第11話 夢の時間の先に
「初めてお会いした日から、ずっと魔王様のことをお慕い申し上げております」
アルディナのなかから言葉は溢れてくる。
「わたくしは、キリウス様に愛されていなかったことがショックで、王妃になるためにしてきたこともすべて否定されて、心を失くしたつもりでした。生きていく気力もなく、森に迷い込んで魔獣の餌食となっても構わないとさえ思っていました。それなのに、魔王様にお会いしたとき、心から惹かれたのです。どうにかして、おそばにいたいと」
自分の気持ちを口にしたら、止まることはできない。
「わたくしがキリウス様や王国に対して、どこかに復讐めいた心を持っていると気づかされたことも、驚きました。けれど、魔王様をお慕いする気持ちが強くて、僅かなときでも一緒にいられるなら、その暗い心でさえ生かしたいと思ったのです」
魔王はゆっくりと頷いた。
「わたしは、配下の者から森のそばにそなたが住んでいることを聞いた。素性を知って、密かにそなたの様子を窺っていたのだ。絶望に抗い、道を探すそなたには、生来の美しさが全く損なわれてはいなかった。そなたは決して望みを失ってはいないと感じた。それなのに、自分を責めてばかりいるようだった。別の心を解放したらいいと思った。だから、少し焚きつけてやったのだがな。キリウスの国を滅ぼすために協力してもらおうとすぐに決めた。本当はもう、そのときにはそなたに……すっかり心を奪われていたのだ」
「魔王様……」
キリウス王子に婚約を破棄され、苦しい気持ちを抱えながら生きていた日々。どうしたらいいか分からず、投げやりになってしまいそうだった。けれども。
諦めず生きようとしていた。辛い心を抱えていても、何かを求めて、希望を完全には失わなかった。生きていく道をずっと探し続けていた。
そうして、魔王に会うことができたのだと、アルディナはしみじみと感じた。
「あの日、わたしは配下の者からそなたが森へ足を踏み入れていると聞き、会いに行った。そこで、そなたがわたしのもとに来てくれると聞いて、どれほど嬉しかったことか」
アルディナは、魔王と初めて会った月夜のことを思い出した。何一つ忘れることはない。そのときの想いはずっとこの胸に育まれてきた。
「アルディナ」
「はい」
「わたしもそなたをずっと慕っていた。何かと理由をつけてそばに置いてしまったが、気持ちに何一つ偽りはない。会えば会うほど、そなたが愛しくなった」
「嬉しいお言葉です。魔王様は魔族の王として心優しく、とても立派なおかたです。人間のわたくしなどが想いを寄せたところで、一方的なもので、隠さなくてはならないと思っていましたから」
「何を言う。それはわたしのほうだ」
「え……」
「そなたは有能で心も清く、たくさんの人間から慕われている。だからこそ、人間の世界でずっと暮らすべきだと思った。魔族のわたしが手にするべきものではないと堪えてきた。何度も、これ以上会ってはならないと思って、自分だけの気持ちだからと封じてきたのだ」
「魔王様にそんなふうに思っていただけたなんて……」
アルディナは感極まって、泣いてしまいそうになる。それなのに、魔王の次の声は暗く澱んでいた。
「それでも……わたしはやはり、自分の想いを断ち切るほうがいいのかもしれない」
瞳に陰を落とし、魔王は何か言い淀む。アルディナはその表情にひどく胸をつかれる。何か余程のことがあるのかと、耳を傾けた。
魔王は告げた。
「わたしはこの森の主であり、魔王だ」
「はい」
「わたしが想いのまま、そなたを長くそばに置きたいと願うときには、そなたを……わたしの魔力で満たしてしまうだろう」
魔力で満たすとは、どういうことなのか。
アルディナは息をつめ、その問いをなかなか口にできない。
魔王が先に口を開いた。
「これまでのように、魔力を分け与えるのとは違うのだ。そうしていいのかどうか、わたしは悩んでいる」
「何を悩まれるのでしょうか」
「人間を魔力で満たすと、魔族と同じように、多少の魔術を常に使えるようになる。それと同時に、寿命が変わる」
「寿命……」
「わたしが老い衰えるのは、二百年以上先になる」
魔王は三百年ほど生きると、アルディナも聞いたことがあった。
「そなたをもしも魔力で満たすと、わたしが老い衰えるまでそなたも老いることはない。わたしはそなたと添い遂げたい故にきっとそうしてしまうだろう。だが、そなたが他の人間と違って長く生きてしまうことはどうなのだろうか。家族や友人よりずっと先まで生きることは、孤独ではないのか」
「いいえ」
アルディナは力強く答える。迷いはなかった。
「わたくしは、幼少のころから王妃になるのが与えられた役割でした。でも、その役目を果たせず、人間の世界ではずっと孤独のままでした」
一度言葉を切り、アルディナは魔王に尋ねる。
「わたくしの故国が滅びるとき、魔王様はこうお訊きになりましたね。助け出したい者はいるのか、と」
三年も前の話になる。
アルディナは、魔王が国を滅ぼすのに手を貸した。それは、国を立て直そうと苦心してきた公爵家や自分を、王族や貴族たちが裏切ったことから生じたものだった。
国民たちにはなるべく被害が及ばないように、とアルディナは魔王に懇願した。
実際、大国が攻めてきたとき、国力は失われていたため、争うこともなくそのまま属国になった。王族は追放され、腐敗した貴族たちは今は平民として生きている。
時が経つにつれ、国の内外は落ち着きを取り戻していた。
故国については、遅かれ早かれ、大国に攻め入られる条件がそろっていた。
下手な抵抗をすれば、王侯貴族をはじめとするたくさんの人々が犠牲となる未来もありえたのだ。
犠牲を極力減らすとはいえ、それでも、自ら故国を滅ぼすことに加担するのは、痛みを伴った。それでも、アルディナは目をそらさず、真摯にその滅びを見届ける決心をした。
魔王は「そなたは王妃になるはずだったのだな」とひと言添えてから、助け出したい者は、と問いかけたのだ。少しくらいの人間なら、特別に救い出して、別の国の上流階級にするなどできるはずだと。
「あのとき、魔王様から問われて、自分には助け出したいと思うほど、特別親しい者がいなかったことにはっと気づかされたのです」
アルディナは自身の深い孤独に気づいてしまったのだ。
「それなのに、魔王様にお会いして以来、寂しいことなんてありませんでした。わたくしは、キリウス様のことでも故国のことでも、深く傷ついていたと思います。でも、魔王様が他の国のことで依頼を持ってきてくださって、世界の広さを知り、様々なことをしてきたからこそ、少しずつ回復することができたのです。魔王様がわたくしの孤独を救ってくださいました」
「……」
「魔王様のおそばにいられなければ、わたくしは寂しいのです」
「ならば、わたしはもう二度とそなたを手放しはしない」
「……」
アルディナは紫色の瞳で魔王を見つめる。
魔王は朱金の瞳で見つめ返す。
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