第14話 婚礼の日
季節が春から夏へと変わりつつあるころ、魔王城では婚礼の準備が整った。
迎えた結婚式当日。
アルディナは美しい純白のウェディングドレスに身を包んだ。その喜びの心までを表わすような光輝く装いに、魔王は感嘆の声を上げる。
「アルディナ、そなた、実に美しいな。いや、常日頃から見惚れてはいるのだが、より一段と美しいぞ」
「魔王様こそ、とてもご立派でいらっしゃいます」
魔王は魔族の王として、黒地に金の刺繍の施された正装をしている。
二人は顔を見合わせて微笑み合う。
「まあまあお二かたとも。これからお式なんですよ。お二人だけの世界に入らないでくださいませ」
世話役の魔族の女性が、半ば本気で二人の間に入る。
いよいよ待ちに待った魔王様との結婚式。
アルディナはすっかり気持ちが高揚していた。
しばらくすると、ひとりの女性が訪れた。
「アルディナ様。本日はおめでとうございます」
清楚ながら美しい青いドレスを着たミレーネだった。
「ありがとうございます、ミレーネ様。ようこそおいでくださいました」
アルディナも挨拶する。
ミレーネは、元婚約者の第二王子が婚約を破棄した事件ののち、学園を卒業してからも、アルディナとは親しい友人だった。
魔王から付与された魔力のおかげで、王子同士が争うことはなく、卒業パーティーは無事にお開きとなった。一部の品物が焼け焦げたりしたことはあったかもしれないが。
アルディナも今度こそ友人たちに囲まれ、盛大に祝ってもらい、卒業したのだ。
ミレーネは、アルディナの事情も知っており、魔王との結婚についても後押ししてくれた。今日の招待客のひとりとして、この森にも来てくれたのだ。
久しぶりに会ったミレーネとは話が弾んだ。
あれからミレーネには国王夫妻が謝罪し、新たによい婚約者も探してもらえたという。
「とてもいいかたなの。わたくしの結婚式にもぜひアルディナ様と魔王様にいらしていただきたいですわ」
「人族でなくても大丈夫かしら?」
「もちろんですわ。世直し令嬢アルディナ様とその伴侶様を呼べるなんて言ったら、みんな大喜びですよ。羨ましがられそうですわ」
ミレーネの国は森に隣接しており、古くから魔族と親交があるそうだ。楽しそうなミレーネを見て、アルディナはにこっと笑う。
「ミレーネ様もお幸せそうで何よりです。ぜひご招待くださいね」
「はい。ところで」
ミレーネは話した。
「わたくしの一行以外に、人間でご招待されているかたはいらっしゃるのですか。わたくしたちの後ろをついてくるように、一台の馬車をお見かけしましたのよ」
「えっ」
そんな人はいないはず。
両親やサラはもちろん招待されている。だが、その一行は二日前からすでに魔王城に入城していた。今日になって、こちらへ向かってくる馬車が他にあるとは聞いていない。
「かなり古びた馬車でしたわ。貴族なのかも疑わしくて」
「そうでしたか。よく確認しておきますわ」
アルディナはミレーネにそう告げた。
一体誰なのかしら。
魔王は今は別室で、執事と打ち合わせをしているらしい。あとで尋ねてみようと思う。
何かが引っかかった。
ミレーネはお付きの者と共に参列者の部屋へ向かっていった。
アルディナは衣装を整え、椅子に腰かける。繊細なウェディングドレスの衣擦れの音がした。
テーブルの上には、初夏の色鮮やかな花々が飾られている。眺めながら、魔王が戻るのを待つ。式の時間が近づいている。
もうすぐだわ。
そう思うと、うきうきした気分とどきどきした気分がない交ぜになる。
魔王様、そろそろ帰ってくるかしら。
そのとき、控室の扉が大きな音を立てた。
「アルディナ!」
自分を呼ぶのは、どこかで知っている声。思わずアルディナは立ち上がって振り返り、目を瞠る。
「キリウス様……!」
まさかのキリウスだった。なぜここにキリウスがいるのか。
混乱のままに、アルディナはミレーネの話していた古い馬車はキリウスを乗せてきたのではないかと確信した。
着古した服に、薄汚れた靴を履いて、白かった肌も日焼けしてくすんでいる。なぜか金の巻き毛だけは手入れしているのか、あまり変わらない。贅沢な食事から太っていた体も、痩せて引き締まって見える。
とにかくこんな地味なキリウスは全く初めてで、アルディナは一瞬何かの間違えではないかと思ってしまったくらいだ。
キリウスは、戸口にいた女性を払いのけた。つかつかとアルディナの前へ進んでくる。いでたちこそひどかったが、気迫があった。
「アルディナ。魔王なんかと結婚するな。余の元へ来い」
いきなり手首を掴まれ、アルディナは逃れられない。
「離してください」
「だめだ。このまま余と一緒に森を出るのだ」
「行けません。わたくしは、魔王様と結婚するのです」
キリウスの掴む手がやや緩む。
「あの手紙の返事は何だ。婚約破棄を白紙に戻すと言ったのだ。余はお前と結婚するつもりなのだぞ」
「そうでしょうか。以前、キリウス様はべリアナ様と真実の愛で結ばれるとお話されました」
揺るぎのない瞳をしたアルディナに、キリウスは告げる。
「べリアナとは別れた。真実の愛などまやかしだった。あやつは余が疫病に罹ったときにまるで厄介者のように扱った。国外に逃亡したときは全く余の悲しみに寄り添うこともせず、泣き喚いてひどい目に遭った。お前なら、いつでも余を立てて、どんな気遣いでもできた。お前のような者はどこにもいないと分かったのだ。余はお前を愛して……」
「愛することはない、とキリウス様はおっしゃいました」
アルディナは最後まで言わせなかった。キリウスは気圧されたようで一瞬押し黙ったが、すぐに否定する。
「それは間違いだった。べリアナには魅了の魔力でもあったのだろう。本当はお前のことを愛していた。お前だけがずっと好きだったと気づいたのだ。お前とて余を愛していたのだろう?」
「いいえ」
アルディナは静かだが、しっかりと答える。鏡面のように、心に波風は立たない。
「確かにわたくしは、婚約を破棄されたときに、キリウス様に愛されていなかったことにひどくショックを受けました。それはわたくしがキリウス様を愛していたからだと思っていました」
「そうだろう。だから……」
「でも、わたくし、分かりましたの。キリウス様のことは、これまで一度も愛することはなかったのだと」
「……」
言葉を失くした元婚約者に、彼女ははっきりと伝える。
「わたくしは、幼いころから未来の王妃として、キリウス様を支えるように仰せつかっておりました。キリウス様のお役に立ち、キリウス様のためにどんなことでもすることがわたくしの愛情だと信じておりました。でも、それは多分義務だったのだと思います」
「アルディナっ」
キリウスは、金色の髪を振り乱して、アルディナに迫る。
「俺……余は国を追われ、無一文になったが、今は違うぞ。ちゃんと辺境伯のもとで仕事を得ている。将来は土地をもらう約束もあるんだ。これから絶対に大きな領地の貴族になってみせる。お前にもそのうち贅沢をさせてやれるぞ。どうだ。これで安心して余の元へ来れるだろう。余は、これまで大変だったんだぞっ」
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