番外編2 婚礼の前に(中)
今日やっと婚礼の日を迎える。
ソムスは外を眺めながら、深い安堵の息をつく。ちょうどそのとき、向こうから歩いてくる魔王の姿を見つけた。
見目麗しい魔王は、婚礼の正装をしているので、普段以上に目立つ。
「魔王様、何かございましたか」
「いや。アルディナのところに友人が来たから、席を外しただけだ」
変に気を遣って出てきたものの、行くところがなくて、ここまで来たのだろうと思われる。
ソムスはそんな魔王に笑いかけた。
「そうでしたか。準備は滞りなく進んでいますよ」
「それはよかった」
しばらくその場で話をする。そこで、何かのきっかけで魔王が言い出したのだ。
「その……アルディナにわたしが魔力を付与する方法は、説明したか」
ソムスは呆れたようにため息をついてから、告げた。
「話しましたよ。魔力を授ける方法は、口づけだと」
魔王は俯いてしまう。
ソムスはつい愚痴っぽく言ってしまった。
「何でわたくしめからお伝えすることになるんですかねぇ」
「すまない。正直、助かった」
謝られてしまい、ソムスも言い過ぎたかと反省する。けれど、少しばかり言い添えた。
「魔王様。ご結婚なさるのですから、これからは恥ずかしがらずに、アルディナ様にだけはご自分の想いを言葉や行動できちんと伝えてくださいね」
「分かった。そうしよう」
随分素直じゃないですか、魔王様。
ソムスは笑ってしまいそうになる。やはりアルディナのことだけは、特別なのだろう。
そのとき。突然、ばたばたと足音が聞こえてきた。
城の警備の兵士が走ってこちらへ向かってくる。何かあったと一目で分かり、ソムスは胃がひっくり返りそうなほど緊張した。
「お話し中、申し訳ございません。実は、城門に怪しい人間が来ておりまして。魔王様にもお知らせを」
「怪しい人間とは?」
「はい。アルディナ様に会わせろ、の一点張りで困っておりまして」
話を聞くと、金の巻き毛に青い瞳といった特徴など、一人しか思い当たる者はなかった。
「キリウスか……」
魔王の呟きに、ソムスも頷くしかない。
アルディナの元婚約者。
その人物のことを、ソムスもすでにいろいろ聞き及んでいる。何より、魔王城でひと騒動あったのだ。
アルディナと婚約した後、魔王宛てに手紙が届いた。
『アルディナと結婚するな。騙して婚約するとは卑怯だ』などと書かれたキリウスの汚い字には、ソムスも唖然とした。
誤解を解くために水晶球を送り、魔王とキリウスは話し合いをすることになった。ところが、二人は罵り合いの激しい大喧嘩になってしまったのだ。
魔王様も子どもっぽいことを、と呆れるほどだったが、実際にはキリウスの口の悪さに、ソムスもつい頭にきてしまった。
何とか収め、話をしたところで、魔王が「消し炭にしてやる」と告げて交信を切ったのだった。
それなのに。
そのキリウスが今、ここに来ているとは。
信じがたい出来事に、魔王が静かに怒りを抑えているのが、ソムスにはよく分かる。
「そやつ、城門で取り押さえておけ。わたしが直接追い返してやる」
兵士が頭を下げ、行こうとすると、魔王は自身の言葉を取り消した。
「いや、待て。そのまま通せ」
「えっ?」
「キリウスを、そのままアルディナのところへ向かわせろ」
「何をおっしゃるんですか、魔王様」
意図が分からず、ソムスは口を出す。
ここまでやってきたキリウスには驚かされたが、力ずくで何とでもなる相手ではないか、と。
魔王城の使用人たちでさえ、うっかり忘れていることだが、魔王が本気で力を振るえば、誰だって一瞬で命が消し飛ぶくらいなのだ。
しかし、魔王はアルディナの今後のことを考えていたらしい。
「アルディナにキリウスを会わせる。キリウスが来た以上、今のままではよくない。会ったほうが互いにとってもけじめになるはずだ」
「ですが、トラブルにならないでしょうか。アルディナ様に何かあっては……」
ここまでいろいろあって、やっと今日の日を迎えたのだ。また何か起きてもらっては、本当に困る。
ソムスには、不安ばかりが先立つ。
「わたしはアルディナを信じている。心配するな」
「魔王様……」
「もちろん、何かあればすぐに出られるように、わたしもそばで見張っているつもりだ」
魔王の言葉に、ソムスは答えた。
「かしこまりました。わたくしめもご同行いたします」
こうして、キリウスは要求通りアルディナのいる控室まで行くことになった。
魔王とソムスもあとからそちらへ向かう。
二人は共に、キリウスが部屋に入ったところで聞き耳を立てる。
キリウスの声に、アルディナが驚く。
「キリウス様……!」
この時点ですでに、ソムスはアルディナが気の毒になった。事前に何も知らされていなくて、いきなりキリウスと対面しなくてはならないのだから。
隣で魔王が微かに息をつく。
出て行きたくても行けないのは、自分より魔王のほうが余程辛いはず。ソムスはそれを思って、じっとしているしかなかった。
部屋から慌ただしく世話役の女性が出てきたので、ソムスはそのまま別室に行くように指示する。
ウェディングドレス姿のアルディナと着古したようなシャツを着たキリウス。部屋にいるのがその二人だけだと、戸の隙間から覗いて確認をする。
「アルディナ。魔王なんかと結婚するな。余の元へ来い」
キリウスはいきなりアルディナの手首を掴む。しかし、彼女はきっぱりと発言した。
「行けません。わたくしは、魔王様と結婚するのです」
ソムスも魔王も「おおっ」と声を上げそうになり、慌てて口を押える。アルディナの言葉に、二人は揃って心を動かされてしまった。
そののちも「余はお前と結婚するつもりなのだぞ」と言い出したキリウスに対して、アルディナは一歩も引かない。
「愛することはない、とキリウス様はおっしゃいました」
アルディナ様、お強い。
ソムスは感心する。これが三年前、打ちひしがれた様子だった女性とは思えない。しかも、自分を否定的に見ていたキリウスに対して、これだけ言えるとは。
彼女の紫水晶のような瞳には、はっきりとした意志が宿っていた。
魔王は真剣な表情で、ひと言ももらさず二人のやり取りを聞いている。
アルディナ様を信じている、と魔王様が告げたのはこういうことができると確信していたからなのか。
互いに長い間、想いを隠していたとはいえ、二人の間にはきっとそれなりの絆があるのだろうと、ソムスは改めて思った。