144 優しい感想は書き手の栄養
たくさんのコメントをありがとうございます。
最近はコメント欄を閉じていることが多くて、一人で壁に向かってしゃべっているような気分でしたが、おかげさまで気力が湧きました。
私に関しては数千人から1万人に1人くらいの割合で「それを作者の私に読ませる意図はなんですか?」と思わせられるコメントがありますが、それは気にしなくていいのはわかっているのです。
その何百倍何千倍もの人が「面白い」と思ってくれるから読んでくれているのはわかっていても、たまーに書き込まれる「そのコメントを私に読ませる意図はなに?『あなた』が気に入るように書き直してほしいってことかな?」という感想のほうが記憶に残るのです。
人間て、楽しい記憶よりも不快な記憶の方が残る生き物ですから。
私は気力を削られるのが嫌で感想欄を閉じていましたけど、やっぱり読者さんの優しい感想は元気の素です。
たまに「批判されて落ち込む程度のメンタルじゃ、作家には向いていない」という意見をネットで読みますが、向いてる向いてないを決めるのは、本人だから。
私を含めた多くの書き手が書き続けられて、少しでも書き方を学べたとしたら、応援してくれるコメントのおかげです。
「自分がこの書き手に欠点を教えてやる」つもりでコメントしてる人は、芽が出たばかりの花の苗を踏んでいるのです。どれだけの人が芽を踏み潰されて枯れて消えたことか。私が大好きだった作家さんや作品が「コメント欄に意地悪な事を書かれているなあ」と思っていたら更新が止まって終わってること、どれだけあったことか。
踏まれても平気な花ばかりじゃないから。若い年齢であろう作家さんが消えていくのを見るのは、とても悲しいです。メンタルが弱い人には弱い人なりの視線があって、そういう視線で描かれる美しい世界があるのです。私はそういう世界を描く作家さんが好きです。
私は客商売で鍛えられているから、不快に思っても最後は「顔も知らない人だしね」と思って書き続けられるけど。
私は今、王空とスープとビクトリアを完結させることを目標に書き続けています。
余裕ができるまでは少しずつ少しずつここで押小路楓を書き溜めて「連載いける」と思う量が溜まったら、または完結したら、小説カテゴリーに投稿するかも。しないかも。
押小路楓はビクトリアを書き始めたころのワクワクがあります。私、ビクトリアを書き始めたころに、当時の担当さんに「最近書き始めたビクトリアって小説、面白いんですよ!」って、読んでほしくて無邪気に報告しましたっけ。
その担当さんは無言でした(´∀`;)
(わ、聞き流された!)ってショックを受けた私は初々しかったですw
編集者さんは猛烈に忙しい職業だから、そんなのは当たり前なのに。懐かしい思い出です。




