19.志穂の歓喜
月曜日。
二週間ぶりに登校した陽菜は、いつものように叶太くんと一緒に教室に入ってきた。入院前と同じに、硬い表情。そして、隣に立つ叶太くんも浮かない顔。その理由を知っているわたしは、ちょっと申し訳なくなる。でも、しらばっくれて笑顔で声をかけた。
「陽菜、おはよう!! 叶太くんも、おはよう」
陽菜はわたしの顔を見ると、にっこり笑ってくれた。
「しーちゃん、おはよう」
久々の陽菜の姿を見つけて、亜矢と梨乃も集まってくる。
「ハルちゃん、おはよう!」
「大丈夫? まだ調子悪い?」
「ううん。もう大丈夫。ありがとう」
陽菜はいつものように穏やかに笑う。ムリしているんじゃないかって心配になる。梨乃が気にするくらいに、顔色も冴えないし……。
でも!! でも!! それも、今日までだから!!
待ってて、陽菜! 今日は、羽鳥先輩からの、最高のプレゼントがあるよ。
後、三時間。後、二時間。わたしは、時計を見るたび、時を数える。
休み時間、叶太くんが席に来た。わたしと陽菜の席は結構、離れている。だけど、叶太くんは声を潜めて言った。
「なあ、志穂、どうなってんの?」
「ん? なんのこと?」
「羽鳥先輩が……」
「羽鳥先輩が、どうかした?」
叶太くんが困ったような顔をした。分かっててしらばっくれるのも、疲れるもんだ。
「ごめん。わたし、陽菜んとこ行ってくるね~」
叶太くんとこんな風になってしまってから、陽菜は休み時間、一人で過ごしていることが多い。陽菜は、誰かとつるんでいないと落ち着かないっていうタイプじゃなくて、叶太くんがいなくても静かに本を読んだり、ぼんやり考えごとをしたり、誰か他の人とおしゃべりしていたり、ちゃんと一人で過ごしている。陽菜の周りは、いつもゆっくりと時間が流れているような気がする。そうして、必要な時には、ちゃんと声をかけてくるんだ。
むしろ叶太くんの方が、陽菜がいない時間をもてあましているように見える。
「陽菜~」
「ん? どうしたの?」
陽菜が教室にいる、それだけで、わたしは浮かれていた。
「ねえ、今日、いいことがあるからね?」
これくらいは、いいよね?
「そう?」
陽菜は不思議そうな顔をして、小さく首を傾げていた。
昼休み!!
「志穂、なに、そんなに浮かれてんの?」
梨乃に言われて、「ちょっとね」なんて答えてみる。
「陽菜、呼んでくる~」
机を四つ準備して、陽菜を迎えに行くわたしの後ろで、梨乃と亜矢が、
「志穂、なんかおかしくない?」
「ハルちゃんが、好きなだけじゃない?」
とか話しているのが聞こえた。
プツッと小さな音がして、昼休みの放送が始まる。聞き慣れた音楽が流れる。いつもより大きい音。ふふ。休み時間に大きくしておいた。
「皆さん、こんにちは! 今日も五月晴れ。気持ちいいですね。さて、今日はちょっとしたイベントを用意しています。BGMだと思って聞き逃さないようにしてくださいね。準備はいいですか? 耳を澄ませて聞いてくださいね。昼休みも短いので、早速、行きますよ~!」
そんな前振りの後、ポップな音楽が流れ出した。期待させておいて、BGMじゃん……と思い、大きなスピーカーを見上げた人もいた。
けど、続く声を聞いて、クラス中のみんなが、目を見開いた。
「だけど、オレ、ハルが好きだから!!」
一瞬で、教室の中から、すべてのざわめきが消えた。次の瞬間、全員の視線が、叶太くんの元に集まった。
BGMに乗って、次々に叶太くんの台詞が飛び出す。
「オレ、ハルのこと、本当に好きなんだ!!」
「先輩、知らないだろ。ハルがどれほど優しくて、暖かくて、可愛くて……」
「オレがハルのどこを好きか? 全部に決まってるだろ?」
「あえて言うなら? …………ムリ! 選べない!!」
「いつから? 四歳のときからずっとだよ」
「初恋は、もちろんハルに決まってるだろ」
台詞三つめくらいから、少しずつ、クラスにざわめきが生まれ始めた。
最初、呆然とスピーカーを見上げていた叶太くん。次に、真っ赤になって片手で頭を抱えた。それから、わたしの方を見たから、わたしは、にっこり笑ってVサインを見せる。叶太くん、何とも言えない顔をした。
陽菜はやっぱり驚いた顔をして、大きな目を真ん丸にして……。
梨乃と亜矢は、陽菜の顔を見て、それから遠くにいる叶太くんを見やった。
それから、BGMがゆったりした、綺麗な曲調のピアノ曲に変わった。
なんだっけ、って思っていると、陽菜がつぶやいた。
「……愛の夢?」
そうして、叶太くんからのラブレターの朗読が始まった。
◆ ◆ ◆
ハル。
ハルと出会ってから、丸11年が経ち、12年目がはじまったね。
オレがハルと出会ったのは、オレたちが4歳のとき。
ハルんちは、ハルの入園に合わせて、牧村のじいちゃんちの裏に家を建てて、引っ越してきて、だけど、隣の家なのに、ハルと初めて会ったのは、幼稚園でだった。
小さなハルが年中さんの部屋にいるのを見て、ピカピカの名札と制服を見て、オレ、年少さんの新入園児だと思って、うっかり、ハルの手を引いて、年少さんの部屋に送っていった。覚えてるかな?
小さくて可愛いなってのが、最初の印象。
それから、オレはハルと一緒に遊びたくて、いっぱい、ちょっかいかけたよね。ハルはいつもニコニコして、楽しそうだった。
だから、オレ、5月の運動会の練習してたとき、ハルと一緒に走りたくて、ハルを誘ってしまった。
ハルは走って、それから心臓の発作を起こして、倒れて、救急車で運ばれた。
オレ、驚いてさ。本当に、そんなことになるとは思ってなかった。
ハルちゃんは走れないんだって先生が言ってたけど、気にもしてなかった。ひどいよな。
◆ ◆ ◆
叶太くんの声が、丁寧に言葉を綴る。
陽菜は、今も大きなスピーカーを見上げていた。そこに、叶太くんがいるわけじゃないのに。同じ教室に叶太くんがいるのに。
クラスの人の半数は叶太くんを見て、半数は陽菜を見ていた。
そして、全員が耳を澄ませて、スピーカーから流れる叶太くんの声を聞いていた。
叶太くんは呆然としつつ、視線を陽菜に移した。
◆ ◆ ◆
でも、オレ、あれは運命だったと思う。
ハルはちゃんと、戻って来たし。半年も入院したけど、ちゃんと戻って来たし。
あの時、ハルが倒れて入院した時、オレ、本当に驚いて、泣きながら親に話して、それから毎日病院に押しかけた。
まだ容態が落ち着かなくて、会えないのに、毎日、ハルの病室に来るオレを可哀想だと思ったのか、ハルの母さんが、特別に面会謝絶中のハルに会わせてくれた。ハルが倒れて、一週間か二週間くらい後だったかな。
ようやく会えたハルは、まだ心電図とか、酸素マスクとか、点滴とかいっぱい付けてて、それを見て、オレ、大泣きしたんだよな。
ハル、覚えてる? オレ、ベッドサイドまで行って、「ハルちゃん、ごめんね、ごめんね」って泣きながら謝ったよ。そしたらさ、ハル、こう言ったんだ。
「あのね、はるなが悪いんだよ」
オレが泣いてると、ハルはオレの頭をなでてくれて。
「ママにも、パパにも、おばあちゃまにも、おじいちゃまにも、おにいちゃまにもね、はるなは走っちゃダメだよって言われてたの。はるな、知ってたのに、みんながあんまり楽しそうだったから、はるなも走れるかも知れないって思って、走っちゃったんだよ。ね? だから、はるなが悪いんだよ。カナタくん、泣かないで」
オレさ、そう言われて、もう、泣けて泣けて仕方なくって、涙が止まらなくて、そしたら、ハル、酸素マスクはずして、オレのこと抱きしめてくれた。
それから、ハルは、オレの背中をトントンってやりながら、「だいじょうぶだよ。怖くないよ。はるな、だいじょうぶだからね」って、言って抱きしめてくれた。ずっと、ずっと。
ハルのお母さんが、酸素マスクをしなさいって言うまで、ずっと。
オレ、自分が死にかけてさ、苦しい思いしてさ、まだぜんぜん、良くなってないのに、それなのに、そんな目にあわせた張本人に、そんなこと言えるってことに驚いて。なんて、心の綺麗な子なんだって思った。
オレ、あの時、恋に落ちたんだ。ハルが、オレの初恋だよ。
◆ ◆ ◆
陽菜の肩をトンと叩いて、叶太くんの方を指さした。陽菜がわたしの指が示す方を見る。二人の視線がぶつかった。陽菜の肩が震えたと思ったら、大きな目から大粒の涙があふれ出した。ポロポロとこぼれる涙を拭こうともせずに、陽菜は叶太くんを見つめていた。
◆ ◆ ◆
オレが守るんだって、思った。二度と、あんな苦しい思いさせたくないって、思った。
ごめんね、ハル。オレ、ハルが好きで好きで仕方なくて、いつもハルのこと束縛していたかも知れない。
初恋は4歳のときだけど、オレ、何回でもハルに恋してるよ。あの時より、もっともっと、ハルが好きだよ。ハルと一緒にいるだけで幸せで、ハルの声を聞くともっと幸せで、ハルの笑顔が見れた日は、オレ、嬉しくて空だって飛べそうだ。ハルはいつもニコニコ笑ってくれて、オレ、だから、毎日本当に幸せだった。
ハルは、こんな何の特技もない、オレみたいなヤツはイヤかも知れないけど。それでも、オレ、ハルを好きな気持ちだけは、誰にも負けないから!!
だから、ハル、こんなオレだけど、オレに、ハルのこと、一生守らせてください! 一生、オレをハルの一番近くにいさせてください!!
広瀬叶太
◆ ◆ ◆
スピーカーの中の叶太くんが自分の名前が読み上げ、少しして、BGMがフェードアウトした。
斎藤くんが、叶太くんの肩を叩いて、若草色の封筒を手渡した。それから、何か言った。口の形からして、たぶん、「ほら、行けよ」。
叶太くんが立ち上がる。
他のクラスから、すごい歓声が上がっているのが聞こえてきた。でも、うちのクラスはとても静かで、誰も、一言だってしゃべったりしてなくて、叶太くんと陽菜を固唾をのんで見守っていた。
叶太くんがゆっくりと歩いてくる。顔が真っ赤だ。かなり緊張してる。右手と右足が一緒に出てるよ。こんな時なのに、ちょっとおかしくなって思わず笑顔になる。
叶太くんが陽菜の前に着いた。
誰もが注目する中、陽菜は涙に濡れた顔で叶太くんを見上げた。叶太くんは、そのままスッと陽菜の前にしゃがんで、
「ハル、好きだ」
真っ赤な顔でそう言って、それから、手に持っていた若草色の封筒を陽菜に差し出した。
「ハル、オレと付き合って」
多分、今、ここに「あれ? もう付き合ってたでしょう?」って思った人は、いない。そんなこと、きっと、みんな忘れてる。
陽菜は両手でその封筒を受け取ると、小さな声で、
「わたしでいいの?」
と聞いた。
「ハルがいいんだ! ハルじゃなきゃ、ダメなんだ」
叶太くんが陽菜の手を取って、もう一度言った。
「ハル、オレと付き合ってください」
陽菜が、
「はい」
と、小さな声で答えた。
その瞬間、教室が壊れるんじゃないかというくらいの大歓声が起きた。
そうして、二人はもみくちゃにされた。特に、叶太くんが。
スピーカーからは、明るい音楽が流れていた。音楽に乗って、放送部員の声が聞こえていたけど、もう誰も聞いていなかった。
教室の中は祝福の嵐で、教室の外から覗いていた他のクラスの人たちは、うちのクラスに大歓声が起きた後、なだれ込んできた。
わたしと斎藤くんは、陽菜が押しつぶされないように守りに入って、叶太くんも、当然そうしようとしたけど、
「おめでとう!!」
「やっぱり、ケンカしてたのかよ!!」
「すげー、オレ、感動したわ!!」
とか、そんな台詞と一緒にとにかく、もみくちゃにされていて、申し訳なかったけど、わたしたちは、陽菜を叶太くんから引き離した。叶太くんからは恨みがましい視線をもらったけど、いいじゃん、これから、いくらでも一緒にいられるんだからさ。
陽菜が泣きながらわたしたちを見上げて、震える声で言った。
「ありがとう」
わたしは、そっと陽菜を抱きしめた。
「よかったね!」
あんまり嬉しくて、嬉しすぎて、気がついたら、笑っていたはずのわたしの目からも涙があふれ出していた。




