人位、奥義
――練気術。
こと大陸においては使い手の少ないものの、大和など一部の国にとっては魔法よりよほど国に馴染んだ術技。
その大和において、かつては練気術を用いての流派の戦国時代とでも言うべき壮絶な覇権争いがあったが、圧倒的な力によりその時代に終止符を打ったとある流派があった。
現在にも生き続けているかの流派では『練気』における三つの段階を最重とし、その一つ一つの流れをしかと掴むまでは決して上の段には上がらせないという、厳しい規則を設けている。
すなわち『天』・『地』・『人』の三段階。
人を練り――地を踏みしめて――天を『――』。
第一段階たる『人』は肉体と技を。
第二段階たる『地』は精神と気を。
第三段階たる『天』は『――――』を。
それぞれを極めた果てに、真の『――』へと至る。
そういう思想のもと、かの流派は国主たる帝も認める御国流……隆盛の頂へと辿り着いた。
しかし、そこに至ってもなお、辿り着けない場所があった。流派の創始者たる大拳士でさえ、いまだ見やらぬ悲願の極地。
そしてその場所に最も近い所にいる少年は――
つい先日師匠と殴り合いのケンカのすえ流派どころか国から追い出され、今は異国にて他人のケンカに首を突っ込んだ挙げ句、今度は自分自身が炎の少女とケンカしていた。
そのケンカ好きな少年の名前は、シキ・テンリュウと言った。
☆ ☆ ☆
迫り来るは、作裂すれば半径数十メートルを焼け野原に変える大火球。
太陽じみた輝きを放つ巨大なソレは、マーシャの魔剣に宿った事により、彼女の斬撃の鋭さをもモノにして、剛速球と化してシキへと向かう。
――着弾まで、残り三秒。
ただでさえ比類無き強力な魔法を己が魔剣に付与し、一個の剣技として放てるマーシャの魔法剣士としての実力はもはや疑いの余地がない。
一撃の威力だけを比べるのなら、あのグランの黒き稲妻すらも上回るだろう。
その事実を改めて確認したシキは、高揚の笑みを深めた。
「はっはっ! さっすが西大陸! まさか着いたその日にこんな――」
喋りつつも呼吸法を用いながら深く深く息を吐き、体勢を整える。
――残り二秒。
ただ迎撃するだけでは足りない。生存が勝利条件ではないのだ。だって仮にアレが直撃したところで、シキ自身はキズらしいキズすら負わないのだから。
成すべきはあくまで爆炎の完全な無力化。最小どころか、被害を全くにゼロにする。そしてその為には、ただの防御では意味がない。
よって。
――残り、一秒。
シキは決めた。
「こんな高度な『人』を使う事になるとはなぁっ!!」
ホウテン流『人位』奥伝の弐。
『雲消霧散』
そして、火球が放たれてからきっちり三秒後。
シキが目前まで来た火球へ飛び掛かり――
次の瞬間。火球は微塵の跡形もなく、完全に消滅していた。
☆ ☆ ☆
「ふぃー……なんとかなったなんとかなった」
シキは一仕事終えた職人っぽく額の汗を拭うフリをしながら、後ろの大通りへと眼を向ける。
「……ちっ。さすがに逃げられたか……」
そこにはもう、グランの姿はなかった。
ヤツも一流の冒険者だ。足跡を消す手管にも長けているだろうし、今から追いかけるのは難しいだろう。
「あーあ、運の良いヤロウだぁ」
シキはすっぱりと追跡を諦め、視線を前へ戻す。
そこではとうとう力を使い果たしたマーシャが、うつ伏せの大の字になってぶっ倒れている。その呼吸はずいぶんと弱々しく、今にも掻き消えてしまいそうだった。
そんな状態だというのに魔剣は握り締めて手放さないのだから、筋金入りだ。
「……このままほっとくワケにもいかねぇよなぁ」
シキは、軽々しく人を助けない。
だからこそ、一度救った命は最後まで救い切らねばならないという事も、良く理解している。そしてシキは、成り行きとはいえ、この少女を救ってしまった。
仮にグランがまだ近くにいたとしても、マーシャの方を優先していただろう。
「この近くに治療院とかあんのかねー?」などとボヤキつつ、小柄なマーシャの体を抱えようと近付いた時――
「う、う、動くなボウズッ!!」
「…………あ?」
突如として響いた濁声な叫び。
シキが顔を上げると、少し離れたところで小銃を構える警備隊の隊長がいた。
「お前達にはこの騒ぎの原因として話を聞かせてもらう! 大人しく付いてくれば手荒なマネはせんっ! 大人しく捕まれぃっ!!」
「あちゃー……そういや存在をすっかり忘れてたな。どうしよっかねぇ」
夕飯の買い出しの帰宅途中に、総菜を一つ買い忘れた事に気が付いた気分だ。
隊長の周囲では警備隊の連中が横一列になり、シキ達を取り囲むようにじりじりとにじり寄ってくる。
とはいえやはりその腰はどことなく引けており、マーシャの最上級魔法をあっさりと打ち消したシキへの恐怖心が透けて見えていた。
はっきり言ってさっさと逃げるのも、あるいは全員叩きのめすのも簡単だ。しかしマーシャの衰弱具合はかなりのものであり、余計な時間は使いたくない。
シキはちょっとだけ考えて。
「なあなあそこのオッサン」
「!? なな、なんだっ!?」
隊長に軽く手を振って話し掛けるだけで、警備隊全員の顔が強ばった事に苦笑しつつ、シキは言った。
「この近くでさ、腕の良い医者って知らない?」
……こうして。
ぐったりとしたマーシャは警備隊によって医者の元へと運ばれていき。
シキは一人、警備隊の本部にて取り調べを受ける事になったのだった。