回帰-1
ぼやけた昼の青い空がほんのり赤く染まる頃、木に張り付いた蝉の声にチャイムの音が重なった。
それを聞き届けた一人の男、リルの髪は金色に少し白を混ぜたようなプラチナブロンドのショートヘアで、耳は髪に3分の2ほど隠れ前髪は眉にかかる程度の長さであった。碧い眼はしっかり開いており好青年を思わせるが、その目は疲労を帯びどこか遠くを見つめているようであった。身長は176センチで体型は程よい運動により引き締まっていて、服装は学校指定の上靴と紺のスラックス、留め具がついた黒いベルトを腰に巻き付け、二の腕まで捲った長袖のスクールシャツを身につけていた。
捲った結果、二の腕を厚く覆うこととなった袖を若干睨んだ後、机の上を見下ろし筆箱や教科書がすぐバッグにしまえるよう整っているのを確認し、満足した顔を教卓で教鞭を執っている者のいる方向へ向き直す。
その者は無精髭を生やしメガネをかけた30代半ばの男でこの授業、この科目を担当する教師に当たる人物だ。そして、教師は手慣れた手付きで教卓を片付けるといつものように告げた。
「はい、手を止めてください。残った分は家でやって後日持ってきてください。ではお願いします。」
教師はクラスの学級委員に当たる人物に最後、目配せをしつつ伝えると、学級委員は元気よく「はい!」と答え座していた席から立ち上がる。
その後、「起立!礼!」と繰り返し、自分を含めた教室内全生徒は学級委員と同じく席を立ち頭を下げ、ありがとうございましたと口を揃えて言うと、身支度を済ませた者から順に教室を出ていく。
リルも席を立ったままバッグに筆箱や教科書をしまい教室をあとにする。
そして、廊下を数歩歩いたところでよく見知った顔が、リルが先程までいた教室とは別の教室から姿を現した後、こちらに気づき彼女、ラズは独特の少しスローテンポなトーンと淡々とした口調でつぶやいた。
「あ、リル。」
こちらに歩み寄ってくるラズの髪は純白の如き白さを持った腰までかかるロングヘアで、瞳孔の赤い目はツリ目が少し小さく開かれており暗さを帯びていた。身長は153センチで体型はスリムで肌も白く、服装は学校指定の上靴に足全体を覆う黒タイツとひざ上10センチ程の丈のスカートに、長袖のスクールシャツを着用しその首元に赤と黒のリボンの紐を襟に巻き付け、袖は捲らず手首まで伸びていた。
リルの元まで着いたラズは提案を述べる。
「一緒に帰ろう。」
部活に所属していない両者は、授業が終わると二人で帰るのが日課であった。その提案に異存ないリルは同意し、二人は学校から出て通学路である閑静な住宅街を肩を並べて歩く。
ふと、リルはラズを一瞥しその後、視線を空へやる。
ラズは体質ゆえ強い日差しを浴びることができず、最近は外に出ると常に日傘をさしていた。ラズが手にしている萎んだ日傘が腕の動きに合わせて揺れる。
いつの間にか太陽はすっかり姿を消し、空は今にも別の青さを取り戻そうとしていた。
授業終了からまだ10分程度しか経っていないにも関わらず。
「今日は日が沈むのが一段と早いね。」
早すぎるような気もするが、気象情報に精通していないリルは、気にしてもしょうがないと思い空に向けていた目を離した。ラズの顔は少し喜色を含んでいた。
「うん、おかげで若干ハンズフリー。」
そう言うと右手に日傘、右肩にスクールバッグを持ち直し、何も持っていない左手を自由に動かして見せつける。
「これで暑さも引いてくれれば最高なんだけど。」
日は沈んだものの、依然として高い気温から汗をにじませる。
ふと、リルは涼を得るのに最適な場所を想起した。ラズは読書を趣味とし季節に依らず、よく図書館に通っていた。
「そういえば、今日は図書館寄るの?」
「ううん、今日はもう暗くなるからいい。」
「あーそうだね、ほんと不思議な天気だよ。まるで何かの予兆みたい。」
「…何も起こらないといいけど。」
ラズは若干視線を落としつつ応える。
「まあ、そうだね。んじゃぱぱっと帰ろう。」
その言葉を皮切りに両者は家路を急ぎ、辺りがすっかり暗くなった頃、ある施設が目に映る。それは家というよりは小さい学校のようであった。全体的に白塗りで四角くところどころに窓が点在し高さは3階建て、裏にはグラウンドが、正面には駐車場と門とドア、そしてそのドアの上にこの施設の名前、綾星学園と書かれていた。
この施設は二人の住む児童養護施設であった。二人に親はなく、帰るべき家といえばここでしかなかった。そして正門を通り抜けリルがドアを開く。この時間帯は子供の出入りが多いことから錠は解放されていた。それを受けラズは玄関まで進みリルがそれに続く。
ドアがゆっくりと内側に閉まっていく。
しかし、閉まりきる音を聞き届けることなく、それは突如現れた。
二人は下を見やり、驚愕を浮かべた。そこには直径2メートル程の円とその中に、漫画で見たことあるような模様が眩い光を帯びてあった。
「なっ」
「えっ」
困惑もつかの間、次の瞬間、景色は360度変わっていた。
二人の目に映る景色は、一言で表すなら豪奢だった。
玄関には変わらずいるものの、玄関というよりは広大なエントランスであった。床には大胆な赤に染められたカーペットが敷かれ、壁や台座に設置されたインテリアは、どれも目が利かない者に「高そう」と思わせるに十分なほど立派であった。台座の横にいくつもあるドアは、この屋敷の広さを物語っていた。天井ではシャンデリアが鋭い光を放っていた。
そして、リルは頭を働かせる。何より先にこうなった原因を考えるがどれも憶測に過ぎず、更にはそれが現状を変える力を持たないため、すぐに考えを別の方向へ持っていく。周囲に人影はなく、真後ろには豪勢な二枚扉が佇んでいる。リルはまず何よりもこの場所から立ち去るべきであると考えた。今のまま室内にいる姿を見られてしまうと、窃盗と間違われる恐れがあるためだ。しかし、扉の外に人がいた場合も同様の恐れがある。故に、すぐに外へ出ることは躊躇われた。
ふと周囲を見渡す。
「窓から外を覗いて、人がいないか確認できれば…。」
「リル…ここ、どこ…。」
隣でシャツの端を掴んだラズは、潤んだ目で問いかける。
「分からない、とにかくここから出よう。」
言い終わると同時に、数あるうち一つのドアが開き、女性が姿を見せる。10代後半ぐらいであろう女性の髪は赤く髪型は少々乱れたショートヘアだった。前髪は黄色いぱっちり開かれた目の真上で綺麗に切り揃えられており、遠目に身長はラズより少し高いくらいで、服装はミディ丈のブラウンのブーツに、ひざ上10センチ程の朱色のスカートと腰に巻いているであろう黒いベルトが、ところどころにフリルをあしらった白いドレスシャツの下に姿を覗かせていた。そのシャツの上には黒いレースの付いたケープを身に着けている。
女性はこちらに気づくと、顔に驚愕を浮かべる。
「まずい!隠れ、」
しかし、隠れようにも開放的な空間に無駄なものは一切なかった。それを認めるとすぐにリルはラズの手を掴み、豪勢な二枚扉に手をかけた。
「え、あ、待って!」
女性の必死とも思える静止の声に足を止める。顔を見られた、もはや手遅れと悟り到底信じてもらえないであろう事情を話すべく、女性に体を向ける。女性は大きい目を丸く見開かせ、信じられないと言った表情だった。
「も、もしかして…え、でも、そんな…?」
女性のつぶやきは小さく距離も若干あるため、何を言っているかは分からなかった。表情から察するに狼狽だろうか。勝手に動くわけにも行かないリルは少し声を張る。
「まずは、勝手に入ってしまいすみません!そして、私達の止むに止まれない事情にどうか耳を貸していただければ幸いです!」
言い終わる頃、女性の表情はすっかり落ち着いていた。
「とりあえずきて。」
「え?」
どういうことか、これは俺たちをこの場所に移動させた原因に心当たりでもあるのだろうか。現状を判断するための材料があまりに乏しいため、考えていても埒が明かない。
少しの間を置いてリルは未だ涙目をしたラズに「行こう」と促す。ラズはコクリと頷き、シャツの裾を掴んだまま着いてくる。
そして、女性が姿を現したドアを開けると、そこは工房のような部屋であった。エントランスと比べると少し狭いが十分な広さを持っていた。内装は変わらず豪華で、本棚に無数の本が敷き詰められ、机には様々な色の液体が入った試験管やフラスコ、ずんぐりとした小さい透明なガラス瓶や読みかけの分厚い本や書類があった。壁や床にも無数の雑貨が配置されている。
「私の魔導工房へようこそ。私はリンデ・ガルシャ、とりあえずよろしく。」
部屋の中にいた先程の女性、リンデはそう言い放った。
「魔導…?」
「そう、魔導。私、どっからどう見ても魔導士なの。」
頭が痛くなってきた。自信満々にそう言われてもまるで理解が及ばない。
「…もしかして疑ってる?」
リンデはこちらを睨む。
まずい、このまま対談が不和に終わればこの先どうなるか想像に易い。
「い、いえ。あまりに立派な工房なので目を奪われてしまいました。」
隣を見やればラズは完全に借りてきた猫のようであった。気を回したい気持ちもあったが、ひとまずは相手の機嫌を取らねば。
「おおおーっ、やっぱ分かる?」
「は、はい。これほどのものは初めて見ました…。」
「ってー!そんなことはいいよ!」
リンデが突然声を張り上げ、反射的に心の中で覚悟を決める。
「単刀直入に聞くけど、君ってリル・フルールでしょ?」
それは確かにリルの知っている名前だった。しかし、それは正式なものではない。この名前はあくまでリルの記憶の中にある絶対的にこれは自分の名前だ、という確信から来ているだけのもので、戸籍上登録されている名前とは異なっていた。だが、リルは常に記憶の中にのみ存在する名前を自分だと断じて使っていた。にしても、このリンデという女性に全く心当たりがない。名前を告げた覚えもない。ましてフルネームなんてほとんど語ったことはないのに。
「はい、確かに私はリル・フルールです。」
「どうして他国のお偉い英雄さんが、こんなとこにいるの?」
う、また頭が…他国ということはここは日本ではないのか、お偉い英雄ってなんだ、こんなとこにいる理由はこっちが聞きたい。
「それに魔神と戦って死んだ、って聞いたよ?あ、もしかして他人の空似?いや、でも私ちゃんとこの目で見てるしなー。うん、ほんとそっくり。」
「すみません、まずここにいる理由は私達にもわかりません。」
「え!あ…。」
リンデは驚きの声を上げてすぐに萎ませた。
「え、えーっとね。実はさっき異世界の人間を召喚する魔法を使ってたんだけど…。」
魔法…?この場所に来てから分からないことだらけだが、リンデの発言は実際起こっている状況と辻褄が合っていた。ただ、魔法の存在を信じるのであれば。
「で、でも君ってこの世界の人間でしょ?うーん、だから違うかなあ…。」
魔法の存在を信じるとすればやはりここは、元いた世界とは別の世界なのだろうか。
「私達はおそらく、この世界の人間ではありません。」
「え!てことはやっぱり空似?」
もはや何回目か知れぬ驚きの声をリンデは上げた。
「かも知れないです。世の中広いですし三人程度いてもおかしくはないかと。」
「でもねー、この召喚魔法ってこの世界とのつながりが強ければ強いほど召喚されやすいんだよ?それに名前と見た目が瓜二つって、ありえないくらい偶然すぎ。」
そう言われても知らないことを認めるわけにも行かないし、とにかく疲れた脳を休ませたい。
「とりあえず、その召喚魔法で私達をこの世界に運んだのであれば今一度、元の世界に戻すことは可能ですか?」
「うん、できるよ。でもその前に、君の世界に魔法はある?」
「ありません。」
「…オッケー。じゃあ行くよー。」
再び前と同じ魔法陣が足元に出現する。やっと長い夢から醒めることができる、と安堵の表情を顔に携えリルはラズがちゃんと横にいることを確認し、若干緊張の面持ちでその時を待つ。
「…ほいっ!」
リンデの間抜けな声と共に魔法陣が光り、消滅する。
「ありゃ?」
再びリンデの間抜けな声が耳に入る。
「どうなったんですか?」
その問いに、リンデは確信めいた表情をこちらに向け言い放った。
「君、この世界の人間でしょ。」
リルの体に纏わりつく黒いオーラは、おぞましい殺気を立てていた。リンデの目に映るそれは、見たものに濃厚な死を想起させる程に強大な呪いであった。