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11.陽菜と母

 身体が重い。何となく息苦しい。

 重いまぶたを、苦労して押し開く。遮光カーテンの向こうに、日の光が差しているのが見えたから、起きなくちゃと思うのに、身体が動かない。

 ゆっくりと、首を傾けて、ベッドサイドのテーブルに置いた目覚まし時計に目を向ける。

 え!? 八時!? 学校っ!! と、焦った後で、思い出した。……ああ、今日は、土曜日だ。

 心臓がバクバクしている。ただでさえ苦しかった呼吸が、一気にあおる。ベッドに寝ているのに。

 ……ダメだ。まだ、起きられない。土曜日だし。いいよね。もう少し寝ていても。

 自分に言い訳するまでもなく、強い眠気に襲われて、わたしは、また眠りに落ちた。



「陽菜」

 誰かが呼んでる。目を開けなくちゃと思うのに、まぶたは重くて。

「陽菜」

 誰かが、わたしの腕を取る。

「陽菜」

 もう一度呼ばれて、ようやく、わたしは目を開けることができた。

「……ママ」

 声がかすれている。息苦しい。

「起こしてごめんね」

「ううん。病院は?」

 わたしの病院のことじゃない。ママの仕事場のこと。ママはお医者さんだから。休みは不定期。土日だっていないことが多いし、たまの休みでも呼び出されたら飛んで行く。

「今日は休み」

「……そう」

 そのまま、また目を閉じると、ママがわたしのほっぺたに触った。暖かい手のひら。

「陽菜。寝ないで。薬飲まなきゃ」

「あ、……そっか」

 ママがわたしの身体を抱き起こそうと、背中に手を入れた。ぐいっと背中が起こされる。相変わらず、力持ちだなぁ、ママ。もう、わたし、小さな子どもじゃないのに。

 渡されるままに薬を飲んで、また横になる。意識が途切れる前、ママが点滴の用意をしているのが見えた。

 親がお医者さんだと、こういう時、便利だ……と思う。でも本当は、いつも一緒にいられないから、ちょっとだけ寂しいんだ。



 次に目が覚めた時にも、まだママがいた。わたしのロッキングチェアに座って、雑誌を読んでいる。いつの間にか、点滴の他、酸素マスクまで付けられていて、そのせいか身体は随分楽になっていた。

「陽菜」

 特に動いた訳じゃないのに、ママはすぐにわたしが起きたことに気がついて、ベッドサイドに来てくれた。

 わたしとは、あんまり似ていないキリッとした美人のママ。背だって、わたしより十センチ以上高いし、髪もストレート。

「具合、どう?」

「……ん。大分、いいみたい」

「そう。よかった!」

 ママは少し首を傾げて、どうしようかなって感じでわたしを見てから、わたしのベッドに腰掛けた。

「あのさ」

「ん。なぁに?」

 ママはまた、どうしようかなって感じで、わたしを見る。珍しく歯切れが悪い。いつも、言いたいことをズバズバ言う人なのに。

「どうしたの、ママ?」

 そう聞くと、ママは何かを決めたようにニコリと笑みをみせた。

「陽菜、なにか悩んでない?」

「え?」

 どうしたの、ママ? まだ、ぼんやりしていた頭が、一気に目を覚ました。だって、ママがこんなことを聞いてきたことは、今までに一度だってない。

「ごめん」

 ママはいきなり、わたしの目を見て謝った。今度こそ目が点になる。

「どうしたの、ママ?」

「母親失格だよね」

 ……え?

 ママが言いたいことが、まったく分からない。ママは言葉を探すように視線を宙にさまよわせた。

「陽菜、痩せたね」

 言われて、グッと言葉に詰まる。

 そう。痩せた。というか痩せてしまった。別に成人病の心臓病って訳じゃないから、わたしは元から太っていない。むしろ、痩せ過ぎなくらいで……それなのに、また痩せてしまって……正直、自分の身体をみっともないと思う。

 ママは続けて聞いた。

「身体の調子、悪かった?」

 良くはない。でも、特別悪いわけではなかった。だから、ううんと首を左右に振る。

「そう」

 ママはわたしの腕を取った。太さを確認するように手首を握り、腕をなでる。

「沙代さんに言われたの」

 沙代さんはわたしが生まれる前から、家にいるお手伝いさん。ママより十歳以上年上で、おばあちゃんよりは若くて、とても優しい人。お料理が上手で明るくて、くるくる働く沙代さんが、わたしは大好きだ。

「陽菜がろくに食べてないって」

 それから、ママはわたしの頬を両手で包んだ。

「ごめんね。陽菜が小食なのは昔からだって、高をくくってた」

 はあ、とママは小さくため息を吐いた。

「ホント、よそで偉そうな顔して患者診てるくせに、自分の娘の異変に気づかないなんて」

 ママは悔しそうに、自分の頭をガシガシかいた。

「ご、ごめんね」

 思わず謝ると、頭をなでられた。

「なんで、陽菜が謝るの」

 そうして、優しく微笑んでくれた。

「痩せすぎよ。陽菜。……一体、何をそんなに悩んでるの?」

「な、悩みなんて……」

 言える訳ない。カナとのことなんて。

 カナと離れなきゃいけなくて、でも、本当は離れたくなくて……。それでも、頑張って離れようとするのに、カナはどう言っても、わたしの世話をしようとする。もう、甘えちゃいけない。もう、カナに面倒かけちゃいけない。

 カナの負担にならないように……カナを自由に……。

 涙がまた、ポロポロとあふれ出した。

「は、陽菜!?」

 泣いちゃダメ。そう思えば思うほどに、涙はあふれ出し、止まらない。泣いたら、何でもゆるしてもらえるなんて、思ってない。だから、泣きたくなんてないのに。なのに……。

 最近、わたしは泣いてばかりいる気がする。

「陽菜」

 目を閉じ、手のひらで顔を覆った。涙は止められないけど、これ以上、泣き顔を見せたくなかったから。

 ベッドがキシむ音がして、ママが身体を動かした。奥歯をキツくかみしめて、涙を止めようと、声が出ないようにとしていたら、ふわっと空気が暖かくなった。気が付くとママに抱きしめられていた。

 ……ママ。ママ。

 その腕のぬくもりから、ママが、わたしを心から心配してくれているのを感じた。

「ごめん…なさい」

 ママの暖かさを感じながら、謝った。

「なんで、あやまるの?」

 ママが優しい声で言った。

「は、はな……話せない、から」

 言いながら、また、涙がぶわっとあふれ出す。嗚咽が漏れそうになるのをこらえるので精一杯だった。

「大丈夫」

 ママが身体を少し起こして、私の頭をそっとなでた。

「大丈夫だから」

 ……なにが? 顔を覆っていた手をどける。つむっていた目を開ける。

 目の前でママが優しく笑っていた。

「わたしだってね、陽菜くらいの年頃に、母親に悩みを打ち明けたり、していなかった」

 ママから、おばあちゃんの話を聞くのは初めてだった。ママの方のおばあちゃんは、わたしが生まれる前に亡くなっていて、わたしは会ったこともない。

「だから、話せなくてもいいの」

 ママは何度もわたしの頭をなでる。頬に手を添える。枕元に置いてあったタオルで、わたしの涙を拭く。

「ムリに聞き出そうなんて、思ってないから」

「……ママ」

「でも、話したくなったら、いつでも相談に乗るから」

 ママ。

「ごめんね。頼りない母親で」

 ママ。

 話してしまいたい思いに駆られる。誰かに、全部、何もかも話してしまいたい思いに駆られる。話してしまったら、もしかしたら楽になるのかもしれないと、思って。

 また、涙があふれる。

 それでも、話す相手はママではなかった。

 何より、ママだけでなく、誰にも話せる気がしなかった。

 だって、わたしは、きっと、赦されたいだけだから。

 話して、陽菜は悪くないよって、誰かに言って欲しいだけなのだから。

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