いけすかない
ただいまの時刻、夜の九時。
出張先でトラブルに見舞われた僕は、通り慣れない高速道路上で…ずいぶん苛立ちながらハンドルを握っている。
長引いてしまった仕事にそこそこ腹を立てながらも、ようやく家に帰れるとホッとしていたのもつかの間。
時間短縮を狙って乗った高速道路で工事渋滞が発生しており、一般道など比べ物にならないほどの速度で前進する羽目になりそうなのである。
「くそ…こんなんじゃ日が変わっちまう。」
道路情報板には、「この先6キロ渋滞」と表示されている。
まだ普通に90キロ出せてはいるが…もうしばらくすれば、渋滞に巻き込まれることは必至、日が変わる前に自宅に到着する可能性は低そうだ。
テンション上げていかないと、眠気が出そうな時間帯。
…居眠り運転なんてするわけにはいかないんだよ。
僕は、ダッシュボードの上のタブレットの電源を入れた。
なんか気の紛れるような、それでいてテンションの上がるような…でも集中しなくていい流し聞き出来るような何か…そうだ、動画でも流すか。
画面注視しなければ大丈夫なはず、音だけ聞いてりゃいいんだ。
動画サイトのお気に入り再生リストでも流しておこう。
軽快な音楽が流れる中、ハンドルを握る僕の人差し指は、コツコツと音をたてて…何度も苛立ちを叩きつけて、いる。
トンネルに入ったあたりから、、いよいよスピードが出なくなってきた。列を伸ばし始めた渋滞の最後尾が見える。
…もうそろそろ、止まってしまうかもしれないな。
僕は、ハザードランプを点滅させた。
渋滞してますよ、ここから渋滞にはまりますよ、この車が渋滞の最後尾ですよってね、ちゃんと後続車に知らせないとな。
車が止まった時、タブレットから流れる音楽も、止まった。
「ああ…トンネルだから電波が届かないのか。」
タブレットの画面を見ると、人気の歌手がエモイワレヌ表情のまま…ぴたりと動きをとめている。
…かっこいい楽曲なのに、こんなにも間抜けな表情をさらけ出してんだな。
放送事故クラスの不細工さだ、いいのか、これ。
…動画が止まるなんて予想して編集してないもんなあ、普通。
思わず噴き出した時、後ろについた車がハザードランプを点滅させた。
渋滞の最後尾の役目を後続車に託し終わった僕はハザードランプを消し、前の車との車間距離を確認しつつため息をついた。
「まだトンネル出口は遠いんだぞ…この腹立たしい画像のまま我慢しろと?」
せめてこう、奇麗な風景とかかっこいい画像だったらまだ救われたんじゃあるまいか。
なんでこの間抜け面と共に長い渋滞を乗り越えなければならないんだ。
動かぬ画像を時折睨み付けながら、動かぬ前の車の尻を見つめ…ぼんやり渋滞の先に目を向ける。
ああ、赤いランプが、目に染みる…。
目に、染みる…ん?
なんか、後ろの方から、派手なライトがすごいスピードで近づいてきているような…。
ちょっと待て!!
あれ、居眠り運転なんじゃ?!
そんなことを思った瞬間、とてつもない衝撃音が響き、僕は、衝撃を受けてっ…!!!
最後に、僕が見たのは、タブレットに映る、腹立たしい、歌手の…間抜けな、いけすかない表情を、した、顔…。
「あっ、気が付きましたね、気分はいかがです。」
「…はあ。」
どうやら、僕は助かったらしい。
車から救出されている途中で、気が付いた。
エアバッグがきっちり作動し、衝撃で気を失ってしまったものの、僕自体は軽症で済んだようだ。
「ガラスの破片で出血してるみたいなんで、このまま病院に行きますね。どこか他に痛いところとかあります?」
「どうだろう、特に気にはならないけど、頭打ってたりしたら怖いですね。」
気を失うほどの衝撃を受けたんだ、寝て起きることなくぽっくりとか、ないとは言い切れない。
「このまま検査入院ですね、荷物とかどうします。」
「ええと、カバンが助手席にあって、あとは…タブレットと車の車検証とETCカードくらいですかね。」
救急隊員の人が、僕の荷物を手渡してくれた。
…タブレットには、あの忌まわしい歌手の顔が映っている。
僕を乗せた救急車が、トンネル内を走行し始めた。
すいすい進む救急車は、やがて電波を受信できるようになり…忌々しい歌手は、ずいぶん爽やかな表情で歌を歌い始めた。
「その曲、いいですよねえ!」
「…はは、そうですね。」
怪我人の心配な気持ちを吹き飛ばすためなのか、救助隊員はやけにフレンドリーな表情をこちらに向ける。
…笑顔ってのはいいねえ、イケメン歌手のイケメンではない表情を静止画の中に見た僕は、しみじみと思うのさ。
…動く表情ってのは、実に、いい。
かっこよすぎる歌手の、かっこ悪すぎる一瞬を映し出したあの画面。
…ああ、よかった。
この忌々しい顔が、最後に見た風景にならなくて。
タブレットの電源を切ろうと思い、指を伸ばした僕は…その指先が震えていることに、気が付いた。
…動き出して、よかった。
…動けて、よかった。
電源を切った僕は、そっと…タブレットをかばんにしまい込んだ。