304 『古城』を思いついたときのこと
大学時代とあるサークルに入っていて、私が3年の時、中途半端な時期に1年生が入ってきました。
サラサラロン毛の男の子で、2浪していたから年齢は私と同じ。
数学科と聞いてそれだけで圧倒されたのは、私が「さんすう」レベルでその科目を諦めたからです。
その飄々とした男の子はせっかく入った大学の授業をさぼりまくって雀荘に入り浸っていたそうで、私は(雀荘?)とますます異星人を見るような気持ちでその男の子を見ていました。
雀荘で大人を相手にしているだけあってすごい腕前だ、ということは一緒に卓を囲んだサークルの先輩から聞きました。
その男の子は楽器に触れるのは初めてということでしたが(私もそうだった)、私や同期の仲間を半年ほどで追い抜き、演奏会では前の方に席を与えられました。
親もその親も大学の教授をやっている家の子で、数学科で、マージャンが強くて楽器もあっという間に上達する人。
今思えば、彼は麻雀に熱中するのと同じ熱量でその楽器を練習していたんだと思うのですが、当時の私は「生まれも育ちも恵まれていて、いろんな才能があっていいなあ」としか思いませんでした。
外から見えることが全てではないことに、20代の私は思い至れませんでした。
当時私はなかなか楽器が上達せず、1日10時間練習する合宿は苦痛でしかなくて、卒業するときに(わー、やっと苦しまなくて済むわー)くらいに思っていました。
挫折感満載でその楽器を楽しめなくなって、大学卒業以来一度も愛用の楽器に触れることなく売り飛ばしました。
それから長い月日がすぎて、次に私が手にしたのはカリンバでした。
持ち方も知らない楽器です。
YouTubeを見ながら独学でカリンバの練習をしていたら、はるか昔に忘れたと思っていたその男の子の顔が、突然脳内に浮かび上がりました。
うりざね顔で演奏中に口を尖らせる癖まで鮮明に。
あの男の子は今、どんな仕事をしているのかなと想像することが今もあります。
数学の教授になってたりして? と楽しく思い出せる自分にホッとしています。
当時はその男の子と同席すると、強い犬の前で尻尾を股に挟む弱い犬みたいな気分でした。
忘れたと思っていた人の顔をちょっとしたきっかけでくっきりと思い出した経験から、「記憶を見る魔女」を主人公にした『古城で暮らす私たち』の話を思いつきました。
頑張ったけど魔法を習得できなかったニナ。
彼女の気持ちは、大学当時の私の気持ちです。
でも、ニナは師匠の家を逃げ出さず、修行を投げ出さなかったところが私とは違います。




