17. エルドリッジ入港
六月一七日の白曜日。
マーリン号では、朝からざわついた雰囲気が漂う。
雨も上がって雲が駆け抜けていく。
パパはとママにとっては生まれ故郷の外航貿易国家ヴェネチアン。あ、ヒーナ先生もか。
パパは八か月ぶり、ママは二年三か月ぶりの帰国ともいえる訪問だ。
二年三か月前にはオルジ兄とミリア姉が同行したそうだ。まだ二才(もうちょっとで三才)だった僕も同行したらしいけど記憶は曖昧だ。
そしてそれは社員である、多くの船員たちも一緒だ。ただし船員たちは二か月に一度程度で訪れてはいるが。
ヒーナにとってもそれは同様なようでチョット浮かれて見えた。
午前中の魔法訓練は魔素を見る訓練で終始した。おかげで見るだけでなく、チョットだけだが感じることもできた。
早めに終わって散歩に出た。
穏やかな甲板にヒーナと並んで見学している。
他にも数人のお客様が、陸地を見るために右舷に並んで眺めている。
多くの船員が帆を畳んでいる。湾内に入るため半分ほどにするためだ。
流水圧縮推進も海中に降ろし始めている。
「この大きな湾がノーフォーク湾ですよ」
ヒーナが指さす。
三角形のようなノーフォーク湾の入り口は、ずいぶんと幅がある。
すでに随分侵入しているから相当な大きさだ。
湾の入り口付近の左右はこんもりとした台地で、森となっているから魔獣の住処だろう。
「その奥にあるのがエルドリッジ港で、城塞都市エルドリッジです」
ヒーナが嬉しそうに、そして懐かしそうに湾の奥を指さして教えてくれるが、エルドリッジはかすかに見えるだけだ。
湾の奥の方はポコポコと丘がいくつか見えるが、大きな平地が広がっている。
湾に入ってしばらくすると。
「湾内速度規制域に入りまーす!」
「帆を全部畳めー! ウォータージェット出力微増、湾内航行速度に移行ー!」
目立つ旗をなびかせた小船、水先案内船が近づいてくる。
「水先案内船から停船指示」
「停船!」
船長の声が響く。
水先案内人と超税関が乗り込んでくる。
湾内には軍艦が警備する中、多くの小型漁船が漁をしている。
「右舷後方五〇〇メル海魔獣出現ー!」
「総員戦闘配置ー! 魔導砲よーい!」
「逃げてください。軍艦が来ます」
「了解した。最大船速!」
水先案内人の指示に、グン、とマーリン号の速度が上がる。
付近の漁船も逃げ出す。
そして、軽量高速タイプの軍艦が高速でこちらに近づいてくる。遅れて大型戦艦もこちらに向かって動き出す。
二匹の首長竜タイプの海魔獣が首をもたげ、「「キシャーッ」」と叫び、口から水流の槍を放ち、軽量軍艦を迎え撃つ。
それを障壁がくい止め、大きく水がはじけ飛ぶ。
「ってー」
魔導砲が二発発射される。
一匹は海中に首を引っ込めそれを交わすが、一匹は背中に魔導砲を受けて「ギョエー」と苦しそうな悲鳴を上げる。
「なんて海魔獣なの?」
「体全体をよく見ないと判断できませんが、大きな目と背びれからグリーダーじゃないでしょうか。首長竜型で本当に首が長いんですよ。水魔法に風魔法を合成して水の衝撃波のような攻撃をしてくるはずです」
海中に逃げたグリーダーが水面に顔を出し「ギシャーーッ」と、海水を盛り上げ、大きな波の壁となり、軽量軍艦を襲う。
軽量軍艦の前面に水の壁が出現し、ザッパーン、と波が直撃して砕ける。
「あれは何?」
「水の強化防壁ですね。水の巨大な防壁を土魔法の固化、いえ、あれでしたら、錬金魔法の結合強化で水防壁を強固にしたものではないでしょうか」
「複合魔法?」
「ええ、そうです。ことによったら水防壁を土と錬金の両方で強化した三重魔法かもしれません」
「氷にした方が固いんじゃないの」
「そうともいえません。それに氷だと海水の温度を急激に下げてしまい、環境に影響、生活面では漁に影響が出てしまいます」
ほう、そこまで気を使って戦闘するんだ。
海が荒れ、軽量軍艦が大きく揺さぶられる。
訓練も積まれ、慣れているのか、兵士に乱れがない。怒号の号令が聞こえてきそうだ。
軽量軍艦の周囲に魔法を放ち、海を鎮める。
一方魔導砲の準備も怠りない。
「ってー!」
二発の魔導砲がグリーダーに向かって飛ぶが、衝撃波の波の飲み込まれる。
遅れてきた大型戦艦が、軽量軍艦の後方から一斉射撃を行う。
二匹のグリーダーは大きな波を作って、魔導砲を撃退しながら海中に沈む。
大型戦艦は数本の細長い銛を大きく展開して海中に撃つ。幾本もの銛には巨大なネットが取り付けられていて、そのネットが大きく広がって海中に落ちる。
電撃を流したのか、二匹のグリーダーが海中から「グギャー」と苦しそうに顔を出す。
「ってー」
四門の魔導砲に装填された銛がうなりを上げてグリーダーめがけて飛ぶ。
太くて頑丈そうな銛だ。
「あれは?」
「最初の攻撃は魔電ネットですね。銛に繋がった魔銀ロープから魔電が流されます。
大型の銛は魔電銛で、突き刺さった後、先端から幾本もの電撃針が飛び出します」
水魔法の障壁画立ち上がり、魔電銛の半分が海に落ちる。
それでも魔電銛が一本づつグリーダーに突き立つ。…がかなり浅い。電光が走り、グリーダーがのたうち回る。
「次弾用意でき次第、発射しろー!」
突き刺さった銛を一匹のグリーダーが払い飛すと、二匹目も払い飛ばす。
「ギシャーーッ」とグリーダーが雄たけびを上げ、海水が荒れて波立ち、軽量軍艦が揺さぶられる。
大型戦艦は魔法障壁で揺れから逃れ、後続の魔電銛を次々と放つ。
グリーダーに二本づつ魔導銛が突き刺さると、「グゲギャー」と苦しそうに悲鳴を上げ、のたうち回り、しばらくしてグリーダーは息を止めた。
「戦闘態勢解除ー。船速湾内航行速度」
マーリン号と水先案内船が速度を落とす。
最後の方は遠くて良く見えなかったが、それでも魔法力の感知で戦闘状況は認識できた。
大型戦艦や軽量軍艦が魔電ネットや魔電銛、それにグリーダーも回収する。
「すごかったねー」
「そうですね」
初めて戦闘を間近に見た僕は、興奮して撤収作業にも熱い視線を送っていた。
そう。手摺りから乗り出さんばかりに。
そして、ヒーナにしっかりと後ろから抱きしめられていたことも気づかないほど。
◇ ◇ ◇
エルドリッジの城壁と、その城壁から飛び出している街並みが見えるところまで近づいたが、入港まではもうしばらくかかりそうだ。
港の周辺には魔よけのお守り(セイントアミュレット)を付与したブイが浮かんでいて、小型の警備艇が数隻巡回している。
南方の交易自由都市オーランは彩色もエキゾチックで開放的な雰囲気があるが、エルドリッジは茶色やグレーの家が多く質素で質実剛健といった印象だ。
ロータスの木造建築とも違い、石造りやモルタル造りが多いように見受けられる。
オーランとの印象の違いは亜熱帯と温帯の違いもあるのだろう。海から見える森の木々はロータスでも見た、日本で馴染んだ温帯の木々だ。
それにしてもエルドリッジは大きな都市だった。
「港内航行速度ー。港に入る」
港はいくつかに分かれていて、一番奥が軍港、手前の漁港と、中央が商船や客船用の三つに分かれているようだ。
今まで見てきた港で一番大きなものだ。
それにしてもいわく付きの名称の都市だよな。あっ、ここではそんなことはないか。それより都市伝説でなじみの名称、転生者の悪ふざけかと思わなくもない。
ノーフォーク湾もそうだけど、歴史のあるエルドリッジ市だし、転生者だと年代が合わないか。それとも遥か過去に転生なんてあるのか?
セージの混乱以外、マーリン号は何事も無く桟橋に到着する。
予定の正午より三〇分ほど早い到着だ。
エルドリッジの印象は、他の港よりしっかりと管理されている。
水先案内船しかり、航路も左側通行と、航路案内用のブイと、近代的な匂いがする。
水先案内人は規定料金を受け取るとサッサと船を後にする。
徴税官は停泊するまでは入市税の手続きと、抜け荷等が無いように監視していただけだったが、桟橋にはお仲間の徴税官が待機していて、にわかに活気づく。
マーリン号の積み荷の多くをエルドリッジで降ろすからだ。
そして引き取り手の商社も到着済みだ。
ちなみに、税がかかる積み荷はエルドリッジの商社に売り渡す商品のみだ。そうでなければ、オケアノス海を周回しながら商売をする船舶が立ち寄らなくなるからだ。
伯父様であるフォアノルン家へ使者を出している。
まあ、通信機でも連絡済みだし、他国の議員という立場もあって、表向きは兄弟だからとあまり馴れ馴れしくもできないので、形式的な使者なのだが、その返答が届くまでは待機で、船から降りる――桟橋で荷物の積み下ろしは見学は別として――こともできない。
このままだと、せっかく港に停泊していても船内でお昼ご飯となりそうだった。
セージの隣にはヒーナが居るので魔法の自主勉強もできない。
暇なセージは、できるだけパパの側で過ごしていた。
パパも機嫌が良いようだし、基本的には交渉は船長に任せているから、何かと教えてくれる。
六つの小国家連合が自由共和国マリオンだ。
交易自由都市オーランは東方に山脈があって、土が良く、陶磁器が名産だ。
今回の主な商品は陶磁器と鉄と銅と銀となっている。少量だが香辛料も積んでいる。
途中で仕入れたガラスも交易品だ。
目指す購入品は温暖で育った矢の素材、しなやかで粘りのある竹、薬草から成分を抽出した濃縮液、それと魔電装置だそうだ。
「えっ、ええー、マジカルボルテックス…?」
「ああ、そうだ」
パパの説明だと。
熱魔法を変性して電器を生成する。
その電気を利用した電気製品と魔法を合体合成した製品が魔電装置だ。
電気は使い勝手が良いが、威力が弱く動作が不安定になる。それを魔法で補助・強化して安定させる。
魔法力を吸収・保持する魔石、貯めた魔法力を熱魔法に変換、更に熱魔法を電気に変換する。
魂魄管理者が言っていた科学的な事ってことを思い出した。
かなりの驚き。ビックリだ。
モーターのような回転魔石があるが、それらが電器と相性が良い。ただしスピナー単体だと威力がの弱く他の魔石で補助・強化して出力を上げる。
マーリン号の流水圧縮推進も大型のマジカルボルテックスだし、それを更に魔道具で強化している。
魔導砲の放電もマジカルボルテックスを利用している。
いつも見ている船内の照明もマジカルボルテックスだ。
マーリン号には特大の魔充電装置が在って、それらの装置を動かしているが充電時間も必要なので、常時使用は不可能だ。
近距離電話で無線機だ。ただし出力を上げてもアンテナを工夫しても電波はあまり遠くには飛ばず、長距離通話はできないそうだ。大気の影響だろうか、それとも魔素って考えた方が無難だろうか。
「じゃあ、遠くとはお話しできないの?」
「遠距離通話には時空電話という特殊通信装置があるぞ」
「へー、そうなんだー。船には無いの」
「無いなー。船にはマジカルフォンだけだ。ディスタンスフォンだと巨大だし、調整や整備がめんどくさくてな」
「そうなの」
ディスタンスフォンはマジカルフォンに時空魔法を組み込んだ高度な技術製品だ。
メンテナンスや調整が随時必要で船内に設置するのは専門の技術員が必須となる。
国家間や都市間の連絡は時空電話で、比較的小型で安価な近距離電話は都市内通話となる。
国家間、都市間通信を行うディスタンスフォンには、シンクロ装置も必要で、お互い同一のシンクロ装置を設置する必要がある。
ただし幾つものシンクロ装置を設置して切り替えができるので、ディスタンスフォンは一台でいいそうだ。
それらの先進技術を持っているのが外航貿易国家ヴェネチアンであり、主力商品でもある。
もちろんマリオンにもその技術はあるが、製品の完成度などが違って人気があるそうだ。
ちなみに一般家庭への普及品は魔石装置といって、電器装置の付いてないものだ。
調理コンロや湯沸かし器、高価なものだと冷蔵庫や洗濯機などがそれで、日本の家電製品だ。
環境問題で炭や薪の使用が制限されていて、ファミリーマシンの調理コンロや湯沸かし器が義務付けられている。
冷房装置、暖房装置なども売られている。
かなり昔、木々の伐採により生活の成り立たなくなった都市がいくつも発生したそうだ。エコまで進んでいるのか。驚愕だ。
ちなみに、地球の古代文明も周辺の木々を使い果たして滅んだという説もあるし、江戸時代の山や森は薪や炭で刈りつくされていた。
嗜好品、ぜいたく品として最近、音楽再生機が人気の商品だそうだ。
おお、魔電装置、すげー。
マーリン号の左右の舷側に装着された筒状のウォータージェットは、水を吸い込んで、噴出して推力を得るから長さが一二メル、太さが二.五メルほどだろうか、かなり大きいマジカルボルテックスだ。
マーリン号の船首から延びる斜めマストを含めた船の長さが七八メルからすると大きいと言えないかもしれないが。
「そういえば家の合魔電導車、魔導車もマジカルボルテックスだ。覚えておらんか?」
「はい、覚えています」
そういえば、何度も乗ってた。
あまり速度は出ないが、都市内を走るには快適だった。
乗用車型の魔導車だけでなく、トラック型の魔導車もオーラン・ノルンバック船運社で使用している。
「まあ、ディスタンスフォンもそうだが魔導車や流水圧縮推進などマジカルボルテックスを使うには錬金魔法師のメンテナンスが必須だから、使うやつは限られるがな」
「へえ、そうなんだ」
「今じゃマジカルボルテックスをどれだけ持っているかが資産の目安だからな。ガハハハ…」
船長や船員に任せっきりで説明をしてくれてうれしいけど、パパ働こうよ。
「皆様、お休みになられませんか。あなたも」
「おお、ありがとう」
ママが、モルガと船員を連れ、キッチンワゴンに大量のサンドイッチと紅茶を持ってきた。