51 ビクトリアは正義の味方じゃない
たまーにあることなんですが、ビクトリアの行動を批判するご意見をいただくのです。
いわゆる「法に触れることをしている」「他人に迷惑をかけている」というご意見で、それはその通りです。
ビクトリアは正義の味方ではないんです。
自分が生き残ること、自分の心を守ること、大切な人を守ること。その3つのためになりふり構わず必死になる。聞かれないことは言わないことが習性になっている。そういう人。
ビクトリアの行動の基準は法的に正しいかどうかじゃない。
だから牢番に迷惑をかけても脱獄させるし、本当なら断わった方が絶対に安全だとわかっていても影役を引き受ける。
日の当たる世界で真っ当な仕事をして生きてきた人とは違う人生を生きてきた人。
正しいか正しくないかの単純な生き方をさせてもらえなかった人。
そんなビクトリアの苦悩や迷い、自分を叱咤して困難に立ち向かう姿を描きたいんです。
だから、「牢番が気の毒じゃないか」と言われたら「そうですね」としか言えません。
そこをわかりやすく丁寧に説明しちゃうとwikiになっちゃう。
加減が難しいです。
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3週間に1度の割合で行くとある公共施設は、シルバー人材センターの方が車の誘導をしてくださっているのですが、バックで駐車しようとする時、真後ろで「オーラーイ、オーラーイ」と合図なさる。
「怖いから真後ろに立たないでほしい。私なんか反射神経も判断力も怪しいから、踏み間違えてあなたを轢き殺すかもしれないのに」と毎回思う。
誰も言わないからおじいさんはバックする車の真後ろに立ち続けているわけで、私が最初の1人になるのかと思うとためらってしまう。(そんなことを思う私がおかしいの?)と自信がなくなる。
あと、おじいさんは張り切って働いているのに「それ、怖いから」とは言いにくい。
「私の車の真後ろに立たないでくれませんか?」
3週間に1度、このセリフを我慢するから、その施設に行く日はちょっとだけ憂鬱になる。黒飴1個分くらいの憂鬱。
真後ろに立たれるのをいやがるなんてゴルゴじゃないんだから、と思う一方で、他の人たちはこれ、なんとも思わないのかな、とも思う。




