クロの料理
――壊れたはずの物が、すぐに元通りに戻る。
――動かないはずの物が、意思を持って動き出す。
これらは共に、付喪神としての代表的な特徴である。昨日、壊れた床や壁がたちまち元通りになるのを目撃したシキは、すぐにその正体に気が付いた。
それ自体は別にどうという事もない。傷付いた箇所を自らで修復するというのは、至って普通の事だ。
問題なのは、彼らがクロの命令に従って動いているという事実。果たしてその意味を、目の前の狐少女は理解しているのだろうか?
そんな心配をしているシキの言葉に対しての反応は、二人それぞれだった。
「ふぅん」
意味ありげな視線を投げてくるマーシャと、
「…………………………うほはぁん?」
目と口を点にして、まるっきりアホの顔を晒すクロ。
例えるなら夏場に公園で涼んでいる際、物欲しそうに近付いてくるハトに対し、どうすればこの世から争いがなくなると思うか聞いてみた時の顔である。
「…………つくだに?」
「つ・く・も・が・み!」
全くピンときていないクロの美味しそうな言い間違えを、シキはすかさずに強く訂正した。
やっぱりコイツ分かってねぇと、頭痛を堪える様に頭を抱えてしまう。
「ったく……あのなぁ? 付喪神ってのは物に魂が宿り神格を得た存在の事だ。言うなれば後天的な『神様』の一種だぞ? それをお前、ろくに理解もしてないヤツが小間使いみたいにしやがって。見てるこっちが畏れ多くてビビるだろが」
「なんと……! 初めて見た時から『なんか幽霊っぽいヘンなのがいるけど便利だから別にいっか!』って気にせず扱き使ってたのがそんな高次元な食器だったとは!? もっと早く宣伝に使わなかったのが悔やまれるですっ!!」
「お前マジでブレねぇぁ……商売と神様は切っても切り離せないからいいけどよ。あとな、正確には食器が、じゃねぇよ」
指を鳴らして本気で悔しがっているクロに、シキは呆れて首を振った。
「はえ? どういう意味です?」
シキが口を開く前に、答える声があった。
「この宿そのものが付喪神――って事でしょ」
黙って話しを聞いていたマーシャが、割り込んできた。
シキは思わず目を丸くする。
「おう正解。へぇ……意外だな。マーシャってこの手の話、詳しいのか?」
「別に詳しいわけじゃないわ。ただA級冒険者なんてやってると、良かれ悪かれどうしてもそういう存在と鉢合わせするし、嫌でも敏感になるってもんだわ。イ・ヤ・で・も・ね!」
苦々しげに言いつつ、ドレッシングのたっぷりと掛かったサラダをフォークで目一杯に突き刺し、豪快に口へと運ぶ。
この乙女らしからぬ振る舞い。どうやら神霊の類に嫌な思い出があるらしい。
それも聞いてみたい事ではあるのだがそれはそうと――
「っていうか、お前一人で食い過ぎだろ!?」
気が付けばあれだけ豪勢に並べられていた料理が既に半分近くに減っている。マーシャは見た目に依らず大食漢なようで、このままでは朝食を全て食べられてしまう。
シキも慌ててむさぼる様に食べ始めた。
「もがもがもがもが――まあ、要するにだなクロ。お前、仮にも付喪神の恩恵を受けてるならもう少し彼らに敬意ってもんをだな――――ってなんだこれうま! うっま!? めっちゃくちゃ美味ぇ!!」
とりあえず手に取ったパンのあまりの美味さに驚きの声が出た。
いや、パンだけじゃない。どれもこれも信じられないほどに美味い。
――香味野菜と鶏肉の出汁に、香辛料がしっかりと効いたスープ。
――ふんわりとチーズを包み、絶妙な火加減で膨らませられた巨大オムレツ。
――薄切りにされた艶やかな魚肉に包まれた、色とりどりな海鮮巻き。
どれもこれも、一流の専門店でも滅多にお目にかかれない、とてつもない味だ。
シキの驚き様に、説教を嫌がる様に耳を塞いでいたクロが、ぴょこんと耳を立てて反応した。
それからモジモジと体を揺らし、顔を赤くして照れ始めた。
「そ、そうですか……? 実はこれ、ボクが作ったのですが、お口に召したのなら、なによりなのです」
「なにぃっ!? これ全部お前が作ったってのか!!?」
「なんですってぇぇぇぇぇッ!!!? どーりでいつもより美味いと思ったら!!」
シキがその事実に驚愕していると、何故かマーシャが彼以上に驚いた様子で声を張り上げた。
マーシャは「くっ!? こうしちゃおれん!」と言い捨てると、器ごと丸呑みしそうな勢いで、料理をガツガツと食べ始めた。
みるみるテーブル上から料理という料理がなくなっていく。
シキは慌てて割って入った。
「おいおい待てこら!? オレの分が無くなるだろうがこっちにも寄越しやがれ!」
「やかましい! アンタはその辺の雑草でも齧ってなさい!」
「あんだとテメェ! 上等だよ。食べ盛りな道場生との壮絶な奪い合いで鍛えられた『食事時戦技術』ってもんを見せてやらぁ!!」
「ハッ! できるもんならやってみな!」
料理を巡り、バチバチと火花を散らして白熱する二人。
それを見ていたクロは、首を傾げて、自らの頭上で踊っていたおしぼりに尋ねてみた。
「どうして二人は、あんな誰にでも作れる簡単な料理にムキになってるです?」
おしぼりは何も言わず。
呆れて手を振る様に、ゆらゆらと風に揺れるのだった。