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灰被り少年と赤毛の魔術師

作者: 東吾


 早くに父を喪った母が再婚したのが5年前。

 再婚した義父が死んだのがもう1年も前になる。


 父は貧乏な仕立屋だった。

 稼ぎはあるがそれを使う事はなく、「将来のため」「子供たちが大きくなった時のため」と常に貯蓄に励む、良く言えば堅実な。悪く言えばケチな男だったと言えるだろう。


 そんな父は、母にとって「ケチで甲斐性の無い男」としてしか見えていないようだった。


 父の死後、父が貯蓄した多くの金貨は贅沢品へと姿を変えた。

 母の衣服は豪奢になり、化粧はより派手に。流行りの髪型とアクセサリーに身を包み、まるで名家の婦人のように振る舞う日々が増えた。


 しかしそんな散在を支えるほど、死んだ父の貯蓄は多くない。

 あっという間に私財は底を突き、母はまた貧しい仕立屋へ転じる事となった。


 それまで父がしていた仕事を受け継ぐ形で礼服やドレス、普段着や小物といったものを針仕事で誂え、それを日銭として過ごす。

 小さいながらいつも仕事があったのは、父の人望のおかげとも言えよう。


 一つの服を仕立て、その礼金を貰う質素ながら堅実な生活。

 豊かではないが清らかな生活は、母にとって貧乏たらしく退屈な日々でしかなかったようだ。


 針子仕事もそこそこに、昼に夜にと繰り出して私財のありそうな男やもめに色目をつかう事数ヶ月。

 目にとまったのが、義父だった。


 義父は元より名家の血筋が流れを組み、小さいながら家を持ち、土地を持ち、自分が食べる分には不自由しないだけの生活基盤と金ともっていた。

 それを見て母は「これなら一生楽して暮らせるだろう」そう値踏みして結婚したのだろう。


 だがその目論みも泡となって消えた。

 義父は生活するのに困らない程度の財産を残して旅立たのだが、その金はとても豪華な生活を支える程では無かったからだ。


 しかも今は、女が一人で働くのも難しいご時世だ。

 父が残した資産に手を付けず生活をしていこうと意気込んではみたものの、元より協調性の欠如した母だ。

 依頼人に頭を下げ、失敗を謝りおべっかをつかって仕事をとるという事実は母の自尊心をひどく傷つけたのだろう。


 葛藤、軋轢、恨み、嫉み。

 その他もろもろの出来事で母は疲弊し、暖かくなるはずだった俺たちの家庭が崩壊するのにそれほど時間はかからなかった。


 「いつまで寝てるつもりだ、この穀潰しが!」


 朝は大抵この怒声で始まり、着替えが遅ければ「グズ」だの「ウスノロ」だの安易な罵声が飛ぶ。

 俺はそんな母の、あまりに貧弱な語彙をバックに着替えを終えるといつもの場所へ……町外れにある粉ひき場へと向かうのだった。


 俺は、この家の「次男」になる。

 人形のように美しい女の子を産み、母が今の境遇を抜け出せるほどの金持ちと結婚させたがっていた母の希望からは遠く離れた、癖のある赤毛と痘痕顔の醜男だ。


 ……そう、醜男なのは自覚している。

 燃えるような赤毛は幼い頃より「悪い魔法使いのようだ」と茶化されたし、この顔に痘痕が出来てからは「痘痕が移る」と囃してられ子供たちの輪から自然と外れていった。

 この事実から俺は自分が「人間」だが外見はよっぽど「化け物」か、あるいは「悪い魔法使い(ワーロック)」なのだ、と思うようになっていた。


 そんな「魔法使い(ワーロック)」の俺にも、粉ひき場の小父さんは分け隔てなく接してくれていた。

 働けば働くだけ給金をくれたし、休憩の時は甘い焼き菓子を分けてくれる事もある。


 学校には行かず、粉ひき場へ向かい仕事をするようにと命じたのは母だった。

 我が家の跡取りであり、長男である兄貴には学歴も礼節も社交性も必要だから学校に通う必要があるが、穀潰しの次男に教養は必要ない、というのが母の言い分だった。


 「失礼なんかするんじゃないよ! 失敗して弁償なんて支払う金は、ウチには無いんだからね」


 出かけようとするたび、母はいかにも目障りなネズミが家から出ていったのが嬉しいと言わんばかりに吐き捨てると、岩のように固いライ麦パンの切れっ端を投げるように渡すのだ。

 俺はいつも昼になるとそのボソボソのライ麦パンを水と一緒に飲み下し食事をしている。味はしないが腹はふくれる。腹がふくれれば粉ひきの仕事をより長く手伝える。


 一秒でも長く家にいたくなかった俺にとって、粉ひき場の仕事のほうがよっぽど楽しかった。


 そんな具合で夕方までの仕事を終え、少ない銅貨をポケットにつめ持ち帰る。

 持ち帰った銅貨はみんな、母に取り上げられるのがオチだった。


 人のポケットを逆さにし、時には「隠してないか」と裸にまでさせ俺から銅貨を毟りとると、やれ「支払いがシブい」だの「あの粉ひきオヤジはケチだ」だの「おまえの働きが悪いから」だの、ありったけの文句を俺にぶつけてくる。


 そんなさまを、俺の兄貴は……。

 この家の長男さまは、肩をふるわせ笑うのだった。


 我が家の跡取りとして蝶よ花よで育てられ、子供の頃からあらゆる危険な事、面倒ごとを母から遠ざけられ、何も知らず母のように罵声を浴びせる事だけ覚えた愚かでのろまな俺の兄貴は、豚の嘶くような笑い声をあげながら俺がなじられる様子を見ている楽しんでいる。


 いつもの光景だ。

 だがあまり、腹も立たなかった。


 兄貴は学校に通っているものの、ろくに我慢も覚えられず癇癪を起こしては泣き、自分より弱い相手を蛮行で支配し、同じ歳の連中が当然覚えている礼節すらわきまえず、自分が不利になると罵声で解決しようとする。

 そういう風にしか、生きれない男だった。


 これも母の教育が賜物だと思えば、自然と怒りもわいて出ない。むしろ同情すら覚える。

 この男には薄っぺらい自尊心にすがるしか未来がないのだから、それと比べたら俺のほうがきっと幾分かマシだろう。


 それに、俺への扱いだって、俺の「義弟おとうと」と比べればそれでもよっぽどマシだったろう。


 義弟……おとうとは、母の再婚相手が連れ子だ。

 つまり、死んだ義父の息子という事になる。


 俺より5つか、あるいは6つは歳が離れていただろう。


 俺のように農場や工房へと仕事にでれるような歳ではない。

 本来なら学校に通って、文字の読み書きなどを習っていなければいけない歳だろう。


 だけど母はこう言った。


 「あの子は死んだ男の子、お情けで置いてるんであって本当は育てる義務なんてないんだよ」

 「育てる義務のない子に金をかけ読み書きなんて教えてどうするんだい」

 「あと3年もすればどこぞの屋敷に奉公に出せる」

 「そうでなくても憎らしいくらいの器量だ。1年もしないうちに存外、好事家が買い受けてくれるかもしれないね」


 そう語る母の表情に、冗談を言う素振りは欠片も見えない。

 ……つまるところ、この家で「おとうと」は羽虫のように嫌われた存在で、母からすると「人間ですら」無いのだ。


 それ故に、弟にはろくな寝所が与えられていなかった。


 兄には少ない家計をやりくりして誂えた、豪奢なベッドが。

 俺には木を組み合わせただけの安普請なベッドが与えられていたが、おとうとは藁を敷き詰めただけの寝床で屋根裏部屋に押し込められている。


 屋根裏部屋だって、もちろんおとうとの部屋という訳ではない。

 ロープや工具、古くなった衣装箱や着られなくなった古着なんかを置いておくだけの倉庫だ。

 だが「居候にはそれで充分」という母の方針でそこに押し込められてしまったのだ。


 居候とはいうが、おとうとには「人間としての生活」なんて保障されていない。

 食事が準備される事は稀だったし、準備されたとしても母の寵愛を受ける長兄が「もっと食べたい」そう言えばおとうとの食事は兄のものになった。

 夕食を食堂で、皆と食卓を囲んで食べた事なんて義父が死んでから一度たりとも無いだろう。


 最も、その点をいえば俺もそう。

 親からまともに食事を準備された事はなく、兄貴が「もっと食べたい」と言えばたちどころに飯がなくなる。そういう境遇は同じなのだが、俺は外に出て働き、いくらかの小銭を得ている。


 粉ひき屋のオジさんは俺の境遇に同情もしてくれていたから焼きたてのソーセージやマッシュポテトなんかをこっそり食べさせてくれていたし、仕事帰りに屋台で出ているアツアツの揚げじゃがで空腹を癒す事だってやろうと思えばいくらでも出来るのだ。


 だが、おとうとは違う。

 おとうとは家から出られず、針子仕事で家にこもる母の目が常に注がれているのだ。


 「家の仕事を完璧にこなせないような子は外に出てはいけません」


 この言いつけをおとうとは、まるで制約のように守っていたものだから、外に出る事もなく一日薄暗い部屋のなか、文字通り灰だらけになって炊事、洗濯と家中の家事を。時には母の針仕事までもこなしていたのだ。


 だからおとうとは、いつでも汚れていた。

 ろくに風呂にも入らず、膝のすり切れたズボンに煤だらけの上着で這いずり回る姿を見た近所の連中はおとうとの事を「灰被り男」やら「灰男」と揶揄した。


 母親は「あのガキがいつも汚れてみっともないから家は笑われるんだ」と嘆いていたが、実際うちを惨めにしているのはあの母親に違いないだろう。

 だがそれを本人が気付いてないのだから仕方ない。


 おとうとは……灰被りと呼ばれる事も気にせず毎日、汚れた服で掃除洗濯、炊事など家のことを一通りこなしていた。

 自分が食べる事もない食事さえ、作っていたのだ。


 ……見かねた俺が市場から、焼いた魚やら、ゆでたてのソーセージやら。小腹を満たせるようなものを買ってきた事は、一度や二度ではない。

 そうすると、おとうとはいつも丁寧にお辞儀をすると。


 「ありがとう、ありがとう兄さん」


 そういって笑うのだった。

 膝のすりきれたズボンも気にせず跪き、床に額をこすりつけるよう頭を下げる姿はまるで「俺こそが信じるべき神であり指標である」というように丁寧で、俺は何だか気恥ずかしくなるのを覚えた。


 そんな俺にさらにおとうとは、続けていつもこういうのだ。


 「でも、兄さんもお腹が減っているんでしょう。ぼくは一日家にいて、掃除、洗濯、料理なんて難しい事はしてないですから、お金があるなら兄さんが少しでも美味しいもの食べて、元気つけてください。ぼくは大丈夫です、ぼくは兄さんが幸せなほうが嬉しいですから」


 俺よりずっと子供のくせに、俺の方が気にかかるというのだ。

 俺よりずっと痩せぎすのくせに、俺にもっと喰えというのだ。

 おとうとは自分を犠牲にする事など何とも思っていない。いや、自分が犠牲になっているなんて、そんな考えすらないのだろう。

 おとうとの中で、自分は最初から「勘定」に入っていないのだから。


 善人というのはきっと、こういう人間の事を言うのだ。

 母や兄ではない、もちろん俺でもない。


 おとうとこそ、神の恩寵を受け救われるべき「善なる人」なのだろう。

 現実では見ての通り、神の善意などこの薄暗い家まで届いてはいないのだが。


 「バカいうな、母さんにひどい仕事を押しつけられて、お前なんてやせぎすじゃないか」

 「ひどい仕事なんてありませんよ? この家は、ぼくの父の家で、ぼくの父はあなたのお母さんと、お兄さんと、そしてあなたを幸せにしたくてこの家を建てたんです。だからぼくはお父さんが出来なかったぶん、みんなを幸せにするため働いてるだけですよ」


 俺よりずっと子供のくせに、この境遇を受け入れているというのだ。

 それが本当に「父が目指した団らんを守る」という大義名分のためなのか、それとも度重なる罵声と虐待とで、おとうとの思考が停止してしまったのか、判別は出来なかったが……。


 「いいから食えよ。俺がメシをもってきた時は、残さず食え。それと、俺がはやく帰ってきた時はお前を手伝わせろ。いいな? 命令だ」


 俺が出来るのは、「父の目指した団らん」という教義を心のより所にしたおとうとを、支えることだけだった。



 ・

 ・

 ・


 音楽隊が練り歩き、市街地には紙吹雪が舞い散る。

 突如の賑わいに困惑する俺の耳に、群衆の声だけがやたらと響いた。


 「舞踏会だ、お城に舞踏会があるぞ」

 「今宵の舞踏会は王の主催だ、派手になるぞ」

 「多く貴族も集まるらしい。豪商たちもみんなそろって派手なドレスを誂えるだろうさ」

 「何にせよめでたい、華やかなパーティになるだろう」


 各々が自由に語る、その口調は誰もが軽やかだ。

 俺はその言葉で、城で舞踏会があるという事を漠然とだが理解した。


 あの城の舞踏会は有名で、かつては庶民が王子に見初められそのまま王妃になったというエピソードがあるという。


 とはいえ、あくまで「王子」が見初めたのは美しい娘だ。

 姫君が美丈夫を見初め「王の器に相応しい」と見初めて娶る事はあるまい。


 だが、舞踏会には貴族や金持ちが山ほど集まると聞いている。

 王子や王女に見初められる事がなくても、金持ちや貴族の物好きなんかに見初められる事は少なくもないだろう。


 ……俺は無理だ。

 父親に似た俺は子供の頃からひどい痘痕の上、燃えるような赤毛がくるくる巻いて、周囲にはもちろん親にすら「おまえはまるで悪い魔法使い(ワーロック)のようだ」なんて、悪態をつかれるほどの見た目だ。

 おとぎ話に出るような呪いをかける魔法使いに似た風体なんざ、いくら着飾ってもたかが知れている。

 もし俺を見初めるような輩がいるのなら、よほどの物好きだろう。


 だが、あいつなら……。

 おとうとならきっと、誰かの目にとまるだろうと、俺はそう考えていた。


 おとうとは、いつも砂埃と灰をかぶり見てくれはひどく汚いが、煤けた下にある肌は蝋のように白くなめらかである。

 継ぎ足して汚れた頭巾の下にある髪は輝くようなハニーブロンドだし、伏し目がちにした瞳はサファイアをはめ込んだようにいつも光り輝いているのだ。


 姫に見初められなくても、あれだけ美しいおとうとならきっと、ここより良い家に貰われていく事だろう。


 そこまで考え、俺は自嘲した。


 舞踏会?

 夢物語だ。あれは貴族や金持ちの出る場所で、自分たちに縁は無い。


 そうだ、子供は粉ひきの仕事をし、母は針子でやっとの思いをして一枚のドレスを仕立てるような貧しい貧しい庶民の家が、どうやったら舞踏会に招かれるのか。


 あれだけの賑わいだ。

 呼ばれて無くても着飾れば、舞踏会に混じれるのでは?


 その考えを俺はすぐに否定する。

 そんな事をしたってそう、衛兵に止められるのが関の山だ。

 下手すればそのまま投獄され、臭い飯を食う羽目になるのだろう。


 だが、何とかならないだろうか。

 何とかしておとうとに、華やかな世界を見せてやれないだろうか……。


 その日俺は、粉ひきの最中ずっとそんな夢想をした。

 舞踏会に招かれた、美しく着飾ったおとうとが貴族に召し抱えられ、このドブの底ったれみたいな生活から抜け出せるような日々のことを……。


 ・

 ・

 ・


 家に帰って最初に俺を出迎えたのは、普段から自室で昆虫標本を作っては新しいコレクションを並べる事を思考の楽しみにしている兄の姿だった。

 母によく似た兄は目鼻立ちも整った中性的な美形だと言えるだろうが、実際に「美青年」と呼ばれるにはもう20kgは体重を落とさなければいけないだろう。

 肥満体の身体を揺らしながら鼻歌交じりで椅子に座ると。


 「ン」


 と言葉少なにテーブルを指出すのだった。


 指し示された先を見れば、羊皮紙であろう巻紙が置かれている。

 元々は封蝋もしてあったのだろうが、今はそれははがされているようだった。


 読め、という事か。

 俺は億劫そうに紙を開くが、文字は所々しか読めない。

 ……俺は兄と違いろくすっぽ学校に行かず、今日も粉ひき場につめていたのだ。簡単な読み書きもまだ出来ない有様だった。


 そんな俺が滑稽だったのか、兄貴は肩をふるわせて笑うと 「どうせお前なんかは読めないだろうから」 と言いたげに俺から紙を引ったくり、その文字を読み始めた。


 「エー……当家、歴代にわたる王政への奉仕に感謝し、この度行われる舞踏会へ参加していただきたい所存……」


 兄貴はどもりながらも、羊皮紙にかかれたその丁重な文面を読み切る。

 どうやらこれは「城の舞踏会」への招待状のようだ。


 深い関わりは今となっては知れないが、俺の義父……母親の再婚相手で、おとうとの実父は庭師か、従僕か……そういった「城につかえる仕事」をしていた人間だったらしい。

 そのよしみで俺たち一家にもお声がかかったという事だ。


 「城といえばご馳走だぜ、いったいどんなうまいメシが出るんだろうなぁ」


 兄貴は舌なめずりをしながら、肩をふるわせ引くように笑う。


 義父が死んで、母の寵愛を一身に受ける立場となってから、兄はみるみる肥っていった。

 養父が生きてきた頃にしていた家の手伝いもやらず、外に出る事もせず、必要なものは何でも母が買いそろえた結果、もう兄は見た目を磨き王族に取り入るなんて欲はないのだろう。

 その頭は、パーティに出る見た事もないご馳走ですでに一杯のようだった。


 一方の母の態度は兄とはまるで違う、飢えた猛獣のように激しく、だがわかりやすく欲望を剥き出しにしていたのだ。


 「今あるお金を精一杯つかって、流行の化粧はどういうものかしら。もうこのチークも、口紅も、バッグも靴もドレスも全部古くない? ……社交界で一目おかれる私に、一晩。もう一晩だけでもいいから何とかして戻らないと」


 兄貴が言うには、母は招待状を見るなり鬼のような形相で家中を這いずり回ったのだという。

 この家にある服……ドレスはもちろん、普段着から作業着果ては寝間着に至るまであらゆるものをひっくり返し「これなら流行にあう」「だがこれなら気品があるはず」とあれこれ試着を繰り返す。


 俺の母は、息子の俺からしてみても、充分美人といっていい顔立ちだった。

 兄と俺と、もう随分年かさのいった子供がいるというのに、かなり若々しくも見えただろう。


 最初の結婚は、あばただらけの醜男とだった。

 見窄らしい男だったが稼ぎだけは一人前で、ちぃちぃ金を貯め込んでいるのがたいそうお気に召したのだが、今後のため将来のためと大きく金を使わなかった事は今でも時たま文句を言う。


 母が見下していた父に、俺は顔も性質もよく似ているらしい。

 この父は仲間のつきあいで強かに酔った後、路上の石を枕にしそのまま寝入ってしまった結果、朝には凍死し見つかったのだという。


 ……当時、「遅く帰った亭主を家に入れなかったせいで凍死した」と言う輩が随分いた。

 「あいつがためた金を使いたくて、早く殺したのだろう」とも聞いた。


 真相は今でもわからないが、俺はたぶんそうだったのだろうと思う。


 父は、母の伴侶にするには実直すぎそして堅実すぎたのだ。

 母はそういう地味でうだつの上がらない仕事一切を好まない性分だったから。


 二度目の結婚をしたのもそう、義父に家があり土地があり生活するのに困らないだけの蓄えをもっていたからに他ならない。


 子供二人かかえて結婚するには容易ではない。

 「妥協は必要だが、妥協したわりには良い男だった」

 義父の葬儀のあと、安酒を傾けた母がそんな事をのたまっているのは今でもよく覚えている。


 ……だからこの舞踏会で、「新しいステージ」に望むのだろう。


 何も王や王子に取り入れなくてもいい。

 爵位のある貴族や金持ちの妾になれば、遅くまで針仕事をするみじめな自分から脱却出来るのだから。


 ……もし、貴族らが望めばきっとあの女は子供を捨てる事も躊躇わないだろう。

 俺は漠然とそう思っていた。


 最も、母は年も年だ。

 養父が死んで1年、おとうとをイビリ抜き、痛めつけ、罵声をあびせ続けた顔はおとぎ話に出る魔女よりも魔女染みている。


 いくら化粧で化けたって、あの本性だけは隠しきれまい。

 貴族や豪商が「美しい女」を好んだとしても隠しきれない性悪さを見抜けぬほどの間抜けは、舞踏会に呼ばれる事もないだろう。

 母の努力は無駄だろうと、密かに確信をしていた。


 しかし、舞踏会に熱中してくれるならそれでいい。

 俺やおとうとに浴びせられる罵声や皮肉が随分減るからだ。


 メシを作るのも忘れて部屋にこもる母に変わり、今日は俺が簡単な夕食を作った。

 兄貴は「こんな粗末なメシ」と文句を垂れていたが、一応喰って部屋に引っ込んでいった。あの肥満体が着飾れる服を探しにでもいったのだろう。


 俺はせっかく調理場を使えるのだからと、いつもより少し豪勢な夕食をつくっておとうとの元へと向かった。


 普段なら夕食すら与えられない弟だからもう眠っているかと思ったが、窓からこぼれる月に向かい何かに祈っているようだった。

 月光の薄明かりが一筋の柱となり、おとうとの周囲を青白く浮き上がらせる。


 綺麗だな、と思った。

 おとぎ話に出る妖精というのは、きっとこのような姿をしているに違いないとさえ思った。


 義父にも似てないおとうとは、死んだ母に似ているのだという。

 そのせいか、おとうとの養子は中性的……というより最早少女のようで、男であると知っていても心の奥底がかき乱されるような。見ているだけでそんな焦れったい感覚に襲われるのだった。


 「おい、飯だぜ」


 そう声をかけた時、おとうとはやっと俺に気付いたようで慌てた顔をしこちらを向く。

 その頬は、月光しか灯りの無い屋根裏の一角でもわかるほど紅く色づいていた。


 「あああぁぁあ……あ、あ、ありがとう! 兄さん!」


 カリカリのトーストにベーコンと卵。

 それだけの食事だったが、塩の味すらしないスープばかり飲まされている俺たちからするとよっぽどご馳走だったろう。


 「すごい! 今日はたまごが入ってるよ。ベーコンも! 兄さん、今日はお祭りなのですか?」


 屈託なく喜ぶおとうとの顔が嬉しくて、俺もつい笑顔になった。


 「いや、祭りじゃないんだけどな……ウチで、舞踏会に行くのがきまって……まぁ、そのお祝いだよ」

 「ぶとうかい?」


 「お城で、綺麗なドレスをきた男と女が……ダンスをしたり、ご馳走を食べたり、流行りの曲を聴いたりする……お城で行われるパーティだな。小さいお祭りみたいなもんだ」

 「へぇ……お城ではそんな、素敵な事が行われるんですね」


 おとうとはそう言うと、食事の前に祈りを捧げる。

 今日の糧に感謝するのは、この家ではおとうとだけだ。きっと義父か、あるいは以前の母から教わったものだろう。


 ……そういえば、と思い出す。

 おとうとは、俺が来る前に月へ向かって何か祈っているようだった。


 「おまえ、俺が来る前から何か祈ってたよな? ……あれ、何を祈ってたんだ?」

  

 日々の糧に感謝するのだから、一日無事に過ごせた事を感謝でもしているのだろう。

 そう思い、何の気なしに聞いてみれば、おとうとの顔はまた真っ赤になる。


 「あ、あ……あれは、何でもないんです! 何でもないお祈りもするんです!」

 「あ、あぁ……そっか、そうなんだな」


 あまりの剣幕だったので、俺はそれ以上追求するのはやめた。


 だが、それにしても「おとうと」は美しい。

 ボロ布をまとい、何ら着飾らなくてもそう思えるのはきっと生まれ持っての気品があるからだろう。


 あるいは、清廉潔白な日々の過ごし方がそのまま容姿に現れているのかもしれない。


 母のような雌豚では無理だ。

 品定めするように男を値踏みし、自分の価値すら省みる事が出来なくなったあの女では、舞踏会に出ても恥をさらすだけだろう。


 兄のような狒々にも無理だ。

 母の寵愛を受け、同世代の連中なら当然知ってる事でさえ知らず、母の言葉を唯一無二の経典とし思考停止したルールもマナーも身についてない山猿では、舞踏会で笑われる未来が目に見えている。


 もちろん、俺だって舞踏会にいっても嘲笑の的だろう。

 読み書きすら教わらず生きてきたこの俺に気品は欠片も備わってないだろうし、何よりひどい痘痕がお。見目麗しい乙女集まる舞踏会では「悪い魔法使い(ワーロック)が来た」と笑われるのが関の山だ。


 だが、「おとうと」は違う。

 この身を豪奢な衣装に包めば。その頬に僅かな紅をさしてやれば。その髪を綺麗な水ですすいでやれば。それだけでこの街に並ぶどの宝石にだってかなわない「美しさ」があるはずだ。


 舞踏会には3人分の招待状が入っていた。

 母と兄、そして俺への招待状だろう。


 だがその1枚をつかうべきは、きっとおとうとだ。

 元より舞踏会への招待状が来た理由は、おとうとの「父」の縁でもあるし、何よりこの美しさを下水道の底っタレで輝かせている必要なんてあるものか。


 「……舞踏会、いきたいか?」

 「えっ? えっと……行きたくないといえば嘘になりますけど……ぼくには相応しくないですよ」


 おとうとは恥ずかしそうな顔を俺の方に向ける。


 「だってぼくは、兄さんより子供ですし。勉強もしてません。掃除も、洗濯も、きちんと出来ないって義母ははによく叱られますし、それに服だってこんな、ボロしかもっていませんから」


 伏し目がちでそう語る姿は美しく、そして愛おしくて。


 「行かせてやる」


 俺の胸に熱い「何か」がこみ上げてくる。

 行かせてやる。いや、行かせてやらなければならない。

 おとうとは舞踏会に行き、輝くべき原石なのだ。


 「えっ? 兄さん……」

 「行かせてやる、必ず俺が……俺はそのために、魔法使い(ワーロック)にだってなってやる」


 その時、もう俺の中では決まっていた。

 弟を着飾らせて、あの華やかな舞踏会につれていってやる事を。


 そして確信する。

 もし人に運命というのがあるのなら俺はきっとそう、弟を輝かせるための魔法使い(ワーロック)としてこの世界にもたらされたのだ、と。


 ・

 ・

 ・


 母は俺も舞踏会につれていくつもりだったが、俺には礼装というものが一着もなかった。

 兄にばかり寵愛を注いだ結果、俺は兄のお下がりばかりだったのが理由だろう。


 だから弟のために一着、きちんとした礼服を手に入れるのは思いの外簡単だった。


 「君が着るには随分と、小さいサイズだねぇ」


 仕立屋はしきりにそう言ってたが、俺はかまわずおとうとのサイズで礼服を作るように注文した。

 半ズボンにサスペンダー、紅いネクタイとベストまでついた礼服はきっとおとうとに、よく似合うだろう。


 母は「服を作ってこい」としか言わなかったし、誰の服をつくれと言われた訳ではないのだからおとうとの服を作っても何ら問題ないだろう。


 おとうとが着るための礼服を注文したその足で、俺は路地裏にある市場に訪れた。

 街では「闇市」とも呼ばれているその場所は無数のテントでひしめき合い、やれ幸運を呼ぶ猿の手だの、魔除けの目玉だの、部族いち勇猛な英雄の干し首だの胡散臭い代物が並んでいる。

 そんな中、俺は街でよくみかける占い師の婆さんがやってる店に向かった。


 「やんれ、赤毛の魔法使い(ワーロック)じゃないかね。ワシの店はお前のような悪ガキが見て面白いモンなんてないさね」


 すっかり白くなった髪を結い上げた婆さんは俺を見るなりそう言うと、「キッチッチッ」と鼠の鳴くように笑って見せる。

 痩せぎすで黒ローブを身にまとい、水晶だのタロットだの並べて椅子にあぐらをかく姿はまさしく「魔女」と呼ぶに相応しい姿だろう。


 その外見のせいもあって「目をあわせたら呪われる」なんて噂もたつ老婆だが、これで実は事情通であり、貴族や豪商、航海士なんかはこの婆の占いを頼りにするというのだからたいした物だ。

 同時にこの婆は「呪い道具」として、幸運を呼び込む宝石や香草なんかも扱っている。


 俺の目的は、その婆が売る「魔法の水」だった。

 小さな茶色の瓶につめられたそれは「意中の相手に気に入られる魔法の水」という名目で売られており、その正体はバラの香水だという。


 香水なんて高価なもの、下町育ちの俺に手が届くはずがない。

 だがこの婆が売るものは呪い道具の一つとして、比較的安価で買い受ける事が出来たのだ。


 ……安価とはいえ俺が密かにためてきた銅貨のほとんどが吹き飛ぶ値段な訳だが。


 「やめろよ婆さん、別に悪戯目的であんたの世話になろうってんじゃないんだ……いや、ある意味ではでっけぇ悪戯かもしれないけどな」

 「さぁて、何の悪戯をするつもりだい? ここには魔術は売ってるけど、生憎悪さできるような道具は売ってないさねェ」


 手元で水晶玉を弄びながら、老婆はまた「きっちっち」と鼠の鳴くような声で笑う。

 俺はテントの中にある胡散臭い「魔法道具」の中から茶色の小瓶を見つけると。


 「舞踏会でいっとうに綺麗な奴を、いっとうに綺麗に見せる魔法を買いに来たぜ」


 呪い師の老婆を茶化すようにいえば、彼女も興が乗ったのだろう。


 「それならお前の手にある小瓶はちょうどいい魔法になるだろうさね。そいつぁ、かつては惚れ薬として使われていた一品じゃ」


 そしてまた「きっちっち」と笑うとしばらく視線を彷徨わせ。


 「日頃醜い、醜いとさげすまれているものがそう。目を引くほど美しいと知れ渡る瞬間は楽しいからのォ、ワシも楽しみにしておるけぇ、せいぜいおまえもうまくやるこったね」


 まるで俺がこれから何をしようと目論んでるか、もう全て見通しているかのような事を言うと椅子に深く身を預けた。


 「見てろって、本物の魔術師ワーロックの力、見せてやるからな」


 威勢良く啖呵を切って、俺はまた走り出す。

 テントの向こうから椅子が揺れる音だけが微かに聞こえていた。



 そんな風にして、舞踏会が来るその日まで俺は昼も夜もなく、町中を這いずり回った。


 礼服に必要なシルクハットは1日だけ借り受けるだけ、という条件で帽子屋に取り付けた。

 そのかわり、お茶会のためスコーンを焼くのを散々手伝わされたが安いものだ。


 馬車の手配はそう。

 郵便馬車を使う御者に頼み込んだら何と「カボチャの収穫を手伝えば夜中に出してやる」なんて、ふざけた頼みを聞いてやり、その日は帰りが夜になった。


 細かいアクセサリーやコサージュなんかは、町中のネズミを駆除した賃金でまかなう事にする。

 最近増えた鼠のしっぽを農家や工房にもっていけば、それが幾ばくかの銅貨に変わるのだ。


 こうして、何とか衣装の都合はついた。

 ただ一つ……あいつの足にあう靴だけは、とうとう手配が出来なかったので。


 「仕方ないがこれでいいか」


 と、古くなった俺の靴に工房でちょろまかした銀色の塗料を塗りつけておいた。

 見た目は古い革靴だが、塗料のおかげでガラスの靴にでも見えれば僥倖だろう。


 そうして、慌ただしい日々はあっという間に過ぎていった。


 ・

 ・

 ・


 舞踏会当日。

 「俺はいけない」と言えば怒り狂うと思った母は、存外に冷静のまま兄をつれ馬車に乗り込んでいった。

 元よりあばた顔の俺なんて、いないほうが良かったと内心思っていたのだろう。


 夕刻が過ぎ、おとうとと二人で今日も目玉焼きとトーストの夕食を食べる。


 「今頃、お母様とお兄様は晩餐会なんでしょうか」

 「だろうな」


 「楽しんでるといいですね」

 「そうだな」


 食事中、俺はもうすっかり浮き足立っていた。

 いつ馬車が来るのか。いつ着替えるのか。そういう算段ばかりしていたものだから。


 「そろそろ寝ますね、おやすみなさい」


 そうしておとうとが部屋に帰った後は、熱したポットの上にある蓋のように激しく動き出した。


 ベッドのシーツを巻き、藁でつくった三角帽子をつけて。見た目はそう魔法使い(ワーロック)のようになったろう。

 いつもと違う自分になって、おとうとの部屋に赴くとノックもろくにしないままいきなり部屋へと乗り込んだ。


 「我こそは! 天より使わされた魔術師ワーロックなり! 日頃この家に縛られながらも健気に仕事をこなすお前のために、今宵は一夜の夢を見せよう!」


 自分ではうまくやれたと、そう思っていたのだが。


 「誰ですか!? ……にいさん? 何でそんな仮装してるんですか?」


 変装は一目で見破られた。

 ……声色をかえてもシーツをかぶっても顔が出てれば仕方ない。

 けれども俺は構わず続けた。


 「おい、おまえ」

 「はい、兄さん!」


 「おまえはいつも、家で一人。炊事も家事も掃除だってイヤな顔一つせず懸命に行い、健気に働いている。そのご褒美として今日は、お城の舞踏会につれていってやるとしよう」

 「何をいってるんですか、兄さん? ぼくの服は見ての通り、つぎはぎだらけのボロです。こんな汚い装いじゃ、お城はきっと困りますよ」


 「心配するな、我は名の知れた魔法使い(ワーロック)だ。お前の服などほれ、この通り。しっかり準備してあるわい」


 俺は得意げに言うと、隠していた礼服を取り出す。


 シワ一つないワイシャツに、ベスト。

 綺麗な紅のネクタイはきっと、おとうとが初めて着る礼服だったろう。


 「わぁ……すごい! これ、どうやって着るんですか?」


 見た事ない服だったから着るのに多少手間取ったが、それでもその衣装に身を包めば。


 「綺麗な服……ありがとうございます、兄さん!」


 宝石のように美しいと、そう思っていた俺の大事なおとうとは、本当の宝石のようにきらきらと輝いて見えた。


 「でも兄さん、ぼくはいつも土を被り、灰を被り、家じゅうを掃除してまわった身体です。こんな身体ではきっとお城ではすごく臭うと思います。やっぱりお城にはいけません。ぼくは、兄さんのそばでいいですよ?」


 それでも尻込みするおとうとに、「心配するな」と声をかける。

 そしてあの胡散臭い占い師が「とびっきりの魔法だよ」と言いながら売ってくれた小瓶にある液体をおとうとの身体にふりかけてやった。


 茶色の小瓶から振りまかれる液体は月の光を浴びて、星のように輝いて見える。

 同時に部屋の中はまるで薔薇屋敷が眼前に現れたかのように、芳醇なバラの香りで包まれた。


 「兄さん、すごくいい香りがします。兄さん、すごい! 兄さん、本当に魔法使いなんですね!」


 おとうとは慣れない礼服をぎこちなく着ながら、それでも無邪気にはしゃいで見せた。


 「……いっただろ、俺はおまえのためになら、本物の魔法使い(ワーロック)になるって」


 俺は何だか嬉しくなって、弟の手をとるとその指先に唇を重ねる。


 遠くから馬車の足音が聞こえてきた。

 カボチャの収穫を手伝った約束通り、迎えの馬車を出してくれたのだろう。


 「さぁ、これが招待状だ。これをもって、舞踏会へ。おまえが灰を被り這いずるだけの男じゃない。本当は夜空に瞬く星にすら勝る美しい宝玉なんだと、街中に知らしめてやってくれ」


 俺の言葉が最後まで言い終わる前に、馬車は家の前に来た。

 おとうとは、微かに笑うと馬車に乗る。


 ……靴は俺のお下がりだから、少し大きかったのだろう。歩くたびにかぽん、かぽん泥濘に足をとられるような音がした。

 だが銀色に塗ったのは良かったか、月光に照らされたおとうとは、いつもよりずっと、ずっと綺麗に見えた。


 「母さんが帰ってくる前に帰らないと後々うるさい。0時までには帰ってくるんだよ」

 「はい、兄さん!」


 馬車に乗り込むおとうとを見送り、俺は「魔法使い」から、ただの痘痕男に戻った。


 舞踏会がどうなったか、わからない。

 だけどきっと、みんなが知る事になるのだろう。


 何ものにも代えがたい美しさが、この街にあるのだという事を。


 ・

 ・

 ・


 翌日、舞踏会に現れた「少年」の噂で街は持ちきりだった。


 白い肌、憂いを含んだ目。星のように瞬く柔らかな髪。

 不慣れな礼服を着て歩く姿すら愛らしいと、姫や娘たちはもちろん、王や王子、多くの貴族までその姿に釘付けだったという。


 街では「宝玉の妖精」やら「流れ星の欠片」やら「精霊の王子」やら、様々な美しい言葉でおとうとは形容された。


 帰り際、慌てて走って帰ったため、靴を片方落とした事から「この靴の持ち主を」と探している貴族もいるという。

 銀色に塗っただけのボロの革靴に「俺こそが」「私こそが」とこぞって足を突っ込む少年が、後を絶たないそうだ。


 もし見つけたらきっと、自分の召使いにするつもりか。

 あるいは貴族として教育を施し、良い縁談を結ぶための道具にするつもりに違いない。


 どちらにしても別に貴族になれるという訳ではないが、それでも庶民の生活を続けるよりずっと楽な生活が出来る。

 そう思う人間がこの街には多いのだろう。


 ……母が家に帰った時、うわさの「少年」が正体は何となく気付いていたんだろう。


 俺はその顔を、手を、足を。

 身体の打てる場所という打てる場所全てを樫で出来たステッキで強かに殴られた。


 だが、元より醜いこの顔だ。

 今更青あざの一つや二つ作っても恐れられる事はない。


 翌朝、顔じゅう痣だらけの俺を見て、占い師のばあさんは「ひひぃっ」とまた、引くように笑った。


 「楽しませてもらったよ、坊や。久しぶりにいいものが見れた」


 そして「腫れが引く」という怪しい軟膏を俺のポケットにねじ込み、何処かへと消えていった。

 俺はその軟膏のにおいをかいで。


 「……ドクダミの臭いがする。ひでぇもんだ」


 そんな事をつぶやいてから、いつものように粉ひき場へと向かった。


 粉ひき場での生活は変わらない。

 ひいた粉を袋につめ、かついで荷馬車にのせ、また粉をひく。

 何もかわらない毎日だが、俺は「やり遂げた」という思いを抱いていた。


 今まで俺の傍らでしか光ってなかった宝物を、この街中へと知らしめたのだ。

 俺の企みは全てうまくいっただろう。


 ただひとつだけ誤算だったのは、そう。


 あれから、おとうとが帰ってこなかったという事だった。


 ・

 ・

 ・


 事故にでもあったのだろうか。

 それとも事件に巻き込まれたのか。

 思いがけぬ事態に巻き込まれ、姿が現せないのだろうか。


 漫然と考え、仕事を終えたらおとうとを探す。

 そんな生活が続いた。


 母は、まるで魂が抜けたように椅子に座り呆けるようになっていた。

 舞踏会で自分が主役になれなかった悔しさ以上に、それまで虐げてきた養子が煌びやかな世界でも堂々と輝いていた事によるショックが大きかったように思えた。


 兄は……母の寵愛を受け、母がいなければ何も出来ない兄は、ただ焦燥にかられるだけだった。

 幸い、メシを与えていればおとなしいからいつも適当にパンを焼いて食べさせていればあとは部屋にこもっていた。


 俺は……。

 家に帰ってもいる所はなく、街に出て、おとうとが何処にいったのか探す日々が続いていた。


 俺にとってそう。

 あの家はずっと前から、俺の居場所なんてなかったのだ。


 ただ「おとうと」がいたから帰っていた、それだけで……。

 おとうとがいなければ、俺の居場所は何処にも無いのだ。


 (せめて、どこかで幸せであれば……)


 おとうとが、せめてどこかで幸せにしていてくれれば。

 その姿を一目でも見る事が出来たのなら、それならば俺も諦めて、あの牢獄のような我が家で骨を粉にするまで働くのも苦では無かっただろう。


 だがおとうとに何かあったのなら。

 もし困っているのなら助けてやりたいと思うし、理不尽な不幸に見舞われているのなら俺がかわってやりたいと思っていた。


 俺は。

 俺の感情はそう、最早「家族」は超越している。


 おとうとへの強い信仰、狂信、盲信……いや。


 愛。

 俺は、おとうとを愛していた。


 ずっとずっと愛していたから、ずっとずっと幸せにしてやりたかったのだ。

 俺にできないのなら誰かの元で、ずっとずっと幸福に……。


 だからそう、おとうとが幸せにしている姿を一目だけでも見ておきたかった。

 そうしなければ俺はずっと、自分がした一夜の戯れ言を永遠に後悔する事になるのだろうから。


 月明かりの下、当てもなく歩く。

 以前、熱に浮かされたような心持ちで行った戯れの日も、今日のような満月の夜だった。

 つまりあれから、一ヶ月はたっているという事か。


 一ヶ月。


 少年が一人街で投げ出され、生きていける時ではないだろう。

 諦めた方がいいのだろう。


 自分の浅はかな行動で、永遠におとうとを喪ってしまったのだ。

 自分のせいで。

 自分の。


 「ざまぁねぇなぁ……」


 それからはもう、脳髄の全ては「死」という絶望に支配されていた。


 首をくくれば罪滅ぼしになるか。

 溺死して苦しんだ方が許されるか。

 燃える水を浴び、火だるまになれば贖罪になるか。


 贖うにはどうしたらいいか思慮を巡らせていた、その時。


 「にいさん」


 目の前に「おとうと」がいた。

 一ヶ月前と同じ姿、ただし片足は素足だ。


 舞踏会の時に靴を落としたまま……そのままの姿で、おとうとが姿を現したのだ。


 「おま……どうし……て」


 驚き戸惑う俺の身体に、おとうとが飛びついてくる。


 「あいたかった! 兄さん、ごめんなさい。長くなってしまいました。でも、もう大丈夫です」

 「……大丈夫? 何が。いや、どうして……おまえ、一ヶ月もどうして……!」


 「一ヶ月、貴族のグレミナ公の下で召し使いとして働いていました。お金ももらって……」

 「グレミナ公?」


 その名はこの街で知らないものはない、王家に並んでも遜色ない名家の一つだ。

 貴族にしては贅沢を好まず、慎ましいながら規律正しい生活を送っているという「騎士」の心をもつ貴族だと街で噂されている。


 「占いのお婆さんの、ツテだそうです。もし、あのまま僕が家に帰ったら、きっと母さんに殺されてしまうから、グレミナ公の庇護で生活出来ないかと、そのように口添えをしてくださったんだそうです……兄さんもそうしたらいいって、占いのお婆さんがいってましたから、お言葉にあまえてグレミナ公の下、働かせていただきました」


 占い師のばあさんは顔なじみだが、グレミナ公とつながりがあるとは聞いた事がない。

 もちろん、この口添えも知らなかった。


 (あのババア、知ってるなら言ってくれれば……)


 そう思ったがあの婆は「金を払わなければ教えない主義」だ。

 必要な事であっても、きっと話はしないだろう。


 「グレミナ公は、ぼくの境遇を知っていてくれました。いつも、母の言いつけで家のまわりの仕事をしている事。食事を与えられてない事。それをいつも、お月様に祈っていたから、グレミナ公にちゃんと聞こえていたって」


 そんなはずはない。

 あの婆の口添えか……あるいは口添えがなくても、もう街中に知られてる事だ。

 グレミナ公のような立場の人が庶民の噂を気にすると思えなかったが、あるいは聞いた事もあるのかもしれない。


 「いや、ちょっとまて。どうしてグレミナ公に庇護されてるおまえが、いま、ここにいるんだ?」


 グレミナ公は貴族のなかでも最も「栄誉ある」うちの一つだ。

 この下町で一生終えるよりずっと裕福な生活が出来るのは間違いないだろう。


 それなのに何故、その庇護を受けていたおとうとがここにいるのだろう。

 そのこたえに、おとうとは。


 「兄さん、手をぎゅっとしてください」


 そうして手を差し出すのだった。

 俺は何だか合点がいかないまま、差し出された手を握る。


 宝石のように輝く肌は、相変わらず温かく、そして柔らかかった。


 「……グレミナ公は優しかったけど、ぼくのいる場所じゃなかったんです。ぼくのいる場所は、いつもぼくを見ていてくれて、ぼくを心配してくれて、ぼくと一緒に笑ったりしてくれる。そういう人が、いるところ」


 俺の手の中でもわかるほど、高鳴る鼓動の音がする。


 「……グレミナ公から、一ヶ月ぶんのお給金いただきました。だから……兄さん、ぼくを……ぼくを連れて、いっしょに、行きましょう」

 「おまえ……」


 「どんな所でもぼくは、兄さんの隣ならきっと楽しくすごせると思えるんです! ぼくの望んだ楽園は……たぶん、そこにしかないのだから」


 バカじゃないか。

 こんなあばた顔の醜い男の何処が良かったんだ。


 世界に出ればもっと美しいものを見る事だってあるだろう。

 その先にもっといい「場所」もあるに違いない。


 頭のどこかでそれはわかっていた。

 それでも。


 「……わかった、いくぞ」


 俺はおとうとを抱え、月を背に歩き出す。


 「楽園にでも、妖精の国にでも……どこでもいい。おまえの好きなとこ、つれていってやる。俺は……魔術師ワーロックだからな」


 おとうとの小さな身体を、強く抱きしめる。

 街の灯りは遠くなり、空には無数の星が祝福するかのように輝いていた。

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