07. 船上の景色 2
「セージ様」と軽く声をかけられ、起こされた。
「おはようございます」
目覚めがすっきりしない。
起こしに来たのは指先に光をともすヒーナだった。
だるさが残ってる。脳内に重しがあるようだし頭が回らない。
そう思ってると気分も悪くなってくる。
それと、女性に緊張してしまう。
そうはいっても、いつも世話をしてくれる人だ。
ブルンブルンと頭を振って気分を奮い立たせる。
「はい、おはようございます。(フフフ)でも夜ですよ。
気分が良くないのでしょうか?」
「…ううん、大丈夫。
ああ、それで何時なの?」
「えっ、時間ですか?」
「うん」
悟られないように笑顔を作って質問を返したが、やっちゃたようだ。ヒーナが戸惑っている。
今までのセージだと、朝、お昼、夜、もう遅いの? 等の漠然とした感覚。時間という意識が無いのを忘れていた。
頑張れ僕、と気合を入れる。
カーテンから光は漏れてない。外は暗そうだ。
「たしか、七時をチョット過ぎましたが、ほとんど七時ですね」
「ふーん。七時だと夜なんだ」
「もうすぐ夏で日が伸びているので、まだ真っ暗じゃないと思いますが、かなり暗いですよ」
ヒーナの顔がほころんだ。
美人というより愛嬌のある顔。出るところは出てるてるが小柄で童顔だからか、どこかアンバランス感がある。
確か伯父さんの住む外航貿易国家ヴェネチアンのなんとかという魔法学校を卒業したのだから、魔法の才能があって頭もいいと思う。
メイド兼教育係になったばかりというか、僕の教育係候補だ。まあ、候補といっても他の候補がいないんだけど。
ヴェネチアン出身というのもあって同行している。
確か年齢は二二とか三とかだったはずだ。五才から見れば充分おばさんだが、当然のごとくおばさん扱いをすると怒る、と思う。
船酔いからの体調不良。元気になったとはいえチョットやつれている気がする。
「そうです。夜ですが、少し前から暗くなって夜になっています。
晴れてれば大きい月が真ん丸に見えるはずです。
それと七時は二回、朝と夜とにあります」
「二回も、そうなんだ。それと真ん丸ルーナ、見てみたいな」
「お時間に興味がおありならば今度一緒に勉強しましょう。
ルーナは今日は難しいでしょうから、明日見られるように頼んであげます。明日もほとんど真ん丸ですよ。それと時間によりますが小さな月も見えるかもしれません。
それでよろしいですね」
夜の甲板は危険だ。
セージは乗船した夜に、父とヒーナに連れられて甲板に上がる階段を出たところで星空を眺めたことを思い出す。雲が多くどんよりした空。雲間の見えたルーナは半月だった。
一昨日から天気は下り坂で、昨日は荒天で酷い目にあった。
ルーナに照らされた海は緩やかな波があってユラユラと月明りが揺れて輝いていた。
「うん。いいよ」
「それよりお体は大丈夫ですか? 痛いところはありませんか?」
「うん、何処も痛くない」
ベッドの上で体を動かし、両手を振り回す。
さっきと同様に体を動かすとスッキリしてくる。
「お元気そうで何よりです。それと申し訳ありませんでした」
謝罪の理由はわかっているが、首を傾げる。
「朝、甲板にご一緒できなかったことです。海に落ちても助けてあげられなかったことです」
「なんでヒーナが謝るの? 僕が一人でも行きたくて行って、ふ……大変なお仕事の邪魔をしたみたいで、その所為でみんなに迷惑を掛けちゃたんだから」
“ふ”で言葉を止めたのは、“不注意”と言いそうになって、不自然だと思ったからだ。
記憶強化のおかげか――封印されてたはずだが――、それとも魂魄管理者サービスなのか。セージが知らないと思われる言葉が普通に使える。個人情報の漢字――日本と同じ表音文字と表意文字で構成――も読める。
「セージ様は相変わらずお優しいですね。そのようなセージ様をヒーナはとても好きですよ」
ヒーナが瞳に涙を潤ませる。そして、ギュッと僕を抱きしめる。
アワワワ……鼻血が……。
これはキツイ。そう、別の意味でもキツイ。
きつく抱きしめられて、そして柔らかい。
手足をばたつかせ抵抗するも所詮五才。
体中の血が沸騰しそうだ。
く、苦しい。
限界まで我慢して、ヒーナの腕を小さな手でパンパンとタップする。
腕が緩み、プハーと息をする。
「あ、ありがとう。ぼ、僕も好きだけど、ちょ、ちょっと放してくれる」
腕が緩んだといっても、いまだ抱きしめられたままだ。
「あっ、お顔が真っ赤……苦しかったですよね。申し訳ありませんでした」
「そうじゃ…そうだったです」
更に真っ赤になって、うつむいてしまった。
ヒーナがムフフと含み笑いをして、呟いた。小さな声で。
「あら、セージ様も男の子になられましたか」
もう一度、ムギュッとなって解放された。
聞こえてるから。
彼女無し歴ニ八年、否、三三年か? 五年は無効だろうか?
あまいい、改めて言いたい。
“社畜、もとい、仕事大好き人間、須田雅治。決してスタでもないしセージではなく、いやそうなんだけどさ”。
セージスタ? スタセージ? スダマサハル?
混乱してきた。むなしい。
「それだけお元気なら(フフ)…パパさんとママさんのところに行きましょう」
「うん」
「それではベッドから降りてください」
いつものようにベッドの横に立つ。
目に意識を集中、看破と鑑定を意識する。
ヒーナが精神集中をする。両手を重ねて僕に向けてくる。
「<ホーリークリーン>」
おっ。
服の下で薄っすらと輝くのは、ネックレスの白い魔宝石がヒーナの魔法力に反応しているからだ。
あれ、服の下の光なんていつも見えなかったのに?
それと、なんとなくだが魔法力がヒーナの体に溜まって、両手から小さいけれど魔法の光が噴き出したように見えた。
毎日のように浴びている魔法だが、このように光が見えたことはない。光りの魔法。
それと光がパチパチとはじけるような気がした。見えてはいないのだが。
バブリッシュが水が細かく撹拌する渦だとすると、ホーリークリーンは細かな光の粒の刺激、優しい超音波洗浄だ。
それより驚いたのは魔法を感じたからじゃない。スッキリしたからだ。いや、両方驚いたか。
ホーリークリーン。
体を拭いただけじゃ塩は完全には取れなくて、体がチョットベトベトしてたのがすっきりした。気分はより以上スッキリとした。気持ち悪さも軽減された。
なんと口の中まで綺麗サッパリだ。
「ヒーナの魔法は万能です」
ヒーナが腰に手を当て、どや顔で二コリと笑う。
元気いっぱい。いつものヒーナが居た。
ヤッパばれてたようだ。
それと巨乳童顔が胸を張ると爆乳、もとい、爆発力がある。
目の前のイベントに思わずうつむいてしまうが、視線だけが離れなかった。
ヒーナに男の子ですねー、と笑われた気がした。惨敗した気分だ。
それでも“転生バンザイ!”。
でも俺? 僕ってこんなキャラだったっけ?
「夕食はパジャマのままでいいそうですよ。さあ、このガウンを羽織ってくださいね」
「はい」
セージはこっそりと個人情報で“魔法:13/13”を素早く確認した。
ヒーナの魔法を見ても“13”ってことは、誤差の範囲ってことか? それとも魔法力を使わなかったのか?
個人情報を確認して魔法を使ったことを考えると、三時間半程度で魔法値が完全回復するんだ。
◇ ◇ ◇
午後七時六分。数分程度は誤差の範囲だろう。
「こんばんは。心配を掛けましたが、元気になりました」
「おう、こんばんは。引き締まった顔。元気になって何よりだ。挨拶も丁寧でよかったぞ。さすが俺の自慢の息子だ」
父、もとい、パパがが盛大にガハハハハと笑い、ママが一瞬呆れる。
「こんばんは。夕飯は召し上がれますか? それともスープか飲み物だけにしておきますか」
「はい。お腹が少し減ったようです」
今度は本当だ。
バブリッシュの後、ママがモルガとヒーナに合図すると、すでに用意されていたキャスターの付いたキッチンワゴンから、フランスパンでできたサンドイッチの大皿とポタージュスープをテーブルに移す。
ちなみに父も母に、嬉しそうにバブリッシュをやってもらっていた。
自宅でも一緒だがパパのママ大好きモードはいつものことだ。
テーブルにはモルガとヒーナも一緒に付いての食事だ。
「さあ、食べよう。感謝を」
「感謝します」
「「「感謝します」」」
さすがに“いただきます”ではなく、父の号令と神への感謝で食事が始まる。お茶などでは省かれるので緩い習慣だ。
テーブルを囲んだ質素な夕食だが、三種類のサンドイッチに暖かいスープ、フルーツのデザートも付いて、船上では豪華な方だろう。
ちなみに僕用のサンドイッチのパンは薄めに切られていて具も少なめで、スープは小ぶりなカップだ。
海上だからサンドイッチの具は魚が多い。
ハンバーグだと思って食べたら、魚のハンバーグだった。でも美味しい。
しばらくすると、ママが、
「あなた、セージが魔法を習いたいそうなのです。
少々早い気もしますが、いかがでしょうか」
「ほう、勉強熱心なことは何よりだ。
五才になってやる気が出てきたということか。やらせてみていいんじゃないか」
「よろしいので? 祭りは直ぐですよ」
「まあ、いいだろうというか、上の影響でもう見たんだろう。
そういった顔をしてるし、出航前に無事を祈願してオケアノス神社に詣でたからな」
「きっとそうですね。そういたします。
セージ、航海中は時間がありますのでわたくしと少し練習してみましょうか」
「はい」
セージは何を言ってるのか理解できなかったが、最初に個人情報を見るのは神などに祈願してからという風習がある。
五才や六才ころに魔法が芽生えるから大体そのころで、祭りに乗じて行われることが多いというだけで決まった日時などない。
緩い風習で、兄や姉がいると個人情報を見てしまう子供も多い。
兄や姉に魔法が有るとか無いとか先に教えられてがっかりする親も多い。
「ヒーナ。どうかされましたか?」
ヒーナの表情が変化したことに母が目ざとく気づく。
「はい。セージ様が先ほど時間を勉強したいと……」
ヒーナが困惑気味に答える。
「ほう。海に落ちて、海洋神であるオケアノス様のお告げでも聞いたのか」
ノルンバック家は海洋神であるオケアノス神を信仰している。
「まさかそのような」
母が一瞬呆れてから疑り深気に僕を見る。
父も興味深気に僕を見る。
「えー、ミリア姉がいつも学校でのことを自慢するんです。
それで初めてパパとママと三人なので、えーと、ミリア姉の知らない間にいっぱい、いっぱーい勉強をしちゃおうかなって」
「ハハハ、まあ、ミリアが自慢するのはわかるが…」
「そうですね」
パパは困惑気味、ママもなんだかお困りの様子だ。
「まあ、ミリアのことは置いておくとして、勉強のきっかけなんてそんなもんだ。でも何で今なんだ」
「そうですね。もう船に乗って六日目ですよ」
「はい。あのー、楽しかったんです」
「忘れてたことをか。それを海に落ちて思い出したのか。ハハハ…。それもオケアノス様の導きだろう。思う存分やってみろ。
ただし旅も勉強だということを忘れるな」
「本当によろしいのですね」
「ああ構わん。どうせ船の中、同じ景色に飽きるだろう。ヒーナもビシバシと鍛えてやってくれ」
「ビシバシでよろしいのですか」
「ああ、構わん。有言実行、男子に二言は無い」
許可されたけど、だれがハードモードを要求した。
これだから武骨脳筋は困るんだ。
あ、聞きようによっては、と思い至って冷や汗が出る。
無邪気にアピールしただけだったのに……。
◇ ◇ ◇
セージはベッドに入ると早速個人情報を再度確認した。
魔法:13/13
鑑定:0
看破:0
情報操作:0
変化無し。
詳細表示もダメ。
昨日は、朝食を船で摂ってしばらくして甲板で海に落ちた。
太陽が斜めだったから落ちたのは一〇時から一一時ころだろう。
復帰が一日だとすると昼過ぎに確認すればわかるか。
それと、早ければ明日にも個人情報を見せてみなさいってなる可能性もある。
少なくても情報操作のレベルは1にして、隠蔽は行いたい。
とにもかくにも訓練だと【成長スキル】、“基礎能力経験値2.14倍”、“スキル経験値2.14倍”の三つを順番に指で触って<偽装>、<改ざん>と何度も繰り返す。
<偽装>と<改ざん>と唱えるのが魔法値の減りが多く感じたからだ。
感覚的には<偽装>の方がわずかだが減りが多そうだが、確信はないから保険を考えての二つだ。
瞬く間に魔力が枯渇して意識がもうろうとなる。だるい。
またチョット気持ち悪さが軽減したのか? 慣れてきたってことなのか?
勘違いかもしれない。
眠くないけど、眠れそうだ。
……おやすみなさい。そして夜中に起きたい、と強く願って目を閉じた。
◇ ◇ ◇
うわっ、と。
真っ暗……あっ、船の中だ。
何かに呼ばれたような、夢を見たような気がしたが、思い出せない。
今回の目覚めは気分最悪だ。
慣れてきたなんて嘘だ。
それと船がチョット揺れてる気がする。
ああ、そうだ。
この感覚って社畜時代。疲労困憊、体調不良で起きた時と一緒だ。
せっかく解放されたのに、自らおなじ世界に飛び込んでいたなんて……。
ドン底にへこんだ気分を振り払うように体を動かす。
少し動かすだけで気分が格段に良くなるのは救いだ。
ドンと船に衝撃があった。
そしてカーテン越しに発光とドンという音。
あっ、海魔獣の襲撃か。
夜は魔獣が活性化するし、強い魔獣は魔物除けのお守りなんて何のそので襲ってくる。
ソーッと部屋の扉が開く。
ママと一緒に指に明かりを灯したヒーナが様子を伺ってくる。ずいぶんと明かりが小さい。
寝たふり作戦だ。
ママとヒーナがベッドのところに来る。
しばらく騒々しかったがその後何事もなかったように静かになった。
これで襲撃を見たり感じたりしたのが五度目だけど、船員に聞いたら確か八回の襲撃があったって言ってたからこれで九度目か。ヤッパリ夜の方が襲撃が多いのかな。
迎撃は撃滅が目的ではなく、撃退させることが目標で、マーリン号が手ごわいと思わせれば充分だそうだ。海魔獣も特別な執着がなければ直ぐに離れていくんだそうだ。
今回もそんなことだろう。
その後数分でママとヒーナが出ていった。
目覚まし海魔獣、GJ。
ソーッと起きて、脳内で『個人情報』。
体力:7/8
魔法:13/13
鑑定:0
看破:0
情報操作:0
魔力量は復活してるが増えてない。体力が若干落ちている……。またへこむ。
スキルに変化無し。
念のため詳細表示も確認するがダメ。
なけなしの気合を入れて<偽装>と<改ざん>を行う。
瞬く間に魔力が枯渇して意識がもうろうとなる。だるさは強くなったような。そして目覚めも最悪だったが、気持ち悪さもマッハだった。慣れてきたなんて嘘だ。
早く眠りたい……おやすみなさい。
そしてもう一度夜中に起きたいのか? いや、弱気派ダメが。
もう一度起きるぞ、と強く願って目を閉じた。
でも、こういう時に限って眠れないもんだ。
眠りについたのは、しばらく悶々としてからだった。