絶対値対相対値
セットした目覚ましより5分も早く起きた。
僕の朝のスタートにしては大金星だが、今日に限っては逆に縁起が悪い気がした。
スマホを見るとラインの通知が10件以上溜まっている。どれも母親からの心配や小言だった。
僕が、転校し、一人暮らしを始めるのに最後まで反対していた小うるさい母親は離れてからも変わらないらしい。
僕は短く、「大丈夫、問題ない」とだけ返事する。
制服に着替え、鏡の前で何度も入念に寝癖がないか確認する。
今日から転入する、青海第一高校は都内と違いバイク通学が認められていることが唯一の長所だ。
アパートから学校にはバイクで10分も掛からず着いた。駐輪場にバイクを止め職員室に向かう。
職員室には緑色のダサいジャージを着た如何にも体育教師といった中年男性が一人だけいるだけで、他の教職員の姿は見えない。
僕が入って来たことに気がついていないのか興味がないのか、机に向かうその中年教師に認識してもらうためわざとらしい咳払いをする。
「あの、すみません。今日転入予定の一ノ瀬です。」
中年教師はビクッと肩を震わせこちらに視線を向ける。
「転入生…。あぁ、聞いてるよ。ちょっと待ってろ」
中年教師は、ボコボコに凹んだデスクワゴンを蹴っることで得た推力で、隣のデスクに転がっていく。
雑な手つきで几帳面に並べられたデスクラックから書類をかき分け目当てのものを引っ張り出す。
「あー、一ノ瀬凜藤。2年B組だな。俺は隣の2年C組担任で体育担当の羽田だ。」
「よろしくお願いします」
「それにしても早いな、他の先生達も後10分もすれば来ると思うが…。」
羽田先生は自分以外誰もいない職員室を見渡しなが、何か気まづそうに顔をしかめる。
「すみません、初日の登校で緊張してつい…」
半分嘘だった。
「まぁ、遅刻するより断然いいんだがな。2-Bは丁度この校舎の3階だ。すまんが俺は今手を離せなくてな…」
野太い腕で頭を掻き、眉間に皺を寄せる顔は情けない獅子舞みたいで思わず笑いそうになったので下唇を噛む。
「大丈夫です。自分で行けると思います。」
「そうか、すまんな。もし分からなかったら他の先生が来るまでその辺で待っててくれ。」
はい。と言う返事が声になっていたかは分からないけど、軽く頭を下げて早足で職員室を出る。もう少しで笑ってしまうところだった。
三階に上がると教室は職員室同様まだシーンとしている。燻んだ木と粉っぽいチョークの匂い。窓から差し込む朝日がメラミン化粧された妙に光沢のある机に反射して光が溢れる教室。早起きは早寝より嫌いだけど、人は少なく、静かな校舎にグラウンドの掛け声だけが響くこの時間は嫌いじゃない。
田舎の学校だけにそう広くない校舎なので迷わずすぐ2-Bの教室までたどり着いた。廊下から見える教室の時計は午前7時45分過ぎを指している。2-Bには机に突っ伏した男子が一人とノートを開く女子の二人がすでにいた。
教室に入ろうとしてふと気づく、自分の席がどこかなんて知らないじゃないか…。
遅刻して悪目立ちしたくなくて早く来たものの、ここで適当な席に座っても間違った席に座れば確実に後から来た本来の席の持ち主とエンカウントしてしまう!
空席は22席。22分の1のギャンブルをする度胸など更々ない。
諦めてSHRまで校舎をぶらぶらすることにする。
どうやら校舎は3練あり、すべて二階の渡り廊下で繋がってるようだ。僕の教室や職員室があるのが一番南。そして今いる一番北側は他の校舎の半分くらいの大きさで、ただでさえボロい校舎をさらに汚してお化け屋敷みたいにした体裁をしている。
一段一段駄々をこねる子供見たに鳴く階段を登り、3階からは4階に続かずちょっとしたスペースと屋上への扉があるだけだった。南京錠のされた扉は無理やり引っ張れば僕の力でも壊れそうなくらい傷んだ木で寂しそうにギリギリ扉を形どっている感じだ。
一番最初の段に腰をかけて、身体を申し訳程度のスペースに掘り出してポケットから取り出したイヤホンをスマホに差し込む。流れてくるメロディとは裏腹で億劫な気持で膨らまして腹気球で空が飛べそうだ。
死んだ祖父から父が引き継いだアパートを都内から遠いこの町に、定期的に管理のため足を運ぶことが億劫だった父が、近所の知り合いに管理をお願いしていたのだが、その知り合いも体調を崩してしまったため元々早く実家を出たかった僕がアパートの管理(といっても掃除や住人のクレームを聞いたりぐらいだが。)を条件に一人暮らしの許可を得たのだが
そこまでは良かったのだけど、当然そうなれば前通っていた学校への通学は難しいし、環境が変われば人間関係も構築し直さなければいけないことをその時浮き足立つ僕はすっかり頭の中になかった。
まぁ、前の学校でも対した人間関係を築いてたわけじゃないもだけど。それでも目立たず、浮かず、当たり障りのないポジションを作ることはできていたのだ。それだって僕みたいな人種には簡単なことじゃない。それを一から作り直さなきゃいけないんだから憂鬱にもなる。
僕だって去年の今頃はBJDの赤いタンバリンみたいな恋や希望で溢れていたけど現実はそんなに鮮やかじゃないことはすぐに受け入れた。
グレッチが弾く心地い鼓動が、鼓膜をを揺らし、脳みそに伝って、どっかにあるかもしれない魂だか心だかを今胸を裂けば本当に、手に取ることができるんじゃないだろうかそんな風に思えた。
そんなセンチメンタルな気分は無粋にも強引に僕の耳からイヤホンと同時に引っこ抜かれた。
「バカとなんとかは、高いところが好きっていいますけど君はどっちですか?」
さっきまで空と僕を隔てる薄汚い天井しか無かったはずの場所には、サラサラと風で揺れる麦畑みたいに綺麗なショートヘアーの少女がいた。
「君は・・・一年生ですか?ここ園芸部いがい立ち入り禁止ですよ。」
「できるなら、なんとか、の方に成れたら良いんだけどね。」
寝そべったまま肩を窄めてみると、目つきが少しキツめの彼女は屈託の無い笑みで手を差し伸べてくれる。まるで神ケレスの様だな、なんて考えながらその手を取る。
「それで?自称バカさんは煙の王国からこられたんですか?」
起き上がった僕のお腹に問い掛ける様な形になった彼女は二段ほど下に居るとはいえ、並んでも頭1つ半ほど小柄だろう。
「いや、その、どうだろ。もし僕が、煙国出身なら国を追放された大バカものなんだろうね。」
彼女の笑顔に釣られて僕も下手くそな引き攣った笑顔を浮かべる。
「ふふっ...なんですかそれ」
精一杯絞り出したジョークは彼女のお眼鏡に叶った様でより一層笑顔になる。
彼女の笑みはまるでマリファナだ。
彼女は僕の肩と頭を慣れべてからそのまま横を通り過ぎる。
太陽の香りがした。
さっきまで外とここを遮っていた古い扉の施錠を外し、扉を開けた彼女が此方を振り返る。
大袈裟に片手を広げ片手はスカートを少しつまみ上げる。広げた手を腹部にしまい、腰を折りたたむ。
そこで、初めて彼女がお辞儀している事に気づく。
「陛下、どうぞお入り下さい。スモーク城と比べれば私のガーデン城は狭いでしょうが、案内させて頂きますわ」
演技がかった声で彼女は屋上に通してくれる。
足首ほどの段差があるだけでフェンスのない屋上には、給水塔と6畳ほどの花壇、いくつかの植木に屋上の半分を占めるビニールハウスがあった。
花壇には花の名前なんて詳しくない僕には分からないけど色取り取りの花が咲いていた。まさしく彼女にとっての城なんだろうきっと。
花に興味がない僕は彼女の顔を盗み見たいと思っている事を悟られない為に視線を空にやった。
「ここに来ても上を見上げるなんて、よっぽど高いとこが好きなんですね。」
別にそんなことはなかったのだけど、苦笑いしながら頷いてみた。
彼女はまた楽しそうに笑って、今度は僕の手を取って引っ張る。
僕は、女の子に手を触れられた事に緊張してなすがまま彼女の手を引く方へついて行く。
「陛下、ここがガーデン城で一番高い塔になります。お気に召しましたか?」
給水塔まで僕を連れてきた彼女は満足そうな顔をしている。
前世が本当に煙だったらなって思うよ、そしたら君の血液に溶けて一部になれるのに。
「なにそれ、可笑しい。口説いてるんですか?ほんと変な人ですね。」
しまった、思ったことを口に出してしまった。絶対に引かれた、笑ってるけど完全に今のは気持ち悪い発言だ。
「ごめん、今のは無し!ほんと、煙になって消えたいよ....」
熱い顔を手で仰ぎながら取り繕うとする僕を見て、彼女はお腹を抱えながら笑う。
「うか。つゆり うか。あなたは?」
一頻り笑った彼女は息苦しそうに吐く。
「いちのせ りんどう。今日転校してきたんだ。」
「こんな時期に転校だなんて珍しいですね。第一王子ですか?」
「そろそろ、それやめてよ。二年だよ。」
栗花落はがツマラなさそうに口を尖らせる。
「そうなんですね。じゃぁ、同学年なんですね、よろしくお願いします一ノ瀬くん。」
彼女は軽やかな足取りで給水塔から飛び降りる、まるで猫みたいだ。
「なにしてるんですか?SHR遅れますよ。ちゃんと施錠してきてくださいね。」
栗落花が言うと同時にチャイムが鳴り、なり終わる頃には栗落花は走り去っていた。
ガーデン城に1人取り残された僕は、遅刻と悪目立ちが確定し頭を抱えるしか無かった。
死にたい。
案の定教室に入ると、沢山の痛い視線を受けることになった。
手短に自己紹介をして、担任に指示された席に座る。教室を見渡しても栗落花の姿は無い。
さっき校舎を見て回ったとき2-からはじまる教室は二つしかなかったから、隣のクラスだろう。
まだ教科書を貰っていなかった僕は、隣りの席の…なんちゃら君と一緒に見せてもらうことで一日を乗り越えた。
最後の授業が終わってすぐ、隣りのクラスを覗いてみたが栗落花の姿は見当たらなかった。旧校舎の屋上にも行って見たけど、朝同様寂しげな扉は施錠されたままだった。なんとなく扉よりも僕の方が開いていて欲しかったような気がして悔しい。僕はなにを期待してたんだろう。変わらず僕の日常は退屈と憂鬱が蔓延している。
纏わりつく何かを振り払いたくて、バイクのエンジンを入れ少し空吹かし気味で校門を出る。
何となく気が赴くまま走らせていたら海辺に出たのでそのまま人魚岬まで行くことにした。
港町から30キロほど伸びた人魚岬はこの街の唯一の名所みたいな物で、昔祖父に連れられていったことがある。
一時間もせずついた人魚岬には相変わらずやたらカラフルな灯台と下半身がない人魚の銅像があった。
昔から疑問だったのだけど、どうして大した人魚の逸話もなのに人魚岬という名称で、気味が悪い上半身だけの銅像を置いてるんだろう?唯一の観光地にしてはセンスがあまりにも壊滅的だ。
岬は風が強くて、暖かくなって来たとは言え長居すると身体が冷えてくる。
寒いのは退屈なのと同じくらい嫌いだ。そそくさ退散することにしよう。
家に帰る前に、港沿いのガソリンスタンドで給油することにした。
ガソリンを入れる時の給油口から漏れる夏に雨が降る前の匂いを油と混ぜて凝縮したみたいな匂いが嫌いじゃなかった。
「よー、一ノ瀬。何してんだよ。」
いつの間にか後ろからスタンドに入ろうとする軽トラから名前を呼ばれ、思わず肩が震える。
振り返るも、沈みかけの夕日が最後の力を振り絞って声の主を照らしている。自然と眉間にしわがより怪訝な顔で目を凝らすと、何となく見覚えのある男だ。
「そんな怖顔すんなよ、転校生。俺だよ、俺。」
やっとスタンドの陰に入って確認できた男は、なんちゃら君だった
「あぁ・・・。偶然だね。」
名前が全く思い出せないのを悟られないように咄嗟に苦笑いを浮かべ返したが、今度は逆に向こうが怪訝な顔でこっちを見つめ微妙な間ができる。
「佐藤君・・・。」
見つめられた間に耐えれず、一か八かで掠れた声で呼んでみる。
「ぶはっ。なんだよそのテストで分かんないから一番無難そうな回答にしましたーって感じ。」
佐藤君(仮)はわざとらしく吹き出してから、呆れてみせる。
「村田だよ、村田宗一。一日教科書見せてやったのに忘れるとか薄情なやつ。」
村田か・・・「佐藤は以外と惜しかった。なんて思ってねーだろうな。」
一瞬また思ったことが口に出たかとギクッとしたが、村田の意地の悪そうな笑みを見て逆に安心した。
「まさか。ほら、今日は初日で新しいことが多かったからさ。ごめんね。」
「ふーん。まぁ別にいいんだけどさ。一ノ瀬今時間あんの?」
「急ぎの用事はないけど・・・。」
スタンドの脇に軽トラを停めて、自販機に寄ってから村田は僕の方に戻ってくる。
「ほらっ、ちょっと付き合えよ。」
宙に浮かんだ缶コーヒーが丁度僕の胸の中に引き寄せられるよに落ちてくる。まるで地球になった気分だ。
村田が道路を挟んで向かいのテトラポットに座り早く来いよと、手を振っていので胸の中で缶コーヒーを持て余すの嫌なので隣まで駆け寄った。
「まぁ、座れよ。」
「あぁ、うん。あそこにバイクとか置きっぱで大丈夫かな?」
お世辞でも広いと言えない給油機が二つしかないセルフスタンドにバイク一台車一台、止まっていればすでに定員オーバーだ。
「町外れのこのスタンド、この時間に使う奴なんてそうそういねーよ。」
早く座れよ、と言わんばかりに隣を叩く村田に促されがされるまま従う。
「あ、そうそう。一応俺が車乗ってたの内緒な。まぁ、町の連中も学校も半ば暗黙の了解なんだけどな。」
そうか、余りにも村田が自然に乗っていたものだから、疑問にすら思わなかったが自動車免許を取るには少なくとも後一年いるはずだ。
「もちろん。そもそも話す相手も居ないしね。」
少し自虐めいたみたいになってしまった。
「村田は、その…不良なの?」
キョトン、とした村田がまた少しわざとらしく、ぶはっと吹き出す。
「違う、違う。去年さ、漁師のじっちゃんが腰悪くしちまって、親父のが後継いだんだけどさいきなり一人じゃどうにもならないし手伝ってんだよ。こんな田舎町で漁師業なんてすぐ働き手なんて見つかんないだろ?それに町の人間も交番のおっさんも昔からの顔なじみで事情も知ってるから暗黙の了解でお咎め無しなんだよ。そのせいで学校終わりに手伝いさせられる身としてはたまったもんじゃねぇけどな」
悪態をつく村田はそれでもどことなく誇らしいような顔をしていた。
きっとそこにはやりがいやら誇りみたいなのがあるのだろう。どちらも鞄の中にも机の上でも僕は見かけていないものだ。
「そういえばさ、一ノ瀬はどこに行く所だったんだ?」
「特に当てもなく流してて、帰るところだったよ」
転校初日に町唯一の観光スポットへ行っていたことがミーハーぽくって、何となく人魚岬へ行っていたことは伏せた。
「ふーん。一ノ瀬の家ってどのへん?」
「南側の山の麓のあたりだよ」
「うげぇ、南側の山つーと、魔女公園の近くじゃんか。」
「魔女公園?」
村田は飲めないコーヒーを無理やり飲んだみたいな顔をしながら唾を呑み、少し芝居がっかた声で話し出す。
「南側の山、おかめ山って言うんだけどよ。あそこの山頂にある公園には稀に魔女が出るんだ。んで、魔女に会った人間は魔女屋敷に連れ去られて魂を抜かれるんだとよ」
なんというかあまりにもありきたりな都市伝説で反応に困る。というのが顔に出てしまっていたのか村田は少し前のめりになって捲し立てる。
「ちんけな都市伝説とかじゃなくてさ、まじで去年も三人あの山で行方不明になってし、今年も・・・。とにかくさ、おかめ山には近づくなよ」