シキの場合
「シキよ」
「はい? なんすか師匠」
「今からいくつか質問するぞい。正直に答えよ」
「? はい」
「まずお主、名前は?」
「えええ……師匠、たった今呼んでたじゃないですか。もしかして痴呆始まってます? 治療院の予約しときましょうか?」
「やかましい。ええから答えんかい」
「はあ……ご存知の通り、シキ=テンリュウですが」
「性別は?」
「うわあ……なんすかその気色悪い質問。もちろん男です」
「今、いくつじゃ?」
「もうすぐ十五になりますね。やっと元服です!」
「お主が学んだ武術の名は?」
「そりゃ、師匠の教えてくれた『ホウテン流』ですよ。決まってるじゃないですか」
「この道場に来て、どれくらいになる?」
「んーと、そろそろ八年くらいじゃないですかね」
「ホウテン流における今の序列は?」
「『天』の第一席です。堂々たる首席っすよ。えっへん!」
「この前帝都にて行われた、我が流派にとって、特別な仕合はなんじゃった?」
「帝の君御自ら御観覧なされる、この国最大級の御前試合っすね。興奮のあまり、ついつい気合いが入りすぎちまったの覚えてます」
「……その時、お主の相手を務めたのは誰じゃ?」
「ししょー、もしかしてマジでボケてきてます? 『序列最上位の相手はワシが務めよう!』とかムダにキリッとした顔で、あなた自らお相手してくれたじゃないですか。いやあ! あん時は楽しかったですねぇ!」
「…………シキよ。お主、ワシに何か、謝る事はないか?」
「ええ!? オレ何かしましたっけ? メシ当番はサボってないし……あ! ひょっとしてこないだ便所掃除を別の人に代わってもらった事っすか? でもあれはしょうがないんすよ。近場にオレじゃないと討伐できない妖魔が現れたんでちょっと出掛けて――」
「ようわかった。もうよい。シキよ」
「はい?」
「お主――――破門じゃ」
………………?
…………。
……。
「はああああああああああぁぁぁぁぁ!?!?」
たっぷり十秒以上も経って言葉がようやく浸透し、シキは絶叫した。
「じゃ、そういうことで」
「いやいやいやいや待てやこらあっ!」
そそくさと立ち去ろうとする師匠の腕を、逃すものかと引っ掴む。
「いくらなんでもそれで納得するかあああああ! 師匠! オレが何をしたって言うんですか!?」
「何を……じゃとお?」
ぴり……と、空気がざわめく。
シキの言葉に、御歳八十になられる身長二メートル超えの体躯を誇る伝説の武闘家――ガロウ=ホウテンが激怒している。
「本当に……本当に心当たりがないと申すか?」
「さっっっぱり分かりません!」
「ぬぅぅぅ、ならば教えてやろう!! お前……お前はぁ……!」
額に脂汗を滲ませるほどの激情をほとぼらせる師の姿に、シキは生唾を飲んだ。
自分は一体何をしてしまったのだろうか。
「だってお前――――強すぎるんじゃもん!!!」
「……………………は?」
大抵の事にはひょうひょうとしているシキも、これにはアホみたいにあんぐりと口を開いた。
それに伴い、掴まえていた腕からも力が抜ける。
困惑したまま、訊ねた。
「えっとぉ………………そんだけ?」
「そんだけ!? そんだけっちゅったかお主!?」
ガロウは飛び掛かりそうな勢いでシキに詰め寄る。
シキは迷惑そうに押し退けて言った。
「だってあまりにも今さら過ぎるっつーか、オレが強いのなんて、ずっと前から分かりきってた事でしょうに」
「たわけぃ! そりゃただ強いだけならそうじゃよ!? むしろ流派の広告塔としてこきつかって帝の覚えは上々! 入門料ウハウハで道場も安泰じゃわい!」
「うっわ! このジジイうっわ!」
「だけどお前ちょっと強くなりすぎじゃない!? 妖魔討伐だって、ちょっと弟子に苦戦させてからかっこよくワシ、登場! みたいな事とかやってみたいのに、お前がいるとさっさと敵倒しちゃってワシの見せ場ないじゃん!? 空気読めなさすぎじゃよ!! しまいにゃ、こないだの御前試合の時――」
「空気って……え? もしかして……」
シキはようやく一個、思い当たる事があった。
「この前の御前試合で師匠のこと、ぐぅの音もでないほど完膚無きまでボッコボコにしちゃったからですか?」
「それしかないじゃろうがあああああ!!」
ガロウは滂沱の涙を流した。
「敬愛する帝の! まさに目のっ前で! 心血注いで育てた愛弟子に! 情け容赦なくタコ殴りにされる老いぼれの気持ちを! 考えた事があるかあああ!!? うわあああああああああん!!」
ついには泣きながら床を転げ回った。
シキは(うわあ……)とドン引きしていた。
髪も髭も白髪まみれなジジイがそんな事やっても、ひたすら気色悪いだけである。
「でもあん時、仕合が終わった後でも帝の前で毅然としていたじゃないですか。とても敗者とは思えない、鬼気迫る表情で。ありゃなんだったんです?」
「お主の打突に腹えぐり抜かれてゲロ――いやさ。血反吐ぶちまけそうなの必死こいて我慢しとっただけじゃ!!」
「えええええ……」
知りたくもなかった事実が明らかになっていく。
シキは半目で、ついさっきまで尊敬すべき己の師匠だったはずのジジイを見やった。
「ちゅーわけでお主破門。理由は――強くなりすぎてワシが目立てないから!!」
「自分勝手にもほどがある!?」
「ほいこれ。海向こうの大陸への渡航許可証と、船賃の入った袋」
「用意がいいなあ!? つまり道場どころか、国から出てけってことか!!?」
「ほれほれぇ、ありがたく受け取ってさっさと出てかんかーい」
実にうざい顔で、ガロウは布袋片手にシキへ迫る。
――ぶち。
「こんのクソジジイがああああああっっ!!!」
「へぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっ!?!?」
あまりのうざさに、ついにシキはぶち切れた。切れて、目の前の顔を思い切りぶん殴った。
殴られた方は軽々と吹っ飛び、木造の壁をぶち破りながら外へ飛び出し、庭の池に頭から突っ込んだ。
まるで砲弾の直撃でも受けた様な惨状を撒き散らし、老人はぴくぴくと痙攣したまま動かない。
そのまま昇天してしまってもおかしくない破壊力だったが……
「師匠に向かって何すんじゃい!? この馬鹿弟子があっ!」
全身に草や小魚を貼り付けて、ガロウは跳ね起きた。その気迫のみで池の水は根こそぎ吹っ飛び、ただの更地と化した。
シキも応じて怒気を発する。
「うっせぇ! 大人しく聞いてりゃ調子に乗りやがってこんクソ師匠が! はもんだぁ~? 上等だよ。こんな道場こっちから出てってやらあっ! ただしその前に――」
言葉を切ったシキは、ゴキゴキと拳を鳴らしながら前に出た。
「御自慢の白髭……てめぇの血で真っ赤に染め上げてからなあ!!」
「やれるもんならやってみぃっ! 伸びに伸び上がったその鼻っ柱! バキバキにへし折ったるわあ!!」
一瞬のにらみ合いの後――
「くたばりやがれ老害がああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「土の味を噛みしめさせてやるわ青二才いいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
――こうして。
壮絶な師弟ゲンカの果てに、シキは道場を追い出される事になったのだった。
☆ ☆ ☆
「あいたたた・・・・・・ぬううあんのバカ弟子めぇ、最後の最後まで情け容赦なく殴り掛かりおってからに。まったく!」
シキが出て行った後、ガロウが自室で傷を手当していると、
「彼は行きましたか」
夜風のごとく涼やかな声が、襖の向こうからするりと流れてきた。
聞き覚えのある声に、手を止めて応じる。
「サヤか」
「はい。入ってもよろしいですか?」
「構わん」
「失礼します」
襖が開かれ、声の主が楚々として入ってくる。
――サヤ=ホウテン。シキと同い年である、十四歳の少女。
ガロウの実の孫娘にして、ホウテン流における位はシキに次ぐ『天』の第二席を有する実力者だ。
そんな少女は艶やかな黒髪を風に靡かせて、もはや原型も留めていない、自宅の庭の惨状に目をやった。
「これはまた……派手にやらかしたものですね」
竜巻が通った直後です。と言われても信じてしまいそうなほどのめちゃくちゃな壊滅具合いだったが、感じるのは家を壊された憤りではなかった。
「この道場も、寂しくなりますね……」
仮にもこの国で『千年に一人の大拳士』と謳われるガロウを相手にこの様な馬鹿騒ぎを起こすのは、後にも先にも彼だけだろう。
ガロウはふんっと鼻を鳴らした。
「クソ生意気な弟子が一人いなくなっただけじゃ。むしろせいせいするわい」
それを聞いたサヤは、くすりと笑う。
「またそのような強がりを……何だかんだと言いながらその実、彼の事を誰よりも評価していたのは他の誰でもない、お祖父様ご自身でしょうに」
「…………ふん」
ガロウは、叱られた子供の様にふて腐れた顔で、そっぽを向いた。
サヤは知っている。
祖父がこの様な態度を見せるのは、真に心を許している者の前だけなのだと。
「シキにとってこの道場――いえ。この大和という島国はあまりにも狭すぎる。だからこそわざと愛想を尽かされる態度を取って、広大な大陸へ向かう様に仕向けた……違いますか?」
「……はてさて、何の話か分からんのう。ワシもう耄碌ジジイじゃし」
ガロウはサヤに背中を向け、ゴロンと横になった。まるでもう話すつもりはないと言わんばかり。
ならば最後に、一つだけ。
「大丈夫です。シキはお調子者ですが、決して愚か者ではありません。きっと全て察した上で、ここを出ていったのだと思います。お祖父様の事を、嫌ってなどいませんよ」
「……………………」
やはり返事はない。
だが言葉が届いている事は、身じろぎの気配から分かる。
(シキ……どうか、健勝で)
サヤ自身にも、思うところはある。しかし、それを言っても詮無いことだ。
自分にできる事は一つ。
いつか彼が帰ってきた時の為に、この場所をーー流派を。護り続けるのみ。
――空を見上げる。
遠くの山々から覗く暁が、周囲を赤く照らしていた。
☆ ☆ ☆
「イッツツツ……くっそー、あのジジイやっぱ実力隠してやがったな。ここぞとばかりに見たことねぇ技ばっか使いやがって!」
シキは港街までの街道を歩きながら、さきの師弟ゲンカを回想していた。
まったく、思い出しただけでもぞっとする。
ふざけたノリで始まったわりに、妖魔討伐時以上の鬼の形相で打ち込んでくる師の気迫。あまりの落差に訝しみ、僅かに動きが鈍った隙にうっかり何発かもらってしまった。
まだヒリヒリと痺れる箇所を、手でさする。シキだからこそこの程度で済んでいるが、常人ならばかすっただけで消し飛んでいただろう破壊力。
「ったく、なんだってんだよ一体……」
モヤモヤが収まらないのはケガのせいでも、破門にされたせいでもない。
破門にされた本当の理由を教えてもらえなかったから――である。
「あんなヘッタクソな演技、まさか見抜けないとでも思ってんのかねー?」
確かに師匠はふざけたところが少し・・・・・・いや、かなりあるが、いくらなんでも破門の理由にあれはない。武道に関しては非常に真摯な人物だ。
なにより極め付けは、飛び出す直前、背中に投げ付けられた台詞。
『今日よりホウテン流を名乗るでないぞ!! よいな!!?』
「『流派を捨てろ』……そんでこの、『渡航許可証』……」
本当に、あらかじめ用意されていたかの様に、おあつらえ向きなこの状況。
ここまでお膳立てされれば、バカでも分かる。
「『ホウテン』の名に頼らず、大陸で一華咲かせてみろ――ってか?」
知らず、口の端がつり上がっていた。
ーーこの国を飛び出し、世界を見て回りたい。
その願望は、確かに胸の奥底にはずっとあった。しかし同時に、一生叶う事はないのだろうと諦めていた夢でもある。
この国にとっての自分の立ち位置というのは十分理解していたし、それが皆の為になるのであれば、それで良いと思っていた。
だが、それを良しとしない……しないでいてくれる人達がいた。
「ははっ」
いったいいつから気付かれていたのか。もとより隠し事が得意な性分でもなし、とっくの昔にばれていたとしても不思議ではないが。
特にあの、人の気持ちにやたらと聡い、幼馴染みの少女には。
「よぉし、やったろーじゃねぇか!!」
すぅ、とイライラは消え去り、代わりにふつふつと熱い気持ちが沸き立ってきた。
バチンッと拳を打ち鳴らして気合いを入れる。
これで期待に応えなければ、漢が廃るというもの。そして気持ちが前を向けば、見えてくる景色もまた変わる。
ーー己の知らない猛者。
ーー己の知らない術技。
ーー己の知らない武具。
それら以外にもたくさんの未知が、この海の向こうで待っているだろう。
だから。
「…………」
最後に一度だけ、道場の方角を振り返った。
すぅっと息を吸い――
「今までありがとうございましたああああああああああぁぁぁ!!!」
これまでの人生で一番深々と、頭を下げる。
そしてふたたび前を向いた少年の目は、しっかりと先を見据えていた。
「うっし! んじゃあ行くか! 西大陸っ!」
ーー数日後、極東の小さな島国『大和』から、一隻の船が出る。
今はまだ、世界では存在すら知られていない、一人の少年を乗せて。