第7話 東の国のガラディナ王女
魔王は依頼する。
「実はもう一つ、不穏な動きの見られる国がある。そこでの調査に協力してほしい」
「はい。まずはどのようなことから始めればいいでしょうか」
アルディナはつい力が入ってしまう。
「大陸のなかでも中堅の、それなりの歴史ある国だが、最近内部分裂の兆しがある。このまま大きく乱れると、近隣の小国も被害を受ける」
「そうですか」
アルディナは魔王と出会って、世界の広がりを感じられるようになった。
以前は自分の国の王家しか考えられなかったが、大陸全体を把握する魔王の影響で、多くの国の人々や土地を考える視点を持てるようになっていた。
「今は、第二王子が王立学園に通いながら密かに反乱分子を集めているらしい。学園内にわたしの配下が潜んでいる。その助力をしてもらいたい」
「かしこまりました。それにしても、王立学園ですか。懐かしいですわ」
魔王とまたかかわりができたことについ浮かれて、アルディナは話した。
「そなたもあの国で通っていたな」
「はい」
「卒業のときは、いろいろあったのだろうな」
「はい……。ですが、それまでは何も知らずに過ごしていましたから」
「そうか」
魔王様は優しい。わたくしが卒業パーティーでキリウス様に婚約破棄されたことに気遣ってらっしゃるのだわ。学園では最初からよい思い出もなかったのに。
「王立学園での毎日は、そんなに楽しく懐かしむようなことはないんですよ。わたくしは立派な王妃になるために成績でも学園のどんなことであっても、常に一番を目指さなければいけなくて、ゆとりもなかったですし。それに、王妃に内定した公爵令嬢ということで、みんな敬いすぎて声もかけてもらえませんでした。思い出に残ることも多くはなかったですから、そんなに……」
「それは不憫だったな」
「えっ、そのようなことはありません。忙しくて、ゆったりと学園生活を送れなかっただけですから」
「いや、それはよくないことだろう」
魔王はそんなことにも手を差し伸べようとするのだ。
「どうせなら、学生として学園に編入して調査するのはいかがだろう。ゆとりのある学園生活を少しでも堪能したらいい」
「え……」
「そなたのことだ、これまで真面目な学生生活しか経験していないのだろう。友人と語らい、楽しむということも必要だぞ」
アルディナは確かに王立学園でも家庭教師の前でも懸命に取り組むことばかり考えてきた。侍女がいても、親しい友人などはいなかった。
「ありがとうございます。そのお心遣い、謹んで受け取らせていただきます」
アルディナは編入生として、一年間その王立学園に通うことになった。東方にある小国の王女ガラディナという偽名を使って。
「一緒に教室に参りましょう、ガラディナ様」
「ガラディナ様は、所作もとても美しいですのね。わたくし、見習いたいですわ」
「ガラディナ様は外交のこともすごくお詳しいんですね。どのようなお勉強をなさっておいでですか」
学園ではたくさんの友人ができて、しかもガラディナを慕ってくる。
ガラディナ王女には婚約者がいることになっていたが、それでも幾人もの男性から交際を申し込まれるのだった。
アルディナは偽名のまま自由に振る舞い、勉学に、友人との交流に、と様々に学園生活を楽しんだ。一方で、学園の寮から魔王との連絡も絶やさなかった。
アルディナは、魔王から水晶球を一つ借りていた。
もう一つの球が彼のもとにあり、それを媒介にして交信することができた。
その姿も球に映る。
「魔王様、今のところ第二王子のカルム様に大きな動きは見られません。ただ、婚約者のミレーネ様とあまりお会いになっていらっしゃらないご様子です」
「婚約者が同じ学園にいるのか」
「はい。カルム様もミレーネ様もわたくしと同じく最終学年です。ミレーネ様はわたくしの友人ですので、ご本人からお話を伺えます」
「そうか。助かるぞ。それにしても」
魔王はアルディナを見つめる。
「そなたは友人は多いようだが、恋人になりそうな人間はいないのか」
「まあ。皆様わたくしより年下ばかりですのよ」
「年下でも気に入ることはあるだろう」
「ないとは言いませんけど……」
「けど?」
水晶球に映った魔王の表情をよく覗き込んでから、アルディナは答えた。
「今は魔王様とこうしてお仕事ができることが楽しくて。そんなこと考えてもいませんわ」
「そうか」
どこか安堵するような声色だ。気のせいかしら、と疑う。
そのあとも、アルディナは学園生活の楽しさを魔王に伝えて、交信を終えた。
輝きを失い、魔王の姿も消えた水晶球をじっと見つめる。
もしかして、魔王様はわたくしの恋人とか気になってらっしゃるのかしら。
自分の思い違いであっても、いい。ただそんな可能性を想像したり、魔王が自分をそこまで気にかけていたことにうきうきと心を踊らせる。
きっと冷やかす材料をお探しなのでしょう。それでもいいわ。こんなにお話ができるなんて、本当に幸せなことだもの。
学園に入ったとき、魔王は数日に一度定期的に交信しようと提案した。しかし、それはいつの間にか毎日のことになっていた。
学園生活は、充実のうちに少しずつ過ぎていった。
水晶球には、魔王の優しく、ときとしてからかう姿がいつも映し出されていた。
アルディナは心から楽しみ、癒されていく。以前の厳しく寂しい学園生活を塗り替えていくかのように。
しかし、卒業パーティーの日取りも決まるころ、第二王子カルムが男爵令嬢ラミリーと噂になっていることを知る。それと同時に婚約者の公爵令嬢ミレーネがカルムに疎んじられていることも。
「もしかすると、以前のわたくしのように婚約の破棄などもあり得るかもしれません。ミレーネ様がお心を傷めるような結果がなければいいのですが」
アルディナは水晶球の魔王に向かって訴えかけた。魔王は深く頷く。
「こちらもカルムの不正な取引を暴いているところだ。密かに資金を集めるなど、不穏な動きも広がっているようだな」
「そうなのですか」
「ミレーネ嬢には申し訳ないが、婚約は解消したほうがいい」
「まあ……」
ミレーネを思うと、アルディナは言葉を継ぐことができなくなった。自分と同じようにこのまま婚約破棄されたら辛いのでは、と感じる。
長い睫毛を伏せがちにするアルディナに、魔王は声をかけた。
「そなた、ミレーネ嬢と親しかったな」
「はい。とても聡明なかたで、仲良くしていただいています」
「そうか。それなら、ミレーネ嬢はカルムをどう思っているのか、訊くことはできるか。なるべくなら、婚約をそのまま破棄するほうがいいとは思うが、本人がカルムに対してどんな想いを抱いているかにもよるだろう」
魔王の言葉は、アルディナの気持ちに寄り添うものだった。
その優しさを感じとり、心が温まる。
「かしこまりました。わたくしがミレーネ様によくお話してみますわ。お気遣いに感謝いたします」