第8話 世直し令嬢は行動する
アルディナは、ミレーネがかつての自分のようであったら、と考えると心が乱れた。
魔王と出会ってからこれまで、婚約破棄の場に居合わせたことがあったものの、それはどれも自分と同じようなケースではなかった。
今回は違う。もしもミレーネが婚約者のカルムに気持ちがあったら、と。
しかし、それは杞憂だったようだ。
「カルム様とは、急に婚約を結ぶことになったのですわ。公爵家としては、よいご縁と思っていましたけど、個人的にはさほど。何しろ、他の女性と懇意になられることが多いものですから」
「カルム様にはあまりお心を寄せていらっしゃらないと?」
「そうですね。ただ、そんなことは言えませんもの。ご内密に」
「それなら、友人としてお話したいことがあります。わたくしがこれからお伝えすることもご内密にお願いしたいのですが……」
アルディナは本当のことを話すことにした。
ひと通り聞いたミレーネは、深緑の瞳をきらきらと輝かせた。
「ガラディナ様……いえ、アルディナ様は、世直し令嬢だったのですね。お会いできて、こうしてお友だちにもなっていただけて、光栄ですわ!」
「世直し令嬢、ですか」
アルディナは、目をぱちぱちと瞬かせる。
ミレーネの話によると、貴族たちの交流の場で、颯爽と現れる美しい令嬢の噂があるという。その女性を密かに『世直し令嬢』と呼んで、男女問わず憧れている人がたくさんいるのだとか。
自分がそんな噂になっているとは。
アルディナは思いがけない話に、真っ赤になった。
実のところ、彼女は魔王の手伝いで、学園生活の合間にも何度か貴族たちの集う場に姿を見せている。それがこんなことに。
生真面目令嬢と呼ばれたわたくしが、世直し令嬢だなんて。
アルディナは、魔王にミレーネのカルム王子に対する気持ちを話した。しかし、世直し令嬢については、恥ずかしくて言い出せなかった。
水晶球の向こうで、魔王は話した。
「配下の者がいろいろ動いているが、卒業パーティーで何かあるやもしれん。念のため、わたしの魔力を一度そなたに分け与えておこう。今度の休暇に、そちらへ馬車を遣わす。わたしのところへ来てくれるか」
「はい。お会いできる日をお待ちしております」
魔王に会えると思うだけで、どうしようもなく気持ちが華やいだ。
アルディナは久しぶりに魔王城へ赴き、魔王と再会した。
変わりなく凛々しいその姿に、アルディナはときめく。これまで築いてきた魔王との語らいや同じ目的の元での行動が、さらに自分の恋を深く濃く彩っていることに気づいた。
アルディナは魔王と食事をしながら打ち合わせをした。
まだ冬の寒さの残るこの日、温かく滋養に満ちた食事は、心までほっとさせられるものだった。
そのあとで、魔力を授けられることになった。
魔王は、アルディナの両手をとる。彼女もまた、白く細い指先で魔王の手に触れ、委ねる。大きな手で優しく握られ、胸がどきどきと高鳴る。
魔王が呪文を唱える。彼の手のひらから温かい魔力の流れが伝わっていく。
やがて、魔王はそっと手を離した。
魔力を身に収めながらも、アルディナは余韻に浸りそうになる。それを悟られないように、質問をした。
「魔王様は、魔物たちにもこうして魔力を分け与えたりなさるんですか」
「そうだな。魔物の多くは生まれつき固有の魔力を持っている。風や炎を操る者もいれば、姿を消したり変えたりできる者もある。その魔力を増幅するのなら、額に触れて与えたりもできるのだ」
「そのときも呪文は唱えるのですか」
「ああ、短い呪文で済むが」
「呪文って、必ずいるものなんですか」
何気なく訊いたのに、一瞬だけ魔王の答えに間があった。
「いや。唱えずに魔力を与える方法もある。あまりないことだが、大きな魔力が必要なときにな」
「そうなのですか。そのほうが簡単ではありませんか」
「うむ……まあ、簡単だが、簡単ではないのだ」
それはどういうことなのかしら。
疑問に思う。
けれども、魔王はなぜか俯いて、こちらと目を合わさないようにする。それなので、問いかけることをためらった。
暖炉の火が赤々と燃えている。
結局はこう告げた。
「今回もよい結果が得られるように努めます。必要なときには、いただいた魔力を有効に活用させていただきます」
「頼んだぞ、アルディナ」
「はい、魔王様」
アルディナは魔王に頼られている自分が誇らしかった。
魔王との別れのあと、執事のソムスが帰りの馬車へ案内する。
アルディナがお礼を言うと、ソムスは深く頭を下げる。頭に生えた一本の角がゆっくりと揺れた。この執事は二百歳近い年齢らしいが、栗色の髪にやや白髪のある中年の男性にしか見えない。
「アルディナ様、またぜひいらしてください。魔王様はとても楽しみにしておられる。実に喜ばしいことでございます」
「え、あの……」
執事の言葉が引っかかって、言いかける。
「ああ見えても、魔王様はあなた様がいらっしゃるのを心待ちにしておられたのですよ。あのかたは……こんなことを申し上げるのもどうかとは思うのですが、初心なのです」
「初心っ?」
何だかとんでもない言葉を聞いてしまったようで、アルディナは知らず甲高い声を出した。慌てて口を塞ぐ。
けれど、ソムスは構わずにやや砕けた調子で話した。
「魔王様はわたくしめからすれば、まだまだ幼な子なのですよ」
「ミレーネ・ロートリンデ公爵令嬢、お前との婚約を破棄させてもらおう」
卒業パーティーの宴もたけなわのそのとき、声が響き渡った。
第二王子カルムが突然婚約を破棄する宣言をしたのだ。その場は騒然となった。しかし、婚約者だったミレーネは落ち着いてカルムに詰め寄った。
「理由をお聞かせ願えますか」
「お前との婚約は、ただの家の都合でしかない」
「それはお互いに承知のことではありませんか」
強い口調で話すミレーネにカルムは虚をつかれた様子。けれど、すぐにひとりの女性が摺り寄ってきたので、王子は勢いを取りもどした。
「家のことなどどうでもいい。余は真実の愛に目覚めたのだ」
聞いていたアルディナ――ガラディナ王女も一瞬呆然とした。ロマンス小説で数年前から根強く人気を集めている『真実の愛』。
まさか、キリウスだけでなく、カルムもそんな理由を持ち出すとは思わなかった。
「真実の、愛?」
ミレーネも驚いたように呟いた。カルムは不敵な笑みを浮かべる。女性はその肩にしなだれかかる。
「このラミリーは身分は低い。だが、余が心から愛する娘だ。余はこの者と結婚すると決めた」
「承知いたしました。わたくしは、今から婚約者ではないということですね」
ミレーネが了承を告げたところで、アルディナは加勢に入る。
事前に魔王から、カルムに大きな動きがなく、婚約破棄がスムーズに進めば、あとは好きなようにしていいという許可をもらっていた。
「一方的な婚約破棄とお見受けいたしました。しかも、卒業パーティーという皆様にとって思い出となる場での発言、いかがなものかと思います」
「何っ」
カルムが険しい顔をするが、ガラディナ王女は一瞥するとさらに発言する。