44 『誰も幸せになんないよ』
一人で日帰りソロツーリングを繰り返していたころのこと。
秩父の山のくねくね道を走りたくてバイクで出かけ、昼ご飯を食べようとくねくね道の途中にあるお店に入った。
お店の奥さんの許可を得てカメラでお店の外観、内装、メニュー、窓から見える景色などを撮影して、山菜蕎麦を注文したのだけど、なぜか味噌田楽がおまけでついてきた。
「これは?」
「サービスです。どうぞよろしくお願いします」
「え?」
意味が分からず、「よろしくって?」と奥さんに問いただそうとしたけれど、年配の奥さんは顔の前で手を振って「ああ、もう、どうぞ。どうぞ食べてください」と言う。そして「なにも聞くな、なにも言うな」みたいな感じで私と視線を合わせず、厨房に引っ込んでしまった。
(よろしくお願いしますって、どういうこと?)
わけがわからなかったけれど、ここで味噌田楽を残すのも突き返すのも失礼な気がしたし、大人げない気がして食べた。それほど好きでも嫌いでもない味噌田楽を完食して、帰りに「ごちそうさまでした。美味しかったです」と頭を下げてバイクに乗り、帰宅して、そこでやっと「よろしくお願いします」の意味がわかった。
当時の私はカメラに凝っていて、ニコンの一眼レフをいつもバイク用のバッグに入れて撮影していた。レンズも常時何本か携帯していて、食事は単焦点レンズ、景色は望遠レンズ、店内は買ったときについていたレンズ、みたいに使い分けていた。
お店の奥さんは一人で大型バイクに乗って来て、レンズを変えながらデジイチで撮影しまくる私を、バイク雑誌かなにかの取材の人と勘違いしたのだ。(と思う)
「どうしよう。私、詐欺みたいなことしちゃったよ」
そう友人に告白した。
「なんでさ。あんたが要求したわけじゃないし、質問しようとしたのに遮ったのは向こうでしょ? あんたのブログで目いっぱい褒めた記事を書けばいいじゃん。それで十分だよ。バイク乗りのブログなんだから、バイク乗りがその記事を読んで3人くらいその店に行けば、味噌田楽の分ぐらいあっという間だよ」
「えええ……。それとこれとは話が違うよ。電話で謝ってお金を現金書留で送ってすっきりしたいわ」
「はあ? そんなことをしても誰も幸せにならない。やめときなよ」
「……どういう意味?」
『誰も幸せにならないから黙っている』という選択肢に初めて出会った。
「お店の奥さんは取材されたと思って喜んでるのに、わざわざ違いますよって教える意味が分からない。味噌田楽いくらだよ」
「たしか280円」
「280円の味噌田楽をサービスしてお店の奥さんが幸せになったのに、わざわざ『あなたの勘違いですよ』って教えるわけ? ブログに書けばいいよ。あんたのブログ、毎日どれだけアクセスあると思ってんだよ。いい宣伝だよ」
今だにこの話の正解がわからない。
現金書留で300円を送るのもさすがにいろいろ台無しかなと思って、後日お礼の手紙を添えて酒粕まんじゅうをひと箱送ったのだけど、友人の理論では280円の味噌田楽に1,000円の酒粕饅頭と送料をかけることはきっと「誰も得しない行為」になるんだろうな、と思った。
この話の正解=私がとるべき行動は、どれが正しかったのか、いまだにわかんない。
10年たっても忘れられない私が小心者すぎるのかもだけど。




