第16話 結婚式は始まる
魔王は、わざと考え込むような顔をしながら、呟いてみせる。
「この場で土下座しても足りないだろうな」
「あの、魔王様。何もそこまでしなくても」
アルディナが口を挟む。
「わたしの忠告にもかかわらず、ここまでご足労いただいたのだ。せめてするべきことをさせてやってもいいのではないか、アルディナ?」
魔王様ったら、全くもう。
わたくしのためと言いながらも、魔王様ご自身がどうしてもさせたいのでは。
心のなかだけでくすりと笑い、アルディナは言葉を口にする。
「そうですね。謝罪していただけますか、キリウス様?」
髪の毛が焦げついたキリウスは、それでも今ひとつ空気が読めないのか、プライドが邪魔をするのか、ためらったままでいる。
しかし、魔王の氷のような言葉がキリウスを貫く。
「わたしとて、アルディナにひどい仕打ちをしたそなたのことは、このままでは怒りが収まらぬ」
キリウスの表情が凍りつく。それを見知った上で、魔王は言い添える。
「キリウスよ、消し炭になりたいのか?」
魔王の射るような視線に、ひっ、とキリウスは声を上げる。魔王の炎が細工されたものと知らなければ、恐怖を感じるだろう。慌ててその場に座り、しばらくの逡巡ののち、結局は手をつく。
「も……申し訳なかった、アルディナ。お前には婚約者だったとき、本当に迷惑をかけた。それに、あんなふうに婚約を破棄したり、家を潰したりしたことも、今思えばひどいことだった」
アルディナはすぐにキリウスに手を差し伸べた。
「どうぞお顔をお上げになってください。丁寧に謝ってくださって、ありがとうございました」
「……」
「過去のことは水に流しましょう」
「……」
黙ったままのキリウスに、アルディナは付け加える。
「あの、キリウス様にも、素敵なかたが見つかるように祈らせてください」
「アルディナ……」
今、キリウスは遅れて気づいたひとつの恋が終わったことを悟ったに違いない。
魔王が問いかける。
「これでいいか、アルディナ」
「はい」
アルディナは何か自分のなかにつかえていたものが溶け去るような気がした。
「それなら、お引き取り願おうか。すまないが、急いでくれ。こちらは大事な式が控えておるのでな」
魔王が促す。キリウスはのろのろと立ち上がる。それでも、潤んだ瞳のままアルディナをじっと見つめている。
彼女は思わず声をかけた。
「キリウス様。どうかお元気で」
「うん……」
キリウスは、よろめきながらも涙を袖で拭う。
「ほら、さっさとしろ。失恋の痛手には帰ってから浸ればいいぞ」
魔王は軽くいなすついでに、手のうちに炎を灯す。
「おっと、手が滑った」
キリウスの背中にぽっと燃え移る。キリウスは悲鳴を上げて、炎を振り払う。
「わ、分かったよっ」
叫ぶと、背中の破れた衣服を取り繕いながら走り出す。やがて、キリウスはいかにも乗り心地の悪そうなぼろぼろの馬車で姿を消すのだった。
「魔王様、ありがとうございます」
ひと息ついて、アルディナはお礼を言ったが、続ける。
「でも、キリウス様が少しお気の毒に感じましたが……」
「そうか? だいぶ手加減してやったつもりだが」
「あっ」
アルディナは、棚上げしていたことを思い出した。
「あの、わたくしのところに指輪を届けてくださったとき、本当はキリウス様のことをお話する予定でいらしたのではないですか。わたくしがお断りの手紙を出したせいで、キリウス様がそんなことをしていたなんて、何も知らなくて。本当に申し訳ありませんでした」
「いや、そなたが婚約期間を楽しく過ごせたのなら、黙っていて正解だと思っている。ただ、あやつのことはそれで余計に許せなかったな。そなたとの婚約を破棄しろとか、全く冗談では済まないぞ」
申し訳ないが、アルディナは何だか笑ってしまいそうになった。
魔王様が本気で……。
あまり気持ちを表わさない魔王様の本音が、こんなときに聞けるとは思ってもみなかったわ。
「何がおかしい?」
「いえ、何も。ただ、気分がとてもすっきりして」
本当にその通りだった。
まさか、キリウスが自分に謝ってくれる日が来るとは思わなかった。
婚約者としての献身に対するキリウスの振る舞いも、突然婚約破棄したことも、ひと言の謝罪で、何か区切りを迎えたような気がした。
それに、いくら注意してもお願いしても、全く耳を貸さずわがままだったキリウスが、これだけ変わった。そう思うと、胸のすくような満足感を覚える。
そもそも、キリウスに婚約を破棄されたことで魔王と出会えたのだ。
魔王と共に、この大陸の秩序のために行動してきて、アルディナは自分の故国の危機が初めて見えてきた。この危うさを感じていたのは、いつも憂慮していた父くらいだったのではないか。
最初から魔王は、気に入らない国とは思いつつも、その多くの人を救うために滅ぼすつもりだった。そのことは、今ならはっきり分かる。
けれど、もしも。
魔王が行動せずに、婚約破棄もなく、キリウスとアルディナが王太子とその妃となったとしたら。
やがては大国に攻め入られ、自分はキリウスとともに、あえなく短い命を散らすことになったかもしれない。
今は、魔王と結婚して長い命を繋ぐことになる。
それは、ほんの小さな巡り合わせの相違に過ぎない。
すっかり道が分かたれたものの、自分が長く幸せを得るのだから、キリウスにもどこかで元気でいてほしい。
そう思うのは、「愛することはない」と言ったけれども、自分のなかにちょっとはキリウスへの愛があったからかもしれない。
アルディナは少しだけそう思った。
いずれにせよ、十年もの間、婚約者だったキリウス元王太子との別れは、アルディナの心の内ではこんなふうに穏やかに訪れた。
そして今日、魔王とこうして結ばれる運命の不思議さに思いを馳せるのだった。
「キリウスがここまで奪いに来る根性があるとはな。それだけ、そなたに執着していたのだろう」
「そんなことは……」
魔王の言葉には、少々謙遜してしまう。
「キリウスには、そなたの幸せな姿が一番こたえるかもしれんな。やはりわたしとそなたが早く一緒になるしかないようだ」
魔王はふっと笑う。
「ソムスから先に伝えておいてもらってよかった」
「何を、ですか」
「つい先ほど、魔力で満たす方法をそなたが聞いているのか、確認しておいた」
「えっ」
打ち合わせだと、真面目に思っていたのに。
「それに、そなたにだけは自分の想いを、言葉や行動できちんと伝えたほうがいいと言われたのだ」
「え……」
それは、これからは変わるということなのでしょうか。
アルディナの咄嗟の疑問は、すぐに解決する。
魔王は、真剣なまなざしを彼女に向けた。
「わたしはそなたを心から愛している。この世にいるかぎりずっと愛する」
「……」
魔王の偽りのない言葉が、アルディナの胸のなかに沁みとおっていく。彼女はウェディングドレスの裾を手にして、美しいカーテシーをもって応じる。
「わたくしも魔王様を心から愛しています。一生涯ずっと魔王様を愛します」
頷いて、魔王は表情を緩める。
「真実の愛というなら、確かにそのとおりだろうな」
思わずアルディナは訊きただす。
「あの、キリウス様とわたくしの会話をどこからお聞きになっていたのですか」
「すまない。出て行く時機を逃してな、キリウスが来たときからずっと隠れて聞いていた」
「もう、魔王様ったら」
そのとき部屋の扉が開き、ソムスが入ってきた。
「そろそろお式が始まります」
「分かった」
返事をする魔王の隣で、アルディナは素晴らしい助言をしたソムスに会釈する。
魔王は眉を寄せて、彼女だけに聞こえるように小声でささやく。
「キリウスのような輩に嫉妬するのは嫌なものだな」
やはり先ほどは本気だったらしい。嫉妬に燃える魔王は、キリウスに火までつけてしまったようだ。
「式が終わったら、すぐにそなたをわたしの魔力で満たすことにしよう」
「魔王様、それは……」
魔王は、咳ばらいをして。
「聞いたとおりだ。式のあとの楽しみにしている」
アルディナは小さく声を上げてしまうが、やがて伴侶となる者と顔を見合わせた。アルディナも魔王もほんのり頬を赤く染めながら、微笑する。
二人の華やかな結婚式が今、始まろうとしていた。
最後までお付き合いくださいましたこと、心より感謝申し上げます。
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どうもありがとうございました!