業パーティーの炎
「ミレーネ様へのお心遣いもまるで感じられません。この上は、参加者の皆様への心証も考え、ミレーネ様への賠償をぜひご検討いただきたいと思います」
「何だと」
「ガラディナ様のおっしゃるとおりですわ。わたくし大変気分を害しましたの。のちほど当家よりカルム様へ賠償の件、追って請求させていただきますわ」
ミレーネも強気で訴えた。カルムは文句を言いかけるが、パーティーのみなの視線を感じて、口ごもる。
「ふん。勝手にしろ。とにかく、婚約は破棄したからな」
これで丸く収まったようだ。アルディナは満足しつつも、今度はその隣へ視線を転じる。
「ラミリー様、でしたわね?」
アルディナは男爵令嬢へ向かう。
魔王から、婚約破棄さえうまくいけば、好きにしていいと許可をもらっているので。
気怠そうに返事をするラミリーに、彼女は話しかける。
「わたくしは、ガラディナと申します。失礼ですが、ラミリー様、髪は染められたのでしょうか」
ラミリーの髪はピンク色だった。アルディナは、どうしても気になって仕方がなかったのだ。
「こんな髪の色、魔族でも見たことがございませんわ」
「……」
「おそらく、あなた様はカルム様を誘惑してこいと命令を受けたのでしょう。それはお気の毒なことだと思います。しかしながら、ピンク色の髪は常識的ではない、と感じました」
「……」
ラミリーはむすっとして黙ったままだ。
「それに、とてもお胸の目立つドレスですわね。少しならともかく、あまりお胸ばかり強調されると、頭が悪そうに見えるとお聞きしますので、よくお考えいただけたらと思います」
アルディナはそこで、みなが見惚れてしまうような優雅な一礼をする。
「わたくし、僭越ながら、二点ほど意見を述べさせていただきました。どうかお気を悪くなさいませんように。お忘れくださっても構いませんので」
「……」
ラミリーはすっかり不機嫌な様子。
やりすぎたかしら、とアルディナは気持ちが凹む。
下手をすれば、悪役令嬢がいじめをしたような。あまりに妙な髪とドレスで気になってしょうがなかったとはいえ。
しかしながら、周りにはガラディナに憧れるたくさんの令嬢たちがいた。すかさず、その一群が動く。
「まあ、ラミリー様、ガラディナ様から直接ご指導いただけるなんて、羨ましいですわ」
「ガラディナ様のお言葉、わたくしもそのとおりかと思いましたの」
「ガラディナ様のおっしゃることに、間違えはございませんわよ。お話をしていただけて、本当によかったですわね」
口々に言い出したので、ラミリーは完全に硬直してしまった。
アルディナは、個人的にものすごくすっきりした。けれど、目立ちすぎたかとちょっと反省もした。
そのとき、突然思いがけない声がした。
「カルム、お前は何をやっている」
「あ、兄上……っ」
カルムが呆然とする。
王太子の姿がそこにあった。まさかこの場にやってくるとは。誰にも予想のつかないことだった。
このまま卒業パーティは無事終わるものと思っていたのだけれど。
アルディナは身を引き締める。
魔王から、王太子と第二王子は犬猿の仲だと聞いていたからだ。
王太子はカルムと対峙すると、強く非難した。
「勝手なことをするなとあれほど言っただろう。婚約破棄などもってのほか。早く取り消すがいい」
「黙れ」
カルムは自分を取り戻すと、王太子に向かって主張しようとする。
「婚約はもう破棄した。余の婚約者はミレーネではない。この……」
「そんなことが許されると思うのか」
王太子は第二王子を睨む。魔王の配下たちが調べていたことも明るみに出たらしい。何もかも知った上で、ここへやってきたのだろう。
それにしても、あっさり険悪な雰囲気になってしまった。
「余は、お前が闇取引をしているのを聞いておる。婚約の破棄もそのためだな。いい加減にしろ。つまらぬ欲をかくのではない」
兄の叱責に、カルムはすっかり頭に血がのぼってしまったらしい。
「いつも兄上ばかりが優遇されて、余はないがしろにされてきた。この上、まだ指示するのか。もういい。衛兵!」
カルムは突然自分の護衛を呼び寄せた。
何だかまずいのでは。
「余に逆らうのか。衛兵!」
王太子も対抗しようとする。
アルディナは息をついた。どうやら、魔力の出番らしい。
結局のところ、王太子と第二王子の間に炎が渦巻いた。
アルディナが思っていたよりずっと巨大な爆炎だった。
「魔王様、炎があまりに大きくてわたくし、本当に驚きました。魔力をもう少し加減していただかないと」
アルディナは椅子に腰かけると、すかさず言い募った。
魔王城にも春が訪れていた。
二人で薔薇の咲く庭園を歩いてきた。緑の小道を通り、奥まった場所には八角形の屋根の立派なガセボがある。その白い柱のなかには、瀟洒な丸いテーブルと椅子が置かれていた。
魔王はテーブルの向かい側でにやりと笑う。
「だが、人間には燃え移らなかっただろう?」
「えっ……はい」
言われてみれば、確かにその通り。
「髪や衣服くらいは焦げるかもしれんな。しかし、わたしは魔力をうまく操って、人間の体には危害が加わらないようにしたのだ。そなたが心配しないようにな」
「そうだったのですか」
魔王の魔力は万能なのだ。そんなコントロールもできるのだろう。
「ありがとうございます」
アルディナは素直にお礼を述べる。けれども、そのあとにひと言添える。
「事前におっしゃってくださらなかったのは、わざと、ですね」
魔王は高らかに笑った。
「そなたの怒った顔も美しい。それを見たくてついやってしまった。許せ」
「魔王様……全く」
アルディナは怒る気など失せてしまう。魔王が知らない人間の怪我をそこまで気にかけることはないだろう。彼女のために、魔力を調整してくれたのだと確信する。
炎が上がったときに、アルディナは気づいていた。魔王が『ちょっとした細工』で、何かやっているのではないかと。
それなりの付き合いだから、予測できたことだが。
本当は優しい魔王様。そのお心に触れることができて、わたくしは幸せだった……。
アルディナは、この一年の、学園生活を通しての調査も今日で終了だと分かっていた。そのあと、何か頼まれることがないかもしれない。
庭園には、心地よい風が吹いていた。アルディナの、薄桃色の小花のドレスもふわりと揺れる。
花々の甘い香りや若葉の匂いが漂う。
もう一度、この先も何か手伝うことができるか、訊いてみてもよいのかしら。
執事のソムス様は、魔王様がわたくしを歓迎なさっているように話していたけれど。でも。図々しい人間だと、思われないかしら。
だけど、このまま最後のダンスを踊って別れるなんて……。
考えるだけで、芯まで凍り付いてしまいそうなほどの寂しさに襲われそうになる。
二羽の小鳥のさえずり合う声が響く。
ぐるぐると思考は巡り、アルディナは言うべき言葉を迷いに迷っていた。
お読みくださって、ありがとうございました。