98 自覚のない拳
週末旅の極意って番組、ご存じですか。
テレビ東京の観光地案内的な番組だと思って毎週録画して見ていたのだけど、ここ最近、女性の仕事と子供を産む産まないの話がものすごくリアルに出てきてびっくりしました。
家族のことは書かないと決めているし約束したんだけど、これは私の中の考えだから書きます。
令和になった今でも、これは山ほどあるんだろうなって思いました。
しかも女性を苦しめる言葉が女性から出たりする場合が少なからずあります。
私が仕事でいくつもの責任者に指名されて、39度の熱があっても点滴打ちながら働いたころ。1人目の子供がひっきりなしに病気をしていたときのことです。
病院の待合室にいるとき、全く見ず知らずの上品そうな白髪の奥様に話しかけられました。
「あなた、お子さんは1人?」
「はい」
「それは子供が可哀想よ。年取った親を一人で面倒見なきゃならないのよ?1人は可哀想」
子供が1人と聞いた瞬間に奥様の声に張りが出ました。私、ものすごく驚きましたっけ。
1人目を産むまでも「子供はまだ?」とプライベートな問題に口を出されていましたけれど、理詰めで反論するのも大人げないかと笑ってやり過ごし、やっと1人目を産んだわと思ったら今度は「1人じゃ可哀想」と言われます。悪意なきデリカシーの欠如に仰天しました。
そもそも親を面倒見るのは夫婦でやることなのでは?
1人でやることじゃないじゃん。
いや、あなたはそういう価値観で育てられ、生きてきたのでしょうけど、次の世代にそれを押し付けなさんな。
そう思ったのです。
年上だから意見できるとは限らないよ、とか。一瞬でいろんな言葉が浮かんだけれど。この年齢の人にそれを言っても考えは変わらないだろうな、と思いました。
そのときは絶対に2人目の子供を産める状況じゃなかったから、(この場で号泣してやろうか)と若かった私は内心でぶちぎれましたっけ。何も反論しなかったけど、たぶん、最高にひきつった顔をしていたと思います。
もっと驚いたのは、それから4年後に2人目を産んだら、ストレッチャーに乗せられて病室まで移動する間に「子供は3人いると子供同士で刺激し合っていいものだ」と言われたことです。
「富国強兵か! 今は戦中か!」って17時間の激痛から解放されたばかりの私は、微笑みながら心の中でぶちぎれていました。あははは。
たぶん、そんなふうに私が怒り狂っていたとは、言ったほうは想像もしなかったでしょうけれど。
そんな経験をしてきたからこそ、小説の中ではいろいろな女性の生き方を書きました。子供を2人3人と産んでいる主人公もいますが……。
仕事と主に人生を捧げ、自分の生き方に誇りを持っていた小国のドロテ。
養子のノンナを慈しむビクトリア。
保護した子供を大切に育てるオリビア。
桂木さんと2人の人生を選んだ紗枝さん。
女性がみんな同じ生き方をしなくてもいいよって思いながら書きました。
「これが女性の普通の(最上の?)生き方だ」って、「普通」ばかりを書きたくないのです。
たった1回きりの人生なんだから、私が生み出した登場人物には、自分で好きな生き方を選ばせたい。
価値観は他人に強要した瞬間に暴力になります。
そんな簡単なことが、なかなか伝わりません。
善意で言っているつもりの当人は、殴っている自覚がないままに相手を殴り倒していることがある、と思いながら小説を書いています。
たまに感想でドロテやビクトリアに子供をというご意見をいただくので、なぜああいう展開にしたか、私の考えを書きました。過激な感想を書かれると面倒な人が駆け付けてくるので、【この記事に関してだけ】コメントは控えて下さるよう、お願いします。
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