267 絶対的な間違いではなかった
私は「敵の人間にもそう行動せざるを得ない事情があった」と書くのが好きです。
たとえば『小国』だと、皇帝が若い女性に本気で心を動かしてしまった場合の話。皇后はプライドが高いから、皇帝相手に取り乱すこともできない。皇后が相手の女を憎むときの悲哀とか、惨めさとか。
小国を思い出すとき、私はいつも皇后の哀しみを思い出します。ベルの活躍ももちろんいいんだけど、傷ついて嫉妬して、それでも皇后として生きていかなくてはならない彼女が愛おしい。
でも、悪者に読者が同情するような展開はいらないと言われる場合もあります。
私は自分に自信がないので、悪者の背景を削除して続きを書きます。そういうシンプルな話を要求されるなら、応えるのがプロなんだと思う。
でも、(これ、私でよかったのだろうか?)とか(ここで反対意見を言ったら生意気って思われるかな?)とか(いや、他人の視点を受け入れてこそ私も成長するのでは)とかグラグラ揺れながら書く。
そんなとき、畑中雅美さん(@gamikossu)のこの文章を読みました。
https://mond.how/ja/gamikossuから抜粋です。
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自分とは相容れない感性の人間が、なぜその感性に至るになったのか、そこに思いを馳せれないので、単なるバカとして描いてしまう。
(主人公が)単なるバカ相手に、苦しんだり、騙されたり、強敵だと感じる時点で、構造的に主人公も読者目線ではバカに見えてしまうのは必然なので、表現できる主人公設定も限られてきます。
自分とは相容れない考えの人間であっても、その人もまた、自分と同じように考えていて、自分以上に聡明で、その人なりの正義や感性、哲学がある。
これが薄っぺらい知識ではなく、腑に落ちて理解できている作家さんの方が、当然表現の幅は広がります。』
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私の書くスタイルは絶対的な間違いではないらしい。それを良しとされる場もある。少し安心しました。
あ、これもコメントなしでお願いします。すみません。




