第12話 手を取り合って
「アルディナ。そなたはわたしの花嫁になってほしい」
花嫁。魔王様の花嫁。
まるで夢のような言葉に、アルディナは胸がいっぱいになった。目頭が熱くなり、そっと拭う。
歓喜の情が広がるままに、思いを込めて、返事を口にした。
「はい、魔王様。どうか末永くよろしくお願い申し上げます」
魔王は優しくアルディナの手をとる。アルディナはその手の温度を感じ、そっと重ねる。
春のやわらかな陽光が二人を包み込む。
色とりどりの花が咲き誇る庭園を背景に、手を取り合って、互いに熱く見つめ合う。
まるで一枚の絵画のように。
しかしながら、二人ともだんだんだんだん恥ずかしくなってしまう。不慣れすぎる。
とうとうはらりと手を離す。
気まずくなりそうで慌てふためくアルディナは、ふと尋ねることを思いついた。
「魔力は……花嫁となるときには、両手からいただくわけではないのでしょうか」
「そうだな。大きな魔力になるから、両手から注ぐとすると、その……すす、数時間ずっと手を握っていなければなるまい」
「は、はい」
どもってしまう魔王に、つられてアルディナもどもってしまう。一挙に熱が溢れてくる。
魔王様が手を握ることを本当に照れていたなんて、今まで考えていなかったのだけれど。
もしかしたら、わたくし以上にどきどきしてくださっていたのかも。
「じゅ、呪文を唱えるのも大変だからな」
「そ、そうですわね」
体中が熱に浮かされ、アルディナは急いで話題を探す。
「先日、簡単な方法があるとおっしゃっていましたが」
「そうだな。やはりその方法が一番かと思っている」
なぜか魔王はそっぽを向いている。
「それはどのような」
「それは執事から説明させよう」
すかさず答えるので、アルディナは小首を傾げながらも「分かりました」と了承するしかない。
「あの、もうひとつお尋ねしたいことが」
彼女は先ほどからどうしても気になっていることを思い切って訊くことにした。
「何だ」
「その、魔力で満たすと、わたくしにも、あの……その、角が生えてくるのでしょうか」
「は、角?」
「はい。人間とは寿命が変わるとお聞きしました。人のような魔族は、皆様角がありますよね。わたくしにも生えてくるので……」
言いかけたところで、魔王は朗らかに笑った。
「そんなことはない。一体何を心配しているかと思えば。安心するがいい。それにしても、そなたは面白いな」
アルディナはほっとしつつも、真面目に考えたことを笑われて、ひねくれる。
「どうせ、わたくしは生真面目ですから」
魔王は低い声で呟く。
「そんなところも、好きだ」
アルディナの心がぽんと弾む。
「今、何ておっしゃったのですか」
魔王は我に返った。夜闇よりも黒い髪をかきながら、小声で告げる。
「わ、忘れた。何だったか。だが、そなたは聞いていたのなら、そのまま覚えておくがいい」
ほころぶ花のような笑顔で、アルディナは返す。
「はい、魔王様」
アルディナは魔王城の正門まで魔王に送ってもらう。
「婚礼の準備を整え次第、迎えに行く。待っていてほしい」
「はい。お待ちしています」
二人は婚約を交わしたのだ。
次に会うときは、魔王の花嫁として迎えられる。そう思うと、アルディナの胸はこれ以上にない喜ばしい気持ちで膨らむ。
そこへ、執事のソムスがやってきた。
「馬車のお仕度ができましてございます。アルディナ様、お迎えに上がりました」
「ソムス。そなたにひとつ言っておく」
「はい。何でございましょう、魔王様」
執事は丁寧に受け答えた。魔王は一度咳ばらいをする。
「アルディナ嬢を、これまで以上に丁重に扱ってほしい。質問には分かりやすく答えてやってほしい。わたしの、花嫁になるからだ」
「か、かしこまりましてございますっ」
ソムスは高い声で答えた途端、ぽろぽろと涙を零しだした。アルディナはその様子に驚いたが、何か言葉をかけようとする前に、突然辺りが騒々しくなり、気を取られてしまう。
地を鳴らすたくさんの足音。それに口々に発する声が。
「魔王様っ」
「魔王様っ」
どこからか、魔物たちが集まってきた。犬や猫のような魔獣もいれば、魔人もいる。ぞろぞろと二十、三十とやってくる。
あっという間に、アルディナは魔王と共に魔物たちに取り囲まれ、固まってしまう。ほとんどは近くに寄ってくるだけだったが、小さな猫のような魔物は足もとまで寄って甘えてきた。
「魔王様、おめでとうございます」
「魔王様、お祝い申し上げます」
みな口々に魔王に伝えてくる。
「な、何だ。持ち場を離れるなっ。わたしの花嫁に手を触れるでないっ」
魔王が慌てて命令する。けれど、そこにはいつものような威厳はなく、みな次々と寄ってきてはお祝いの言葉を述べるのだった。
ようやく馬車が出発する準備が整うと、ソムスは慌ただしくハンカチをしまう。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「いいえ。あの、魔王様のご結婚のことは、今までだいぶご心配なさっていたのでしょうか」
「はい、そのとおりでございます。わたくしめは先代魔王様からお仕えして、百五十年ほどになります。そのなかでも、ここ十年ほど、わたくしどもの懸念している事項でございました」
二、三年ではなくて、十年というのが、スケールの違いを感じさせられる。
執事は微笑みながら続ける。
「魔王様が森と人族の秩序に熱心なのは、この世界にとって大変ありがたいことですが、こういったことには本当に疎くてですね。やっと伴侶を得られる。本当に嬉しくて嬉しくて涙が止まりません」
「そうですか」
アルディナは気がかりなことを訊くことにする。
「あの、わたくしは見てのとおり、ただの人間です。魔王様はそれでも花嫁にと望んでくださいました。でも、魔族の皆様は、人間なんて伴侶に相応しくないと思われないでしょうか」
「とんでもございませんっ」
あまりにも強く執事が答えるので、一瞬たじろいでしまう。ソムスは勢いを落とすことなく説明する。
「人族であろうが魔族であろうが、全く関係ありません。魔王様は代々この森を統べる絶大な力をお持ちのおかたです。けれど、伴侶はその力でもって得ることはできないのでございます」
「どういうことでしょうか」
「代々魔王様は、ご自身が真に愛する者しか花嫁とすることはできないのです。今わたくしめがお仕えする魔王様は大変お心優しいおかた。さらに魔王様ご自身を愛する者でないと、花嫁とはお認めにならないのでございます」
「まあ……」
アルディナは、自身の鼓動を確かめるように胸もとに手を置いた。
真に愛する者、とは。
ソムス様から聞いてよかった……。もしも今、魔王様から直接こんなお言葉を賜ったなら、喜びのあまり卒倒しかねなかったわ。
「魔王様は、お立場もあり、お気持ちを直に表すことはあまりなさいません。これまで、なかなかそのお心を素直に打ち明けることもできなかったでしょうし、あなた様のお心を確かめることもできなかったでしょう」
思わず、アルディナは銀の髪を揺らして、こくこくと頷いていた。