私だけが消えた世界
目覚めたら見慣れた天井があった。
続けて質素ともいえるくらい物がない部屋が視界に入る。
ずいぶん前に推しだったキャラのポスターだけに色がついている。あんなにくすんでいたっけ? もう5年前だからなあ、あのゲーム終わったの。
ん、ゲーム?
ポスター?
起き上がってぐるりと見回す。
そこは私が以前(?)住んでいたアパートだった。
あら、夢だったのね。
そうだよねえ、異世界転移なんて、どこの漫画よね。あ、マンガじゃなくてラノベか。どっちでもいいや。
過ぎてしまえばあの世界はいいところだった。少しの間だったけど楽しかったわ。いい夢見たぜ!みたいな。
うん、と伸びて起き上がる。
いきなりガチャリと扉が開いた。
うわあ、朝から不法侵入!?
こういう時ってビックリするほど体が動かないんだなと実感していると、カバサンマークの引っ越し屋と書かれたつなぎを着た男たちが三人と姪っ子の佳乃ちゃんが入ってきた。ちなみに佳乃ちゃんは私の半分以下の18歳で来年の春にここから大学に通うことになってる。ただ、今は学内推薦で合格が決まったってだけでまだ高校生だし、なにより長野に住んでいる。こんな時間にここにいるのはおかしい。
まあ、佳乃ちゃんには鍵を渡しているのでここに入れたのはわかる。
でもなんで引っ越し屋と一緒?
「これ全部処分でいいんすか?」
「はい、お願いします」
えええ???
よ、佳乃ちゃん!?
驚きのあまり佳乃ちゃんに走り寄って肩つか、もうとした。
うん、つかもうとしたのよ。
ただ、私の手はするっと佳乃ちゃんを通り過ぎた。そう、それこそアニメみたいにするっと。
なんというか、立体映像を通り抜けるみたいな感じ。
その間に佳乃ちゃんは指示を終え、小さなダイニングテーブルの椅子に座った。二人しか座れないけど、このテーブルは初任給で買った愛着がある品物だ。
「明ちゃんのバカ」
そこにひじを置き、手で顔を覆って佳乃ちゃんが呟く。その声は涙で震えていた。
「春になったらここに一緒に住もうって言ってくれたのに。バカぁ……」
ふと見ると、佳乃ちゃんの横に引っ越し屋が広げたらしき新聞を見つけた。
そこに自分の顔が載っているのを見つけた瞬間、景色が変わった。
夜の公園は人通りが少ないけど、それでもポチポチとすれ違う人はいる。私が住んでいるアパートのある区画と駅までの近道で、ほぼ毎日通っているから気にもしてなかった。
明かりは少ないし広いしで危険だなとは思ってたけど、ここを通らないとぐるっと公園を回れないといけないので距離が倍になってしまうのよね。
そんなわけで、今日もいつものように歩いていると、後ろから人の気配がした。
私とそう変わらない背丈の、多分若い男だ。
その人は私をのぞき込んだら舌打ちして抜かしていった。舌打ちすんな!イラっとした。前を歩いていたのがおばちゃんだったのがそんなに嫌だったんかい!
そう思ってたら、先のほうで悲鳴が聞こえた。
思わず走って見に行くと、先ほどの男が何かを振り上げるように腕をあげた。
その向かいには女子高生がへたり込んでいる。
「お前のせいで、俺は、俺は!!」
「ちょ、やだ!冗談でしょ!!?」
咄嗟に体が動いた。
持っていたカバンを男にぶん投げる。ガツンと重たい音がした。そりゃそうだ、ノートパソコンが丸々入ってるんだから。ああ、パソコン、どうか無事でいて。あんたが死んだら明日から大変……。
「な、なにするんだ!?」
「それはこっちのセリフだああ!」
私は男の股間を思い切り蹴り上げ、女子高生の腕を引っ張った。
「スマホ持ってる?」
「は、はい!」
「したらはやく110して!」
「はいっ!!」
女子高生はポケットから取り出したスマホで通報した。
「た、助けて!!」
うん、混乱してるね。仕方ないけどちゃんと場所言おうね。
転がって悶絶している男の側にはやっぱりというか、包丁が落ちている。これを取り上げないと危ないよね、と近づいたら、足をつかまれた。
そのまま引きずられ、倒れる。
よく見たら男は小太りな男子高生だった。見るからに運動不足なのに力は強い。私のがぽっちゃりだけど、体力的には不利だな。若さが眩しい、というか苦しい。
「余計なことを……」
男子高生は勢いのまま馬乗りになって首を絞めてくる。女子高生はスマホ片手に固まったままだ。悲鳴くらい上げてよと思うけど、痛いのと苦しいのとでそれどころじゃない。
必死になって抵抗していたら遠くでサイレンの音が聞こえた。
ここから先は何もわからない。
目の前が暗くなって、暗く、なって……。
なにも苦しくなくなった。
「なるほど、私はこうやって死んだのね」
動かなくなった自分、上に乗っている男子高生を無理やり剥がすお巡りさん、心臓マッサージをするお巡りさんと、スマホ片手に硬直する女子高生。
そんなのを上から見て、ため息をつく。
なんというか、ほんと、後先考えない人生だったなあ。
人一人救えたからいいかと思っていたら、男子高生の絶叫が聞こえた。
「お前に散々貢がされて捨てられた俺の気持ちがわかるかああ!!」
それに対する女子高生の悲鳴も聞こえた。
「あんたが勝手にやったんでしょ!このあたしが一月と言えあんたみたいなのと付き合ってあげたんだから光栄に思いなさいよ!」
……、うん、失敗だったかもしれない。
二人の口喧嘩をなんとも言えない顔で止めているお巡りさんと、そんなことに巻き込まれて死んだ私を一生懸命蘇生しようとしているお巡りさんを交互に眺めながら、私は大人って大変ねとしみじみした。
それからまた場面が変わって、私は祭壇の前に立っていた。
「なぜこの写真を選んだし……」
ものすごいにやけた顔でピースしている私。これって確か去年の社員旅行のときのだ。しこたま飲んで潰れた社長の介抱で終わった宴会だけが記憶に残っている。なんせ社長の酒臭さだけでくらくらになったんだからね。
祭壇の近くでは姉夫婦と社長がもめていた。
「だから、社内葬にしますから」
「そんなわけにはいきません!明は一人しかいない妹ですから」
「榊さんは通勤途中で不幸な目に遭いました。こちらの責任です」
「いいえ!夜中にあんなところを歩いていた妹が悪いんです!」
「いいえ!榊さんは悪くない、夜中まで働かせていた私が悪いんです!」
うん、姉、正しい。
そして社長、実は残業代目当てでした。ごめんなさい。
話をちょこちょこ聞いていると、どちらかが葬儀代を持つかでもめていることがわかった。どっちも負担したくないので擦り合ってるのかと思ったら逆だったので驚く。
でもなんで社長は社内葬とか言ってるんだろう? 不必要な出費は一円だって嫌って人なのに。
「いいえ、お姉さん。ここはうちに負担させてください」
社長は姉に深く頭を下げた。
「榊さんはとても長く我が社で活躍してくれました。顧客も多く、みなさま突然の訃報に驚いておりましたが、同時に大変悲しんでいます。社員たちも夜中だと言うのに駆けつけてきましたし、新聞やテレビで知ったと電話がひっきりなしです。本当に、我が社にとってなくてはならない人でした。私も娘のように思って、ううっ……」
社長……。
嬉しいけど、娘って。貴方まだ35歳じゃない。去年引退した先代に言われるならともかく。せめて姉か叔母にしようよ……。
「う、ううう。めいぃ……」
姉が再び泣き始めた。
見回すと、あちこちで涙を浮かべた知り合いがいる。葬儀は家族葬的な小さいもののようだけど、思った以上に人がいた。
先ほど心臓マッサージをしてくれていたお巡りさんもいる。助けられずすみませんと泣きそうな顔をしているのは思ったより若い子だった。おばちゃんの太い体を揉ませて悪かったとそんなことを思った自分は意外に平常運転だわ。
その後しばらく、自分の葬儀を眺めることになった私は、大事な人や物すべてと別れたんだと心の底から理解し、恐ろしいほどの悲しみと喪失感に襲われた。
「悲しいよね」
隣で声がする。もちろん私はこの声を知ってた。
「うん」
頷くと、黒さんは何も言わずにいい子いい子と頭を撫でてくれた。
「でもさ、あんたは頑張って生きてたってのはよくわかるよ。ほら、あそこの話聞いてみて」
黒さんが指さした方向には行きつけの居酒屋でしんみりしている同僚と後輩たちの姿があった。
「榊さん、まさか、死んじゃうなんて……」
「まあ、榊さんらしい死に方というか……」
「何にでも前のめりな人だったよねえ……」
お前ら、褒めるかけなすかどっちだ?
「榊さんの仕事、俺にできるかなあ」
「百年かかるな」
「だよなあ」
「顧客の会社、社員全員泣いてたとこもあるらしいよ」
「まじか!まあ、そうだろうなあ」
「みんなの肝っ玉かーさんだったな」
いや、かーさんって……。結婚前の乙女になんてことを。それ、絶対体型だけだろう!!もう少しいいのないのか、姐さんとか。いや、それもアレか。
「俺もさんざんしごかれたけどさ、失敗した時はフォローしてくれたし、顧客のところに一緒に謝りに行ってくれたし、その後回転ずし奢ってくれたし、ありがたかったな」
「確かにあの罵倒はすごかったけど、それだって「あんたのためだ!」って言われたことはないもんな」
「まさか高校生の痴情のもつれで殺されるなんて。信じられない」
浮いた話がない私が色恋で殺されるなんて私も思ってなかったよ。彼氏もいないままもうすぐ40。どこぞの元アイドルじゃないけど誰のものでもありません。未経験だと40で妖精になるんだっけか? あれ、魔法使いだっけか? 賢者か? まあどっちでもいいや。
「寂しいようぅ、榊さーん……」
「戻ってきてよう、榊さん……」
「悲しすぎて心が痛いよう……」
同僚たちはなぜか抱き合って泣きだした。居酒屋中がなんだなんだの目で見始めたが、まったく気にしてない。
それを見ていたら私も悲しくなって、涙があふれた。
「愛されてるねえ。あっちも見て?」
今度は姉夫婦が現れた。
姉は私の棺の前で号泣している佳乃ちゃんを抱きしめている。義兄さんが線香をつけていた。いかつい顔の義兄さん、泣き顔は初めて見たよ。
「俺の弟分を紹介するって言いながら守れなかったああ」
いや、義兄さん、そこか!?
ちなみに義兄さんはその筋の人ではありません。立派な配管工です。念のため。ちなみに名前は眞理夫だよ。初めて聞いた時は笑い過ぎて椅子から落ちて姉にひっぱたかれました。そんな姉の名前は桃子です。娘は佳乃であだ名はヨッシーらしい。うん、ぴったり過ぎる。
「明。あんた、遺言状書いてたんだったね。さっき社長さんから聞いたわ。びっくりした」
遺言状?
あ、あれか、丸川商事の社長に「一緒に書こうよ」と言われてしぶしぶ書いたエンディングノートみたいなやつか。あの社長、どうせ結婚しないでしょとかいって私の手続き代一切合切支払ってくれたんだよね。あとで調べて50万近くかかっていたので慌てて支払いに行ったら「仲間だから気にするな」とか言われたっけ。付き合いで書いたみたいなものだからあとで取消できないかな、とか思っていたけど、まさかそれが役に立ってしまうとは。
「自分の財産全部あたしと佳乃にって、あんた、まったく……。おまけに家財一式も処分してとかいろいろ書いてたわね。ものすごく具体的に。明らしいって笑ったけど、シャレのつもりだったの? まったく面白くないわ」
いや、しゃれたつもりはないんだけどねえ。
ミニマリストってわけじゃないけど、物欲が薄いので(押しがいたときもそんなに押しグッズ買わなかった)物もそんなにないし、普段の服はユニキュロかシバムラか印無しだし。次の世代に使ってほしいってものがなかっただけなんだよ。
「明、家庭を築いて楽しいって言ってた私にいつも「姉かいれば楽しい」って答えてくれたわね。嬉しかったけど、そんなあんたが心配だったわ。まさかこんなことになるとは思わなかったけど、なんとなくあんたらしいとも思った。自分を大事にしなさいっていつも言ってたのに……」
姉はそう言うと顔を覆って泣き始めた。
私はとてもいたたまれなくなった。
自分を大事にしてなかったわけじゃないんだよ。ちゃんとサプリメントとかで養生していたし、体だって、あ、鍛えてないや。ぷにぷにしてた。病気はあんまりしなかったけど。サプリメント万歳。
まあ、自分の好きなことだけして、子孫を残そうとか自分より大事なものを作ろうとかそんなことを思わないで生きてきた結果がこれなんだよね。いわゆる自業自得?
だから、そんなに泣かないでほしい。
というか、私も泣きたい、っーか泣く。
「姉、ごめんようう」
涙が止まらない。こんなに優しくて愛しい家族ともう二度と会えないんだと思ったら、ただただ寂しい。
「こんなにたくさんのものと別れて、ここに来たんだな」
黒さんはそう言って優しく撫でてくれた。
その優しさが嬉しくて、私は涙が枯れそうなほど泣いた。
まだまだ別れが先だと思っていた世界。でもその中には私だけがいない。
そう思うととてもとても悲しくて、涙はどんどん出た。
でも涙は体液、そのうち止まる。
泣きやんだ私を見て、黒さんはうんうんと頷いた。
「でもまあ、考えようによっては、ここで必要とされたから転移、ああ、死んでしまったから転生になるのか、したのかもしれないよ」
「必要?」
「ああ」
黒さんは困った顔をこちらに向けた。
「わしみたいなやさぐれた魂を浄化しするためには、それなりの人生経験や人徳みたいなのかいたんじゃないかと思う」
「またまた」
「いやいや、世辞じゃないからちゃんと聞け」
ぽんぽん、と頭を叩かれる。うん、頭ぽんぽんは悪くない。一度やられてみたかったよ、前世で彼氏に。
「瘴気を払う方法は一つではない。多くは勇者とか神職者が使う破邪魔法のようなもので強制的に吹き飛ばされると聞いた。わしだってそうされるんだろうと思っていたよ。それがまさか愚痴聞いてもらってすっきりして未練がなくなって浄化とかなあ」
「う、うん、確かにいろいろお互い吐いたねえ」
「そういうことだ。つまり、あんたはとてもいい。その力をここで求められたから、死んだあとここに送られた。そういうことだとわしは思う」
とてもいい、ってなんだ? とも思うけど、まあ素直に嬉しい。心にしみる。
「わしはなあ、ここで頑張るって決めたって言ったあんたに期待してる。だからこの領地のために使われてもいいと思っているよ。そう思えたのはあんたのおかげだ。ありがとう」
そかあ……。
「というかな、律儀に酒をふるまってくれるあんたはほんと、いいやつだ。ほんとにありがとう」
そかあ…………。
それだけでうれしくて頑張ろうと思う私はきっと単純。
でもいいか、単純で分かりやすくても、前を向いて生きていこう。
「最後に会いに来てくれて、ありがとう、黒さん」
「いやいや、最後に一緒に飲めて楽しかったよ」
ほわん、と周りが明るくなる。
「さて、おっさんはこれから仕事漬けだ。死なない程度にやってくるか」
そういうと黒さんの姿が薄く薄くなっていき、消えて……。
私の体もすうっと消えた。
読んでいただいてありがとうございます。
少し更新が開きました。この話はもともとなかったのですが、メイが元の世界を吹っ切るきっかけになるようにと思い、入れてみました。
明ちゃん、仕事人間だったのですよ。もとは39歳、ぽっちゃりというかぽってり、正義感溢れるおばちゃんでした。




