16.羽鳥の気持ち
放課後になって、息を切らしてやって来た寺本志穂は泣きそうな顔で言った。
「先輩。……間に合わなかった」
「なにが?」
と聞くと、ギュッと拳を握りしめて、ボクの目をしっかり見てから言った。
「陽菜、倒れて……救急車で運ばれた」
「え!? いつ!?」
「お昼休み」
寺本さんは涙を堪えるように、奥歯を噛みしめた。
「場所、変えようか」
放課後、速効で来るように言い、それを忠実に守った寺本さんが走ってきただけあり、教室にはまだかなりの人数が残っている。こんなところで、女の子を泣かせたとなると大騒ぎだ。
「また、非常口ですか?」
「そうだな。取りあえずそうしようか」
早く詳細も聞きたい。人のいない場所を探しているより、すぐそこの非常口の方が確実だ。万が一、誰かがいたら、そのまま非常階段を降りて外に出ればいい。さすがに、そこまで行けば人気もないに違いない。
「で、何があったの?」
単刀直入に聞く。遠回しに聞く理由はない。
「わたしも、斎藤くんに聞いたくらいの情報しかないんだけど……」
「斎藤?」
広瀬叶太じゃないのか。
「あ。同じクラスの……、陽菜の隣の席の男子です」
「ハルちゃんは教室で?」
気になるのは、やはり、ハルちゃんのこと。情報源が隣の席の男子と言うなら、教室かと思った。
ハルちゃんが倒れたという昼休み、ボクは、目の前の後輩、寺本さんといたから。ボクも、寺本さんも、ハルちゃんが倒れたところも、救急車に乗せられるところも見ていない。
「いえ。保健室の側の校舎裏だったそうです」
保健室の側の校舎裏?
「中等部側の雑木林のある?」
「多分」
「多分?」
「斎藤くん、高等部からの外部生だから、その辺、曖昧なんです」
なるほど。しかし、なんでまたそんなところに? あそこは、図書館の裏のようにベンチがあるわけでもない。ボクが怪訝そうな顔をしていると、寺本さんは続けた。
「なんか、すごく具合が悪そうだった……って言うか、」
寺本さんが、顔をゆがめた。
「意識、なかったって」
ボクも息をのむ。思っていたより、事態は悪い方に転がっていた。
「叶太くんは、多分、もっといろいろ分かっているだろうけど、斎藤くんじゃ、それ以上、分からないって」
……ハルちゃん。
「あの、叶太くんが、陽菜のおじいさんに電話してて、その内容が、意識はない、呼吸はかなり苦しそう、でも、心臓は動いてる……だったって」
心臓は動いてる、そう言わなくてはならないほどの状態。
ハルちゃんのおじいさん。牧村総合病院の院長か。最高の医療は保証されているけど……。
寺本さんの顔を見ると、やはり、今にも泣き出しそうな顔をしていた。だけど、泣かない。この子は強い。
「叶太くんは、すごく落ち着いてて、救急車に一緒に乗って行っちゃったって……」
ああ、だから、情報源が斎藤。
「何していいか分からなかったけど、とにかく先輩には報告しなきゃと思って」
「ありがとう」
さて、何をするか。
一体、ハルちゃんに何が起きたのか? そこにメスを入れるより、ハルちゃんの心のケアの方が大切な気がする。
「先輩、わたし、なにができますか?」
寺本さんがボクの顔を真剣な表情で見てきた。
「それをボクに聞くの?」
他力本願は嫌いだ。
「だって、先輩、わたしたちの知らない陽菜を知ってるじゃないですか」
「なるほど」
「でもって、ぜんぶ、教えてくれる気はないでしょう?」
思わず笑みがもれる。そのまま笑いがこみ上げてきた。
「あはははっ」
「笑うとこですかぁ?」
面白い。面白すぎる。
「じゃ、キミは、ボクの手足になって動くってことでいいの?」
冗談半分に言ってみると、寺本さんは真顔でうなずいた。
「はい。どんどん使ってください」
「……本気?」
心外だと言うように、寺本さんは答えた。
「こんなこと、冗談で言いませんよ」
いや。普通は冗談でしか言わないだろう。
どうやら、ボクには手足として使える部下ができたらしい。さて、どう使うかと考えていると、突っ込みが入った。
「先輩、当たり前ですが、」
「なに?」
「陽菜のためにすることだけですよ」
ビシッと人差し指を立てて、ボクに釘を刺す寺本さん。さっきまで泣きそうな顔をしていたのに、もう元気に前を向いている。
「ははは。ちゃっかりしてるなぁ」
「……ちゃっかり?」
「ボクをただで使おうなんて」
寺本さんは、不思議そうに首を傾げた。
「え? 使われるのは、わたしでしょう?」
ボクは階段の手すりにもたれて、笑いながら言った。
「キミが言ってるのは、自分は頭を使わずにボクに状況を把握させて、最適な施策を考えさせて、道を示せってことだよ」
寺本さんが押し黙るのを見て、どう出てくるかと思ったら、
「……あの、しさくって、どういう意味ですか? 試しに作る……の試作じゃないですよね?」
と真顔で聞いて来るものだから、ボクはまた爆笑する羽目になった。
ハルちゃん、キミの友だちは面白いな。