回帰-2
しかし、リルには全く自覚がなかった。
なぜ元の世界に戻れなかったのか。なぜこの世界の人間であると定められてしまうのか。
「失敗ですか?」
これが単なる失敗ならリンデが先ほど取った態度には一抹の疑問は残るが、リルはただ、何が起こったのか問うことしかできなかった。
「うん、失敗。」
リンデは極めて明るく、務めて事実を述べた。
「君の世界って魔法がないんでしょ?」
「はい、少なくともそのようなものが実際に存在すると、知覚したことはありません。」
「じゃあ、順を追って説明するとまず、失敗した理由は君がこの世界の人間だから。基本的に召喚魔法ってある程度の力を持った者しか召喚できないの。だから、この世界の人間を他の世界に"送る"ことはできない。他の世界から召喚した人間を元の世界に"戻す"ことはできるけどね。それで君は戻ってきたってわけ。で、君が違う世界にいたのは君に取り憑いてる呪いのせいだと思う。」
この世界の人間と言われても、言葉だけでは到底納得できるものではなかった。しかし、呪いとはなにか。相手の言葉を鵜呑みにするのであれば、俺がまだこの世界にいた頃、呪いにより元いた世界に送り出されたということか。しかし、この世界の人間であったとして、その記憶がまったくない。そして何より、俺は元いた世界で17年余の時を過ごしている。楽観的に全てを信じて見れば辻褄が合うのだろうが、未だ話は理解の及ぶ範疇にない。
とりあえず、聞けばラズに関する言及はこれまでないし、この世界のなんらかの影響は受けていないのではないか。
「では、私の隣にいるラズだけならすぐに戻せますか?」
「できるよ。その子は君の巻き添えになっただけだから。」
その瞬間、ラズが掴むリルのシャツに込める力が強くなる。
「だめ。」
「え」
「リルといたほうがいい。」
先ほどまで浮かべていた涙はすっかり乾き、その瞳には強い意志が宿っていた。しかし、これ以上この未知なる世界に居続けるのは危険だ。俺がいま戻れない以上、一人で戻ってもらうしかない。
「だけど、」
「私は、元の世界よりリルを選ぶ。」
ラズのこのわがままが、何を意味するのかリルは知っていた。元の世界で幼くして親に捨てられ天涯孤独となった彼女は、親しい友人をおそらく優先したのだろう。
「この世界にある魔法は俺達にとって未知でしかない。いつどこで害されるかも分からないんだよ?」
「それはリルも同じ。私はリルに死んでほしくない。」
両者の主張が重なり、これ以上繰り返しても仕方ないとリルは悟る。リルと同年のラズに理性的な判断ができないとは思えない。なにより、その目は反論を許さなかった。
「…分かった。」
「リルは私が守る。」
自信あり気にそう語るラズに、おかしくなり微かに笑う。
そして、体をリンデに向き直す。
「ところで、この呪いって具体的にはどんな呪いなんですか?」
「効果の一つはさっきも言った異世界に強制的に転移させるものだね。でもその場合、転移後に役目を終えて消えるから残ってる以上他にもあるんだと思う。で、かけたのは君が二年前戦ってた魔神だと思うよ。」
「魔神?」
「うん、その呪いかなり強大だからそれくらいしかかけられるのいないし。それと、その記憶のない状態と異世界に送られたことから察するに、君を封印するのが目的だったんじゃない?」
封印…魔神と称されるほど恐れられた強大な者は、それだけ俺を買っていたのか。そして、その時に保有していた能力と記憶は呪いにより封印されたということか。ではもし、その封印を解くことができればこの世界に関する知識と力を手にすることができるかもしれない。そうなれば今後この世界で活動していく上での大きな足がかりとなるだろう。
「解呪は可能ですか?」
「もっと弱い呪いなら行けたけど、それはちょっと強すぎだからそれくらい強い解呪の手段か、魔神に直接直談判するしかないかな。」
一応手段があると知り、光明が差したような気がした。
「ちなみに、そんな強い呪い解く手段なんていまこの世界にないし、魔神ももう二年前から姿消してるから無理かもね。」
光明は、無邪気な子供が振り回す懐中電灯程度のものでしかなかった。
「ねえ、どうせ行く宛ないんだし泊まって行ったら?召喚したの私だし、ね?」
やけに食い気味な態度に若干引きながらも、実際今後を決めあぐねていたのでその提案は、召喚されたとはいえ渡りに船であった。
「あ、ありがとうございます。ではお言葉に甘えて…。」
「ありがとう、リルが世話になる。」
「よろしく、リルとラズー。んじゃあ時間も時間だし、まずは食事ね!」
再び着いてくるよう促すリンデに二人は従う。途中、幾人かの使用人がリンデに頭を下げつつ、リルとラズに奇異な目を向けた。それは果たして予期せぬ客人に対するものだったのか、この世界の常識を知らない二人に、正答を導き出すことはできなかった。そしてエントランスに出て先ほどとは別のドアを通り、やがてダイニングへとたどり着く。そこにある長机には椅子がいくつも添うように連なり、壁にキャンドルスタンド、天井にシャンデリアと他の部屋に負けず劣らずの贅沢さであった。
三人の存在に気づいた使用人の一人が、ゆっくりと近づいてくる。こちらを見るその目はやはり、物珍しいものに向けるそれだった。
「また召喚されたのですか?」
白と黒を基調としたメイド衣装に身を包んだ女性は、リンデに問いかける。見た目は若いが姿勢や所作がしっかりしていることから、使用人としての歴は長いのだろう。
「うん、今日は当たりかも。」
リンデの満面の笑みに女性は引きつった笑みを浮かべ、体をこちらに向け頭を下げる。
「お嬢様がご迷惑をおかけして、申し訳ありません。」
「い、いえ。大丈夫です。」
事実を言えば大丈夫ではない。未だ不確定な要素は多く、今後の展望は依然行方を眩ませている。しかし、それを口にしたとしてどうなるわけでもない。ゆえに、出たのは内実の伴わないものであった。
「もう、既に十分すぎるほど魔導士としての力があるのに、どうして、」
「チッチッチッ、世の中広いんだから。私なんてこの男と比べたら全然だよ。」
「え、」
「そう…なんですか?失礼ですがとてもそうは…。」
女性は怪訝そうな表情をリルに向けた。
「まあ、今は封印されてるからねー。よわよわだよ。」
「は、はあ。」
なんだか悔しい気もするが、実際事実であるがゆえに無理もない。
呆けた声を最後に女性は、ゆるんだ顔を慎んだものへと変えた。
「では、食事をお持ちしますね。」
「よろしくー。」
リンデはキッチンへと去っていく女性に、片手を振り見届ける。
「んじゃ、空いてるとこ座ってね。」
リンデは連なった一つに腰を下ろし、リルはリンデの向かいの席に、ラズはリルの隣に続いた。
「ところで、リルはどうして敬語なの?」
「あ、えーっと。初対面なので。」
半分はマナーとして間違ってはいないのだが、もう半分は相手の機嫌を損ねないために作られたものであった。しかし、後者を伝えるのはさすがに憚られた。
「へー、しっかりしてるんだね。でも、タメでいいよ。年近いのに畏まられてもやりづらいから。」
「分かったよ。これから長くなると思うしね。」
「ん、どゆこと?」
「俺達この世界についてまだほとんど知らないから。よかったらいろいろ教えてもらおうかなって。」
「あーなるほどね。でもその前に、も一ついい?」
「うん?」
「その子とはどういう関係なの?」
リンデは顔のニヤつきを隠しもせず切り込んだ。しかし、事実を述べるだけでその笑みは容易く崩すことができるとリルは悟り、軽い悪戯心が芽生える。そして、その心は言葉に若干の修飾を加えた。
「"ただの"幼馴染だよ。」
そう言い放つと、リンデの顔はみるみるうちに萎れていった。そして、「ちぇー」と言わんばかりの顔を浮かべて、「つまんないのー」と続けた。予想通りの反応にリルは笑いをこらえる。しかし、予想だにしなかったのは、真横に座している者から向けられた痛いまでの視線であった。そしてそれを、飢えたリンデは見逃さなかった。
「ほほー、"ただの"ねえ?」
「う、うむ。"ただの"だよ。」
リルに向けられた視線はより一層痛みを増し、蜂に刺された程度のものからドリルで体を抉られるほどのものへと変わった。おそらく、ラズにとってリルはただの幼馴染ではなく、親しい幼馴染なのだろう。正直、幼馴染と付いている時点で親しい間柄であると勝手にイメージしがちだが、細かいニュアンスの違いに個人差が生じるのはごく当たり前のことである。下らない悪戯心のために不要な修飾を加えてすまない。と、心の中で陳謝し強引に本題へ移る。
「じゃ、じゃあそろそろこの世、」
「リルはただの幼馴染じゃない。」
しかし、ドリルのような眼光の持ち主は、それを許さなかった。
「リルは…私の…ぽっ。」
言い淀みながらも結局最後まで言うことはなく、染めた頬をラズは両手で抑える。
「おおおおーっ!やっぱり私の睨んだ通り!二人は…ぽっ。」
それに続くリンデ。この二人は一体なんなんだ…。苦虫を噛み潰したような顔で、リルは再び本題へ移ろうとする。しかし。
「お待たせしました、リンデお嬢様とお客様方。本日のディナーにございます。」
結局疑問を呈することは一切叶わず、食事は始まった。
続きは食後にするとして、また一つ別な疑問が浮かぶ。
「そういえばここの主って、リンデだけなの?」
思えば、この屋敷に来てから一度もリンデと使用人以外の姿を見ていない。
「うんにゃ?お父さんとお母さんはいま留守なだけ。」
「なるほど、じゃあ帰ってきたらお礼を伝えておいてほしいな。」
「私も。」
「おっけー。まあいつ来るかわかんないけど。」
「遠出でもしてるの?」
「してるねー。王都の王様に会いに行ってるよ。ここらへん何もないから、基本どこか行く時は遠出になるね。」
これほどに立派な屋敷を構えられるだけの財を持ちながら、王都に住んでいないのには何かわけがあるのだろうか。踏み込んだ話になる可能性を考慮し、話題を変える。
「でも、こんな立派な屋敷建てようと思ったら、それなりに人手がいるでしょ?」
「まあね。何もないと言っても、周辺に村々はあるよ。ただ、特殊な品の買い付けや冒険者への依頼は、王都に行かないとできないかな。」
聞けば聞くほど、ファンタジーという言葉が似つかわしい世界だ。世の中世界が違えど、どこか似るように出来ているのだろうか。
「っとと、料理が冷めちゃうから続きは後ね。」
「ああ、ごめんごめん。」
そして、食事を終えこの世界についての情報を得る。
まず、この世界にはリンデの知りうる限り、三つの大陸と三つの大国が栄えているという。中央にある最も巨大な大陸がイシュロト、東にある大陸がセレーナ、北にある少し小さい大陸がメリスロビーである。イシュロトの東側にあるのがシュトラスティ王国で、封建制のため国王の他にそれぞれ都市や土地を領有する統治者が存在する。この屋敷は領地内にあるリスブル村に存在している。イシュロトの西側にあるのがリルが元いたとされるメイノール聖王国で、強大な魔導士である聖王を絶対君主として、人間と少数のエルフが住んでいる。魔法が最も栄えており、世界を恐怖に陥れた魔神を二年前に滅ぼした国とされている。セレーナにあるのがレナ魔王国で、魔王を絶対君主として、知性を持った様々な魔物が住んでいる。基本中立を宣言しているが、二年前に滅ぼされた邪悪な魔神を生み出したのではないかと疑われている。ちなみに、国の名前は王の名前がそのまま採用されている。メリスロビーにあるのがフェイディノで、自治は国というほどの規模を持たず町程度のものだが、強力なドラゴンや魔物が棲んでいるとされ恐れられている。その他、イシュロトの南側に亜人や魔物による小国家や集落があるとされ、そこでは小競り合いが絶えないとのこと。大規模な国同士の戦争は長い間起こっていない。
そこまで聞いて話は収束を迎えた。続きは後日語ってくれるとのことだ。
ひとまず今日は休むこととなり、風呂を借りた後、案内された一室にあるベッドに腰を下ろす。少し距離を置いて隣にあるベッドに、同じく腰を下ろしたラズの姿はあった。
「相部屋…ぽっ。」
よし、寝よう。