3.再会
迎えが来るみたいなので、もう大丈夫ですって言ったけど、親切な男の人は、
「じゃあ、その人が来るまで、ね」
と結局、ずっとわたしに付き添ってくれた。
どれくらい経った頃だろう?
「ハル!」
俯いて目を閉じていると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「大丈夫か!?」
その声に顔を上げて目を開けると、カナの心配そうな顔が目の前にあった。
まだ少し霞んでいるけど、カナの顔がちゃんと見えた。
「……もう、大丈夫」
貧血もあったけど、どちらかというとただの乗り物酔いだったみたいで、揺れない場所に座って休んでいる間に大分楽になった。
うっすらとではあったけど、何とか笑みを見せるとカナがホウッとため息を吐いた。
「……よかった」
カナの心底安心した……という感じのつぶやきを聞くと、本当に悪いことをしたなと思う。
カナは、わたしの無事を確かめるように、わたしの頭をギュッと抱きしめる。
恥ずかしいからやめてって思ったけど、心配をかけた自覚はあったから言えなかった。
それからカナは、隣の人に頭を下げた。
「どうも。お世話をおかけしました」
ようやく見えるようになったその人は、五つ上のお兄ちゃんと同じくらい、多分大学生くらいの男性だった。
優しそうなその人は、
「いや、ボクは何もしていないから」
とにっこり笑うと、
「じゃ、お大事に」
と軽く手を上げ、電車待ちの列に向かった。
「なんで一人で行っちゃうんだよ」
ブツクサ言いながら、それでも安心したように、カナはわたしの隣に腰かけた。
「出かけたいなら、オレに言えば良いだろ?」
恨みがましいカナの声。
でも、どうして知ってるの?
言葉にしていないのに、顔に出ていたのか、カナは続けた。
「ハルんち、大騒ぎだったぞ」
「え?」
「オレ、こんなことになってるって思わないから、ハルんち行ったんだよな」
幼なじみだし隣の家だし、カナは連絡なしで、よく家に遊びに来る。
「そしたら、ハル、いないって言うじゃん?」
「……うん」
先を聞くのが怖くなってきた。
「沙代さん、運転手さんが家にいるって知って、青くなってたぞ」
また心配をかけてしまった。
って思うけど、でも、少しくらい信用してくれてもいいのにとも思う。
「おばさんに電話したら、オレと出かけるように言ったって言うし、だけどオレ、なにも聞いてないし。
行き先が決まってるなら、とにかく追いかけなきゃって思って、飛んできたよ」
「なんで?」
「なんでって……まあ、オレだって過保護だとは思うけどな」
カナはなだめるようにわたしの頭をなでた。
「だけど現に具合悪くして、途中下車してるだろ? だから心配するんだよ、みんな」
返す言葉がなくて黙っていると、カナは、
「何にしても無事で良かった」
ってもう一度、わたしの頭を抱き寄せた。
そのままカナは、なかなかわたしの頭を放してくれなかった。
放さないままに、頭から背中に手を下ろし、わたしをぎゅっと抱きしめる。
そうして、大丈夫とでも言うように、背中をトントンと優しく何度も叩かれた。
え……っと。わたし、迷子になって泣いてる子どもじゃ、ないんだけどな。
「……あの、カナ」
「ん? あ、苦しかった? ゴメン」
何も言ってないのに、カナは我に返って、ようやくわたしを放してくれた。
「あ、ハルん家には、見つけたって連絡しといた。けど合流したって連絡はまだだから、しとくか」
わたしの困ったような顔を見て、カナはクスッと笑った。
それから電話をポケットから取り出した。
本当は自分でしなきゃいけないんだろうけど、合わせる顔がないというか何というか……。
見つけたって連絡してくれたなら、きっと、具合が悪そうだったっていうのも報告されちゃったんだろうし……。
「あ、じいちゃん? ハルと合流したから。おばさんとか沙代さんとかにも伝えて」
え? おじいちゃん?
……ああ、ママはお仕事だし。パパは出張中だから。
「ん? 代わる? ちょっと待って」
差し出された携帯を受け取ると、少しだけ躊躇ってから電話に出た。
「おじいちゃん? 陽菜です。ごめんね、心配かけて」
「いいよいいよ。無事ならそれでいい」
電話の向こうから、おじいちゃんのホッとしたような声が聞こえてきた。
優しく言ってもらうと、なおさら申し訳なくなる。
「具合、悪くないか? カナくんから見つけたって連絡があった時は、調子が悪そうだって言っていたけど」
「大丈夫よ。乗り物酔いしたみたいで、途中で降りただけだから。もう平気」
「そうか。無理しちゃダメだぞ。車、回そうか?」
「え? まだ用事済んでいないから、また電車に乗るもの」
おじいちゃんはわたしの言葉を聞いて、一瞬黙り込んだ。
それから、
「そうか。……じゃあ、カナくんに代わってくれるかな?」
と言った。
何か言われる気がしたのにと思いながら、カナに電話を手渡す。
おじいちゃんは基本的にわたしに甘い。もしかしたら、叱られたことなんて、ないかも知れない。
心配をかけたのに怒られることもないというのが、逆にいたたまれない。
「じいちゃん? 割と元気だったろ? 安心した?」
カナは努めて明るく話している。
おじいちゃんに心配をかけないようにと、意識してくれているのが分かり、申し訳なくなってしまう。
実際、もう大丈夫。だけど、親切なあの男の人がいなかったら、きっと電車から降りた時、倒れていた。
「ああ、大丈夫。ハルが、そんなに電車に乗りたいなら、オレがちゃんと連れて行くから。どうしてもの時は車頼むよ。タクシーでも別に良いしさ。……分かってる。大丈夫、それくらいならあるし、カードも持ってるし」
どうやら、カナはわたしを電車に乗せて、目的地までちゃんと連れて行ってくれるつもりらしい。
「ありがと。じゃあ、何か使ったら後で請求する」
ほどなくして電話を切ると、カナはにっこり笑ってわたしを見た。
「もうそろそろ、動けそうだな?」
「うん」
「行きたいんだろ? 電車で」
「うん」
「じゃ、特急券買って来るから、少し待ってて」
「……特急券?」
「だよな。やっぱり知らなかったよな」
カナが笑った。
「ハルが下りたのが、特急が止まる駅で良かったよ」
何のこと?
首を傾げると、カナは笑って、また、前触れなくわたしをギュッと抱きしめた。
……カナ。だから、恥ずかしいってば。
自分の顔が赤くなるのを感じた。
それで、ようやく、本格的に貧血も乗り物酔いも治まったのが分かった。
「少しお金払ったら、指定席が取れるんだ。止まる駅も少ないし、座席もゆったりしていて乗り心地も良いし速いし。これならハルでも大丈夫だろ?」
「そうなんだ?」
わたしが目を丸くすると、カナが優しく微笑んだ。
「ちょっと待ってて。すぐ買って来るから」
そう言って行きかけたのに、カナは何か忘れ物を思い出したかのように、くるっと回れ右をして駆け戻って来た。
「どうしたの?」
「あのね、ハル」
「うん」
「オレがいない間に、男の人に話しかけられちゃ、ダメだからね」
……え?
「ここ」
とカナが、さっきまで自分が座っていた席を指さす。
「誰も座らせたら、ダメだよ」
カナが来るまで、親切な男の人が座っていた場所。
それから、カナはしょっていたリュックを、無造作にわたしの隣に置いて、ポカンとしているわたしの頭をくしゃくしゃっとなでると、今度こそ駅の階段に向かって駆けだした。




