狐少女との謎の攻防戦
なんか飛んできたので。
とりあえずチョップで叩き落としてみた。
「えいっ♪」
「ふべらあああぁぁぁぁぁっ!?!?」
ちょっとはたくだけのつもりが思った以上に良い感じに決まってしまい、謎の人影は顔面から木床に激突してめり込んだ。
「あー……」
シキは己の手刀に残る感触を反芻して、ぶるっと身を震わせる。
なんというべきかこう……毛がフッサフサした動物に手を埋める様な感覚があったというか……
「やっべぇ……ちょっと気持ち良か――じゃなくてやり過ぎた。おーい、生きてるかー?」
適当に呼び掛けるが、人影は顔面を床に埋め込んだままピクピクと手足を震わせるばかりで動かない。
「あり? 死んだか?」
「――――――死んでまっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっっっ!!!」
床にめり込んだ後頭部をツンツンつつくと、そいつはバネの様にビョーンと跳ね起きた。
そうして受付らしきカウンターの上に飛び乗ると、シキへと指を突き付け不敵に笑って見せる――ダバダバと鼻血を垂らしながら。
「うぐぐぐ……く、くっくっくっ! な、なかなかやるですねお前! ボクの必殺奥義『お客様を絶対逃がさない真拳』を躱すとは!」
「…………お前もしかしてノイローゼなんじゃねぇの?」
まあ、何はともあれ。
ようやく人影の姿がはっきりと確認できたので、マジマジと観察してみる。
「ふーん、なるほど獣人か。どおりで触り心地の良いワケだ……にしても、珍しい毛の色してんなーお前」
――真っ黒な獣耳やシッポを生やし金色の瞳を輝かせる、髪を左右で束ねた獣人の少女。
年は十四のシキと同じかやや下くらいで、耳やシッポの形状からおそらく狐型の獣人だという事も分かる。幼いながら相貌も整っており、黙ってさえいれば一応美少女と言えるかもしれない。鼻血ダバダバだけど。
まあ、それはさておき。
「とりあえず聞いておくけど、なんでいきなり飛び掛かってきたんだよ? オレなんかしたか?」
「ハッ知れたこと! この宿に一歩でも足を踏み入れたいじょお……あばっ!? ハナヂがぐぢにはいっでうばぐじゃべれな――!?」
「はいティッシュ」
「あい」
ちーん。
くしゃくしゃ。
ぽいっ。
「ハッ知れたこと! この宿に一歩でも――」
「あ、そっからやり直すんだ?」
「足を踏み入れた以上――あば!? ま、また鼻血が出てきて……止まらないです!?」
「はい、もう一枚」
「あい」
狐少女は受け取ったティッシュを半分にして、それぞれを丸めて。
「フンッ!!」
無駄に気合いを入れて、己の鼻の穴にブスッと突っ込んだ。
「さあさあこれでようやく話が――あ、ちょっと待って。勢い良く突っ込み過ぎたせいで、鼻の奥がジーンとするです」
「うん。オレも大和では結構いろんな人を見てきたけど、お前ほどのアホは初めてだな」
鼻を押さえてムズムズを堪えている狐少女に、シキはジト眼を向ける。
しばらくして鼻痛から解放された狐少女が、何事もなかったかの様にシキへと向き直った。
……ちなみにさっきは黙っていれば美少女と言ったが、今は鼻栓のせいで、黙っていても残念すぎた。
「おっほん! ともかくこの宿に足を踏み入れた以上、お前はもう簡単にここから出る事はできないのです! 具体的に言えば長期宿泊契約をして前払いでお金を支払うまで!」
「欲望が全面に出過ぎだろお前……」
「本当は一発しばき倒してイスにでも縛り付けてから脅迫――もとい交渉したかったですが、こうなってはいた仕方なしです!」
「ほーお? 面白い。どうするってんだ?」
狐少女が身構えたのを見て、シキの口端が吊り上がる。対し、狐少女もニヤリと笑った。
「ふふん……こうするですっ!」
「むっ!?」
狐少女が懐からナイフを取り出し――
――自分自身に突き付けた。
「さあさあさあさあ! お前が契約してくれないと、ボクが刺されるですよ! ボクに! どうするですどうするです!? こんな愛苦しい美少女を犠牲にするですか!?」
「…………」
シキは頭痛が痛くなってきた様に頭を抱えた。
いっそもう、回れ右をして出て行ってやろうかと踵を返すと。
「あーっ!? あーっ!? 見捨てるですか!? 見捨てるですか!? こんないたいけな美狐少女を見捨てて知らんぷりですか!? 人でなしですか!? ケモミミの損失は世界の損失も同義なのですよ! サイテー男ですね! 略してサテ夫ですね!」
機関銃のごとく喚き立てられた!
サテ夫になるのはイヤだったので、仕方なくシキは後ろに向き掛けていた体を元へと戻した。
すると狐少女は勝ち誇るかの様に笑う。
「ふっふっふっそうでしょうそうでしょう! お前に欠片でも心ってもんがあるならそんな選択できるワケがないのです! やーいやーい!」
「いや、つーかお前なぁ……」
シキは呆れたとばかり肩を竦め……
一瞬で狐少女との間合いを詰めた。
「……へ? ――――ぎにゃあああっ!? は、はやすぎ――――!?」
「はい没収っと」
「――って、ああ!? ボクの特製ナイフがあ!? かっ返せです!」
あっさりと奪われたナイフを取り戻そうと狐少女が飛び掛かるが、シキは難なくと躱す。
それからジィっと手にしたナイフを眺め、
「特製ねぇ……うんまあ、間違いじゃないけどなぁ」
言いつつ、ナイフの刀身を指で摘んでプラプラと揺らす。
――そしてナイフはその動きに合わせて、グニャングニャンと面白いくらいに揺れ曲がった。
「こんなオモチャで騙されるヤツなんていねーだろ。その神経の図太さは認めてやってもいいけどな」
「ぐぬぬぬ……ま、まさかこの完璧な作戦さえ見破られるとは……恐ろしい人!」
「いや……こんなちゃちな作戦、ほとんどのヤツは見破ると思うぞ?」
狐少女は何もかもを失った様に、ガックリと膝を付いた。
「ふ、ふふふふ……完敗なのです……さあ、惨めな敗北者に堕ちたこのあまりにも可憐すぎるボクを、煮るなり焼くなりいやんあはんな事をするなり好きにするがいいです!」
「あのー……オレは普通に数日ほど泊めてほしいだけなんですが……」
「あ、ちなみにそういう事をした場合オプションとして別料金が発生するのでよろしくです。相場の五十倍くらいで」
「うん、お前実はぜんっぜん堪えてないよな? あとついでに言うと、そのテのセリフはせめて鼻栓外してから言いやがれ」
もはや「コレどう収拾を付けたらいいのかなぁ?」と、さすがのシキも分からなくなってきた時――
「さっきからギャアギャアうっせーわね! 人が昼寝してるってのにアンタ達何を騒いで――――って…………あああああああああっ!?」
上の階から突然、誰かが飛び降りてきた。
その誰かは、シキの顔を見るなり叫び出す。
「あれ? アンタは……」
そしてシキの方も、その顔に見覚えがあった。というか、ついさっきやり合ったばかりだ。
「アンタさっきの――――シキとかいうクソガキッッ!?」
「おーマーシャじゃん。何でお前がここに?」
――マーシャ・エルレイン。
ついさきほど死に体で病院に搬送されたはずの少女と、互いに思わぬ再会を果たす事になったのであった。