第13話 朱金の指輪
確かに、魔王はアルディナに好意のある発言をすることはあったが、どこかからかい半分で本気にできなかった。アルディナがいつも生真面目に、真面目過ぎないように、と考えていたせいもある。
また、魔王はアルディナ自身の気持ちを問うこともこれまでまるでできなかったのだ。
「例えば」とか、随分遠まわりだったような。これは、初心だということもあるのだろうけど。
ソムスはきっぱりと話す。
「アルディナ様が魔王様を愛してくだされば、種族など何も関係ありません」
「皆様、そのようにお考えになるのでしょうか」
「もちろんです。この森のすべての者はみな魔王様を慕う民でございます。魔王様の伴侶となられるおかたに、敬意を持たぬ者はおりません。また、伝えられるところによりますと、何代か前の魔王様も人族の花嫁を娶られたことがあるそうでございます」
「そうなのですか」
魔王はキリウスとは違う。そうは思っていても、過去の出来事が甦り、周りから非難されて婚約破棄などという事態を、心配せずにはいられなかった。
しかし、そんな可能性はなさそうだとアルディナは心から安堵する。
「本当にあなた様にはみな感謝しております」
ぺこぺことお辞儀をする執事に、アルディナはあたふたしてしまう。
「そんな、頭を下げないでくださいませ。あっ、そういえば、もうひとつ質問がございますわ」
アルディナは話題を転換させようとする。
「なんなりとお尋ねください。先ほど魔王様からどんなご質問にもお答えするように仰せつかっております」
「魔王様はいつも人間のわたくしに、手から魔力を分け与えてくださいました。けれど、花嫁となると魔力を充分に満たすことになると言われまして、それはもちろんお願いするつもりでございます。ただ、手からではないようで、どうやって魔力をくださるのでしょうか。魔王様は執事から説明する、とおっしゃっていたのですが」
「何と……」
ソムスは絶句する。
「何か、問題でも?」
「いえ。わたくしめが全責任を持ってお答えいたします」
「は、はい」
妙にかしこまるので、アルディナは何となく落ち着かなくなる。
「あの、魔王様は魔力を多く与えることは今までになかったと思われます。ですので、初めてのことなのでうまく言えなかっただけなのでございましょう」
「……はい」
どこか言い訳がましく聞こえるような。
「あの、魔王様が魔力を与える方法は、ですが」
「はい」
「口づけでございます」
「は……」
「その、お互いの口を通じて……一分はかかるかと」
アルディナはうっかり叫びそうになるのを、何とか抑え込む。
「わ、分かりました。魔王様がおっしゃらなかった理由も含めて、分かりましたので……あ、あ、ありがとうございました」
数時間手を握るのより、簡単とはいえ、はるかに恥ずかしい……。
アルディナは足のつま先から頭のてっぺんまで真っ赤になって、それ以上の会話ができなくなってしまった。
魔王城から帰ると、アルディナはもらってきた手紙の束を眺めた。
何十通もの手紙のすべてが、世直し令嬢がアルディナであり、魔王城に来ることを知って、出されたものだった。そのどれもが彼女を褒めたたえていた。
ほとんどが求婚するものだった。
もしも、魔王様と出会う前、婚約を破棄されたばかりの自分にこんなことがあったら。
さぞかし驚くに違いないし、嬉しかっただろうと思う。
自分の生き方を求めていたあのときには。
アルディナはそんな考えに微笑みを浮かべ、ひとつひとつに丁寧な断りの手紙を書いた。
最後に残ったキリウスについては、とても複雑な思いだった。
確か五歳のときにはすでに婚約者に内定していた記憶がある。婚約を破棄される前は、キリウスと結婚して王妃となるのが自分の人生だと疑わなかった。何よりキリウスに愛されていて、自分もキリウスを愛しているとばかり思っていた。
キリウスの仕打ちに対する恨みつらみは、全くなくなったとは言えない。けれど、今は魔王と一緒にいられる喜びに満たされ、豊潤な水に浸かったように薄められている。
アルディナは婚約者としてキリウスのそばにいたことに礼儀として感謝を書き記す。それから、魔王と婚約したことを報告し、断りの手紙として送った。
すべての返事を送り終えたのち、アルディナの住まいを訪れる者があった。
戸を叩く音は控えめで、魔王の使用人が何か連絡を携えてきたか、あるいは侍女のサラかと思った。
アルディナは扉を開き、そこに佇む者があまりにも意外すぎて、声が裏返ってしまった。
「ええええっ、魔王様、どうして……」
「しっ、静かに。音に敏い魔物もいるからな」
フードを被っていた魔王は人差し指を口もとに立てる。そんな仕草も上品に見えるわとアルディナは惚れ惚れする。
「お忍びでこっそり来た。そなたとこれから長い時を結ばれると思うと、なかなか落ち着かなくてな」
魔王様でもそわそわするようなことがあるのね。
アルディナは舞い上がってしまいそうだ。魔王は常に森の民や大陸全体のことを考え、多忙な身の上。それなのに、わざわざ会いに来てくれたと思うと、たまらなくなる。
魔王は懐をさぐり、すぐさま小さな包みを取り出した。
「この大陸で一番よいものを取り寄せたつもりだ。受け取ってほしい」
それは朱金の宝石の輝く美しい指輪だった。魔族の間に、婚約指輪という風習はなかったはず。それをわざわざこうした形で贈ってくれたのだ。
「魔王様の瞳と同じ色なのですね。とても……とても嬉しいです。大切にします」
アルディナは感激して、それだけ言うのがやっと。
本当は抱きついてしまいたいくらい気持ちが高ぶってしまったのだけれど、それは自分の妄想のなかにとどめるのだった。
そののちも、アルディナは忙しく過ごした。
婚約の証の指輪が見守ってくれれば、何をするのも心強かった。
まずは、侍女のサラに話すことに決めた。サラは、公爵家が没落したのちも、変わらずに勤めてくれた。
屋敷を出たアルディナのことも心配して、時々は彼女の様子を見に来て、何かと世話をしてくれていた。
そんなサラが訪ねてきたある日、アルディナは魔王との婚約を告げた。
「まあ、それはおめでとうございます。お嬢様がキリウス様から心ない仕打ちを受けて、ここに住まわれて以来、こんな日が来ることをどんなにか望んだことでしょう。この三年、日が経つにつれて、お嬢様はどんどん美しくなられて、生き生きとなさっておいででした。ですので、きっとこんなことがあると信じておりましたよ。心からお祝い申し上げます」
「ありがとう、サラ」
また、アルディナは改めてフォーゼンハイム元公爵家の新しい屋敷を訪れた。魔王の計らいで、近隣の貴族から譲られたもので、今は両親も残った使用人たちも穏やかに過ごしていた。
彼女は、久しぶりに両親と再会した。
魔王との婚約を聞いて、最初のうちは二人とも戸惑った。けれど、いろいろと打ち明けるうちに、祝福してくれるようになった。
「お前には幼いころから随分な負担をかけた。その挙句が婚約の破棄で、わたしもこれまで心苦しく思っていたのだ。お前自身の幸せを見つけられたことを嬉しく思うぞ」
「おめでとう、アルディナ。これからは、もっと幸せになるのですよ」
「はい。お父様、お母様」
薬指の指輪が、その赤と金の光を強く放ったように見えた。