第2話 ひとりになりたい
目を覚ましたとき、学園の窓から見える空は、すでに茜色に染まっていた。
医務室のベッドの上だと気づき、アルディナは身を起こそうとする。
「お目覚めですか、お嬢様」
サラの声だった。中年の女性で、幼いころからアルディナを世話している侍女のひとりだ。
「あの、わたくし……」
「まだゆっくりなさっていていいのですよ。とてもお疲れのようですから」
「パーティーはどうなったのかしら」
「それは……」
サラはうまく言葉を続けられない。
「会場に戻らなくては」
「お待ちください、アルディナお嬢様。卒業パーティーは終わって、皆様はもうお戻りになりました」
「そう……」
再び臥せってしまいたいくらい、ひどく憂鬱な気持ちになる。
本来なら、卒業パーティーでキリウス王太子の婚約者として隣に並ぶ予定だった。それがまさか貴族の子女たちの目の前で、婚約を破棄されることになろうとは。
愕然としたものの、みながアルディナに向けていた目を見れば、何が起きていたか分かる。
パーティーに集った多くの者たちが、今日起こることを知っていたのだ。あるいは、その計画を立てていた首謀者なのだろう。
もう、学園には誰もいない。誰ひとりとして、公爵令嬢アルディナの卒業を祝う者はいない。
「サラ。屋敷に戻ります」
「お身体は……」
「心配ありません。卒業したのですから、帰りましょう」
髪を整えながら、感情のこもらない声で告げる。最後までしっかりしなくてはならない。
サラは気遣うような表情を見せながらも、「かしこまりました」と頭を下げた。
王都に近いこの学園からフォーゼンハイム公爵領へ。
アルディナとサラを乗せて、馬車は行く。
夕陽の光のなかで、十三歳からの三年間を送った学園の建物が長く影を引いていた。
戻ってきた公爵邸は、どこか見知らぬ屋敷に思えた。休暇のたびに帰っていたはずなのに、今はなんの懐かしさも感じない。何もかもがひどく色褪せて見える。
父母にはすでに、王太子の言葉は伝わっていた。
「王都から、婚約破棄については聞いている。お前は、キリウス殿下に言われるまで何も知らなかったのか」
その日の最初の食事を終えようとしたとき、父から問われた。
「はい。急なことで、戸惑っています。わたくしには理由が分かりません……」
やっとのことで答える。
「お前は全く気づかなかったということだな」
やや責めるような口調で詰問されて、アルディナは俯く。いつも不機嫌そうな父親が、今はより一層硬い表情をしている。
「はい。申し訳ありません……」
「何もなければいいが」
続いての父の言葉は、アルディナには意味が分からなかった。
「あなた。何かお心当たりでも?」
母が不安そうに問いかける。
「分からん……」
父の言葉が終わるか終わらないかのときだった。執事のひどく慌てた声がした。
「旦那様。一大事でございます。騎士たちが屋敷の周りに!」
突然のことだった。
公爵邸に武装した者たちがやってきて、屋敷を取り囲んだ。さらに、王都から来たという使者は公爵に文書を叩きつけた。
「王都より命令が下っている。王室の財政を管理する立場にありながら不正を行った疑いで、フォーゼンハイム公爵並びにその一族を国外追放とする」
直ちに公爵邸の者は全員捕縛され、わけの分からぬまま辺境の地へ連れられていく。
その日を持って公爵家はお取り潰しとなったのだ。
この国の財務に代々かかわってきたフォーゼンハイム公爵家だが、王家の人間には、贅沢を差し止められていると批判的な見方をされることもあった。
殊に、キリウス王太子は金遣いが荒いため、何度か諫めたことがある。
それが今回の騒動の一因に相違なかった。
フォーゼンハイム家は、もともと王室とは血縁関係もないのに、すぐれた功績から安定した地位を得ており、それを羨む貴族たちは多い。彼らが結託して、王太子をそそのかしたと思われる。男爵令嬢べリアナの一族も一枚噛んでいるに違いない。
最初から計画されていたことだった。
学園内で、たびたびべリアナがキリウスに近づいてきたことは不審に思った。けれど、アルディナは次期王妃として冷静に対応しようとするあまり、注意するくらいでほとんど何の対処もしなかった。
婚約破棄されることは、そのときから決まっていたことだったに違いない。
もっと早くにわたくしが気がついていれば、何かできたかもしれない。
アルディナはひどく後悔した。
公爵家の財産は没収され、屋敷には火がかけられた。
「今までの暮らしは何だったの。アルディナは王妃になるはずだったのに。どうしてこんなことに」
辺境の地で、母は繰り返し嘆いては泣くばかりだった。
アルディナは両親とも顔を合わせたくないと思った。
そもそも彼女は、学園を卒業すると同時に、王妃教育のため王城で過ごすことになっていた。そのまま王太子妃となる予定だった。
本来なら、家族とは一緒でなかったはず。
そのことも手伝って、両親にひとりで別のところに住む許可をもらった。こうなる前に何も察知できなかった彼女を、それとなく遠ざけているのに気づいたからでもあった。
なぜか涙も出てこなかった。途方に暮れて、ただひとりきりになりたかった。
それに、キリウス王子の言葉がどうしても忘れられなかった。
『お前など、愛することはない』
わたくしは何だったのかしら。
アルディナの空しい気持ちは日に日に募るばかりだった。
何度も自身に問いかける。
なぜ生きているのか。何のために今、生きているのか、と。
幼いころから将来の王妃として望まれ、その栄誉のためだけに生きてきた。厳しいお妃教育を受け、完璧な王妃となるべく常に努力してきたつもりだ。
王太子と結婚し、ゆくゆくは王妃として生きていく人生しか考えたことがなかった。
この先に、新たな出会いがあり、新しい世界が開けていくことを、彼女は全く予想していなかった。