番外編2 婚礼の前に(下)
アルディナの言葉は続く。
「確かにわたくしは、婚約を破棄されたときに、キリウス様に愛されていなかったことにひどくショックを受けました。それはわたくしがキリウス様を愛していたからだと思っていました」
「そうだろう。だから……」
「でも、わたくし、分かりましたの。キリウス様のことは、これまで一度も愛することはなかったのだと」
そこまで言えるアルディナに、キリウスも驚いたようだ。
キリウスは迫った。
「これから絶対に大きな領地の貴族になってみせる。お前にもそのうち贅沢をさせてやれるぞ。どうだ。これで安心して余の元へ来れるだろう。余は、これまで大変だったんだぞっ」
そんなことを強く言い放ったが、キリウスが苦労したのは自業自得のことだろう。それよりアルディナのほうがずっと大変な目に遭っているに違いないのだ。
彼女が何と言い返すのかと、ソムスは気になった。
「まあ、キリウス様」
ところが、柔らかい調子で、アルディナは話した。
「よく頑張ったのですね」
さらには、こう言ってのけたのだ。
「きっと、そのうちキリウス様にもよいかたが現れますよ」
考えてもみない対応で、ソムスは驚いた。しかし、隣で魔王は満足そうにふふっと笑う。
「アルディナらしいな」
彼女の、柔らかく包み込むような対応を、魔王も知っているようだった。
ただし、今のキリウスには効果は疑問だ。
「黙れっ。お前が来るんだっ」
すっかり命令口調で声を荒げる。それなのに、アルディナは動じることがない。
「いいえ、キリウス様」
アルディナの凛とした声が響く。
「わたくしは魔王様に心惹かれ、どんなときも一緒にいたいと思いました。わたくしは、魔王様を愛しています」
ソムスも魔王も、感嘆のあまりひと言すら出てこない。アルディナの告げた言葉に、すっかり痺れてしまうのだった。
そのあとキリウスが喚き散らすように真実の愛だの何だのと言い出したのには、呆れてしまう。
けれど、アルディナも年頃の女の子。それを聞いてぽっと頬を赤く染め、うっとりしながらこう話した。
「わたくし、今ようやく分かりました。真実の愛を見つけたのは、わたくしのほうです。わたくしと魔王様が。種族の差があっても本物の愛かも……っ」
「……かわいい」
魔王が思わず呟いたのを、ソムスは聞こえなかったふりをした。
キリウスは相当苛立っている。
「さっきから聞いていれば、お前、随分生意気だぞ。すっかり魔王に誑かされたようだな」
かなり威圧するようだったのに、アルディナは言い返した。
「誑かされてなどいません。魔王様を悪く言わないでください」
なんと健気な。これは、やはり魔王様が愛しく思うのも当然だ。
ソムスは今更ながら、驚く。
今や完全に怒っているキリウスは、アルディナの手首を強く掴んだ。
「さっさと来い」
「痛い。離してください……っ」
アルディナの声に、次の瞬間、すかさず魔王は扉を開け、衣をひるがえして出ていった。
「わたしの花嫁に何をする」
魔王は表向き静かに見えるが、やはり怒っているらしい。
キリウスと魔王は、さすがにアルディナの前では口論を避けたようで、安堵する。
ソムスはそのまま戸口で見守ることにした。
「婚礼が今日であることは教えてやった。ただ、わたしの邪魔をするようなら消し炭にしてやると話したはずだが?」
キリウスとしっかり話し合いができたかどうかは疑問だが、ここまでは魔王も冷静だったと言える。
しかしながら、キリウスの「今すぐアルディナとの婚約を破棄しろっ」という言葉に、ついに炎を呼び出した。
キリウスに炎を投げつけ、脅し、土下座させることに。
やってくれますねぇ、魔王様。
ソムスは若干引き気味にその様子を眺めるのだった。
アルディナに対するキリウスの仕打ちを許せないのは分かる。けれども、そこに恨みや嫉妬も加わっているみたいだ。
最後にキリウスの背中に火をつけるとは、魔王様もちょっと大人げないなあ、と思いつつ、何となく快い気分になっている自分に気づく。
ソムスとしても、キリウスには随分振り回されてしまった。もうあんな奴は懲り懲りだ、とつくづく思う。
けれど、よくよく考えてみれば、キリウスの乱入があったことで、結果的に二人とも自分の意志を示すことになったのではないだろうか。
魔王からは、婚約したのは二人で気持ちを確かめ合った結果だと聞いていた。
その上で、ここでアルディナが「魔王様を愛しています」とはっきり告げたのだ。それは、魔王の心にも随分響いたことだろう。
それに。魔王が「アルディナはわたしのものだ。絶対に渡さん」と宣言したとき、アルディナは驚きながらもとても嬉しそうに見えたのだ。
婚礼の前に大変な出来事に見舞われたものの、二人にとってはこれでよかったのかもしれない。
キリウスが去り、騒ぎが収まったところで、ソムスは結婚式の準備を続行するようにみなに言い渡しに行った。
それから、そろそろ魔王にも開始を告げようと控室へ戻ってくる。
二人の邪魔にならないようにと、そっと扉を開けようとしたとき、魔王の声が聞こえた。
「ソムスから先に伝えておいてもらってよかった」
自分の名が出て、何の話かと耳をそばだてる。
アルディナが尋ねた。
「何を、ですか」
「つい先ほど、魔力で満たす方法をそなたが聞いているのか、確認しておいた」
この場に及んで何を話しているんですか、魔王様。
ソムスは呆れ返ってしまう。
しかし、次の魔王の言葉にははっとする。
「それに、そなたにだけは自分の想いを、言葉や行動できちんと伝えたほうがいいと言われたのだ」
ちゃんと、わたくしめの話を覚えていらしたのですね。
少しだけソムスは扉を開けてみる。
正装した魔王とウェディングドレスのアルディナ。
眩しいほどの二人の、向かい合う姿が目に映る。
魔王は真剣に、愛情を込めた様子でアルディナに告げる。
「わたしはそなたを心から愛している。この世にいるかぎりずっと愛する」
魔王様、しっかり言えたじゃないですか。
ソムスの心には、じわじわと喜びの情が湧いてくる。
アルディナもこう告げる。
「わたくしも魔王様を心から愛しています。一生涯ずっと魔王様を愛します」
式の前にこんなやり取りができるとは、お二人の愛情が深まったようですな。
ソムスは胸がいっぱいになって、熱く込み上げてくるものを感じる。
けれど、もうすぐ式の時間。目頭を押さえ、ひと息つくと、二人の会話の隙に扉を開いた。
「そろそろお式が始まります」
魔王がその言葉を受け、隣でアルディナが会釈をするので、こちらも会釈を返した。
二人の和やかな雰囲気を感じる。
ここまで長かったが、魔王様はとてもいい伴侶を見つけられた。きっとこれからも仲睦まじく、二人でこの世界のために多くのことをなすことができるに違いない。
ソムスは二人を見つめて、すっかり感慨に浸っている。
それも知らずに、魔王とアルディナは小声で会話をしている。何だか照れ笑いしていて。
もちろん、ソムスには二人が何を話しているのか聞こえてはいない。





