新しき友達
「ウッヒョウ! マーシャ! グゥッッッドタイミングなのです!」
二人が顔を見合わせている一瞬の隙に、狐少女は素早くマーシャの背後へと回り込んだ。
ついで、マーシャを盾にする様に彼女の背中からニョキッとにんまり顔を覗かせたかと思うと、かませ犬の三下が親分に泣き付く時と同じ様に、小物臭全開に高笑う。
「あーはっはっはぁっ! 形っ勢逆転なのです! 何を隠そうこのお方こそかの有名な、この街でその名を知らぬ者などいないA級冒険者! 『紅蓮姫』マーシャ・エルレインその人なのです! さあマーシャ先生! そこの調子こいちゃってやがるガキンチョを、ボッコボコにやっちまってくだせぇ!」
「いやぁもう、なんかすげーなお前。アホ過ぎてちょっと面白くなってきちまったぞ」
たった今まで両膝ついて崩れ落ちていたくせに、助け(?)が来た途端、秒の迷いもない電光石火の手のひら返し。
狐少女のメンタル面におけるフットワークの軽さに、シキはある意味感心すらしていた。
マーシャの後ろで威張り倒すその姿は、文字通り虎の威を借る狐そのもの。そして当の本人は、そんな己に全く恥じ入る様子はないときた。
この面の皮の厚さは見習った方がいいかもしれない――そんな事を、ちょっぴり思ってしまうシキなのだった。
まあそれはそれとして。
シキにとっての問題は、こっちの方だ。
「むー……」
さっきからシキの方を、何か納得しかねる表情で睨みつけているマーシャ。
ただそれは怒っているというよりも、言いたい事があるのに、うまく言葉がまとまらないというような……。
有体に言ってしまえば、気まずさの表れに見えるのは、シキの気のせいだろうか?
「? 何をぼぉっとしてるですマーシャ? とっととやっちまうのですっ」
狐少女が催促すると、マーシャの眉がピクッと。わりと危険な感じに跳ねたのを、シキは見逃さなかった。
「ふん……調子こいてるヤツでいいのね?」
「はいです! あっでも交渉はしたいので全焼ではなく、かろうじて口が利けるくらいのミディアムレアでお願いするです!」
「オッケーオッケー」
マーシャがグルグルと肩を回しながら確認し、狐少女が即答する。
だからマーシャは言われた通りにした。
「ファイア・ボール」
人の頭より一回りは大きな炎の球が、水が流れる様に滑らかにマーシャの手のひらから撃ち出され、かなりの速度で真っ直ぐに襲い掛かる。
――背後の狐少女に向かって。
「ぎにゃあああああああああああああああっっっ!?!?」
絶叫しつつ狐少女は、獣人としての見事な反射神経でもって、至近距離から飛んできた凶弾をギリギリで避ける事に成功する。
……ちなみにこの宿は、この街にしては珍しく壁も床も木製である。そんな場所で火属性の魔法など使ったらどうなるかなんて、言うまでもない自明の理。
炎球が壁に直撃し、激しく音をかき鳴らす。当然、直撃した場所から炎が周囲へと蔓延し――――とはならなかった。
「おー」
炎球が直撃し、確かに爆砕したはずの壁や床が、みるみる内に元に戻っていく。十秒も経った頃には、完全に元通りだった。
――いやそれだけじゃない。
良く見てみれば、ついさっき狐少女の顔面がめり込んだはずの床板までも、いつの間にかすっかりと直っている。
この場には間違いなくシキと狐少女、そしてマーシャの三人しかいない。つまりこれは誰がやったものでもなく、今の現象と同じ様にひとりでに直ったのだろう。
シキは興味深げにそれを見届け、横の二人に尋ねようと振り向いた。
「なぁなぁ、もしかしてこの建物って――」
しかし、シキの言葉はまるっと二人にがん無視された。
二人にとっては、それどころではなかったからだ。
「な、ななななな何しやがるですかぁマーシャッ!? やっちまって欲しいのはアッチですよアッチ!」
「だからちゃんと聞いたじゃない。こん中でいっちばん調子こいてんのは間違いなくアンタでしょうが。誰が先生よ誰が、ああん?」
「ぐぬぬぅ~まさかの親友の裏切りなのです! …………はっ!? よもや伝説の友達料を請求するつもりですか!? ふっ……そんなもの――――三年契約で3万5千ゴールドでいかがでしょうか?(※1ゴールド=1円)」
「いや払うのかよ」
思わず端で聞いていたシキがツッコんでしまった。
そしてマーシャは意地が悪そうに笑う。
「そーね。その百倍だったら考えてあげるわ」
「うげげっ!? 高すぎなのです! マーシャの鬼っ悪魔っ人でなしっ! いっそタカスギクンに改名すればいいです!」
「はっ! なんとでもいいなさ――――」
「まな板マーシャ!」
「――――――――よし決めた。ちょっくらここら一帯燃やし尽くすわ」
「ちょいちょいちょいちょい!?」
マーシャの魔力が膨大に膨れ上がっていくのを見て、シキは慌てて彼女の肩を掴んで制止する。
「あによ、邪魔しないで」
「そうはいくかぁ! オレはここに泊まりに来たんだ。燃やし尽くされちゃ困るっ」
「ああ? なに? アンタまさかここの客だったの?」
「むしろそれ以外に何がある!?」
「私のストーカーとか?」
「………………ハンッ」
「あっあっ!? は、鼻で笑ったわねアンタ! 燃やすわよ!?」
「んー? そーいえばマーシャとは二年以上の付き合いになるですけど、めちゃくちゃ有名なわりにストーカーなんて見たことないですねぇ……」
「クロぉぉぉぉぉッ!? 余計な事言ってんじゃねーわよ!!」
狐少女が割り込むと、マーシャはさらにヒートアップ。
ただそこで、シキはぽろっと聞いた。
「クロ? それがこのアホ狐の名前なのか?」
「アホ狐!? 今アホ狐って言ったですか!? 失敬な! 耳かっぽじって良く聞きやがれです!!」
言うなり狐少女は、最初と同じ様にカウンターの上に跳び乗り「じゃじゃじゃーん!」と自分で効果音を叫んでいた。
やはりアホだと、シキは思いを新たにするばかりである。
「ボクの名前はクロ・ブラックフォックス! 両親が買ったこの由緒正しき宿を、今や独り健気に切り盛りしている、美狐少女なのです!! 控えおろう! です!」
言われた通り、シキは耳を小指でホジホジとかっぽじりながら言った。
「やって来た客を分捕まえて脅迫しようとしてるヤツが、健気に切り盛りとか言ってる件について」
「なぬぅーっ!!?」
「つかお前本っ当にこの宿の責任者かぁ? ただそれっぽい妄言まき散らしてるだけの、頭おかしい人じゃなく?」
「ぐぬぬぬ言わせておけば……もー許さんですこんにゃろー!」
激昂したクロが飛び掛かってくるのを、シキは余裕綽々にひょいひょいと躱す。それが十分も続いた頃には、クロはバテバテに息を切らせていた。
対するシキは涼しい顔。ついでにマーシャは呆れていた。
「何やってんのアンタら?」
「ぜぇぜぇ……ぜぇぜぇ……お、お前本当に人間ですか? このボクの動きについて来れるなんて……! 名を名乗れです!」
「あんな、お前は獣人の身体能力に頼り過ぎて基礎がなってねぇんだよ基礎が。オレと張りたきゃ一から鍛錬し直しやがれ。そしてオレの名前はシキ・テンリュウってんだ。よろしくな」
先に名乗られた以上、相手が三日で忘れる鳥頭であろうとも名乗り返さねばなるまい。
シキが手を差し出すと、クロの目が真ん丸になった。
「何ですこの手? 迷惑料の請求ですか? びた一文払いませんですよ?」
「おのれの頭ん中はソレしかないんか。握手だよ握手、友情の証とかなんとかそんな感じの。お前見ててなんか面白ぇし、いーかなーと」
「なあ……!? 友情の証、だとぉっ!?」
「なんでそこまで驚愕に目ぇ見開いてんの? むしろこっちがびっくりすんだけど」
「くぅ………………友情料三年契約で3万5千――――」
「いらんわいっ!? 普通に宿に泊めてくれりゃそれでいいよ!」
「む、むぅ……」
クロはしばらく悩んでいた様子だったが、やがてぽつりと呟いた。
「…………一ヶ月」
「うん?」
「十年は諦めるです。一ヶ月の宿泊契約で、手を打ってやるです」
どうしてそこまでこだわるのかはよく分からないが、彼女と友誼を結ぶにはそれなりに宿泊期間が必要らしい。
「うーん、一ヶ月かぁ」
シキの目線が斜め上を向く。
正直なところ、そんなに長くこの街にいるとは思えないのだが……。
考えつつ、ちらっとクロの様子を窺えば。
「――――」
視線の端に捉えた狐耳の少女は、期待と不安の入り交じった表情で、じぃっとこちらを見つめていた。
シキは嘆息して――――観念する。
「分かったよ。それでいい」
「はえ?」
「それでいいって言ったんだよ」
アホウ鳥の様に目を点にするクロに顔を近づけはっきりと告げると、クロの頬はみるみる吊り上がっていった。
「しょ、しょーがねーヤローですね! ならば特別にボクが寂しいお前の友達になってやるです! こーえいに思うがいいですよ!」
むにょむにょと緩みそうな頬を必死に堪えてわざとらしく唇を尖らせたかのごとき表情で、クロは差し出された手を握り返した。
「えへ、えへへへ……!」
手を離した後は、感触を確かめる様ににぎにぎと手のひらを動かして、微笑んでいる。
シキは気になったので、直球で聞いた。
「なあクロ……お前もしかしてボッチなの?」
「アンタ結構容赦ないわね」
マーシャに突っ込まれるが気にしない。
途端にクロは狐耳を畳んで、全身に憂いを帯びる。
「ふ……孤高とは理解されないものなのです」
「あー……うん。そだね」
シキは深く突っ込むのをやめた。
――なにはともあれ、こうしてシキは。
少しアホの子である友人と、この街における活動拠点となる場所を手に入れたのであった。
つんつん。
「ん? なにかねマーシャ君?」
「やかましい、あんまふざけてると燃やすわよ……ねぇアンタさ、金あんの?」
「? そりゃ当面の路銀くらいはな。別にそんな大金持ち歩くつもりもねぇし」
そもそも持ち歩きたくともシキの全財産は大和にある。今の手持ちは、あくまで当面一人旅をするのには十分、と言える程度でしかない。
「ま、一ヶ月分の宿代くらいなんとかなんだろ。前払いでいくらか払って、残りはなんとか――――」
「……ここ、全額前払い制よ? そこのアホが言ってるだけじゃなく、前のオーナーからのしっかりとした決まりで」
「ふぁっ!!??」
友と拠点を手に入れたその代わり、一文無しに転落したシキなのだった。